パリヌーロは、美しいビーチを持つ夏のバカンス地です。
その南の方にはポルトがあり、さらにその南には切り立った崖が連なり、
7つの小さな岬があります。
その岬をかわすごとに、いろいろなグロッタ(洞窟)があり、
洞窟巡りをする船があちこちから出ています。
トーニは、電話で予約を入れてくれていて、
彼の知人がやっている船の出るところに連れて行ってくれました。
以前乗った船は、ポルトから出ましたが、今回は、ビーチの方に下りていきます。

船の客の待ち合わせ場所は小さなバール。
あら、バールの写真は撮っていませんでした。
それなのにバールのごみ箱なんか撮っちゃっていました。

船はまだ戻ってきていなくて、しばし待ちます。
船と思っていたら、ゴムボートが戻って来ました。
真ん中にこんな操縦席がついているだけの。

定員いっぱい(と言っても十人ぐらい。いやもう少しかな。)乗って出発。
あっという間に、ビーチが遠ざかっていきます。

この日はちょっと風が強めで、波もあるので、
舳先が上下し、波しぶきがバシャンバシャンかかります。
岬をかわすと穏やかだから、ちょっと我慢してね、と言われ。
向こうには、個人所有でしょうか、クルーザーが見えます。

青の洞窟に着きました。


船長のオジチャンが結構早口で、いろいろ説明してることがよく聞き取れません。
ただただ青い世界に身を置いて楽しみました。
外に出ました。
船を借りてか、自分たちの船なのか、家族やグループで思い思いに楽しむ人たち。

オジチャンがまた説明を始めました。
どうやらここらの岩がどうやってできたかということらしいのですが
難しい単語はちっとも分かりません。
ひとまず浸食されやすく、穴が開きやすい岩質なのだということは分かりました。
自然に開いたfinestra(窓)と言われている部分。

それから硫黄の匂いのするなんとかいうグロッタの近くに行き、
また説明をしてくれました。はい、分かりません。
硫黄のにおいのするガスが、海に沈んでいる岩の部分から湧いているようです。


その後、「窓」の近くに船を停めて、しばし遊泳タイム。

私たちは、朝からあちこち寄る予定だったので、水着を着ていませんでしたから
残念ながら水には入れませんでした。
みんな気持ちよさそう!
でもちょっとするとまた出発し、さっきの「窓」を逆から見ます。
窓の向こうに灯台が見える地点があって、そこに差し掛かる時に
3・2・1とカウントダウンしてくれました。

「血の洞窟」という岩が赤くなっているところもあるのですが(前回は見ました)、
数年前にここで遊んでいた人たちが事故に遭って、
それ以来、そこには船は近寄らないことになったそうです。
船は、思い思いに過ごす人たちのいる海岸線と平行に進んでいきます。


折り返し地点の小さなビーチで、泳ぎたい人たちを降ろし、
船は少しだけ沖合にしばし停泊します。
私たちは船の上からあっちを見たりこっちを撮ったり。



滑り台付きの足漕ぎボートに乗りたい!滑りたい!

小さなビーチにアジア人女性がいました。
日本人である私たちは、彼女が中国人でもなく、韓国人でもなく、日本人だと感じました。
彼女もそう感じたらしく、「こんにちは!」と声をかけてきました。
ちょっと離れていたけれど、大きな声で話しました。
彼女「どちらからですか?」
Mちゃん「東京です。」
私「横浜です。」
彼女「わあ!私も神奈川です。逗子からなんです。」
とけっこうローカルな話になりました。
彼女は、ナポリの彼のところに2カ月いて、もうすぐ日本に帰るけれど
また戻ってくるのだと言っていました。
さて、そろそろ戻る時間です。
復路は、往路よりもオジチャンがボートを飛ばすので、
バッシャバッシャ飛沫がかかり、舳先は大きく上下し、
私もMちゃんももそういうのが大好きなので、「もっとやれーーー」という感じで
心から笑いながら楽しみ、スタートのビーチに戻りました。
トーニは、私たちと約束した場所に来てくれていて、
アグリトゥーリズモまで送ってくれました。

1日お任せで、かなりな走行距離だったと思いますが、
ガソリン代も受け取ってくれませんでした。
「チレントに来るときは、またいつでも連絡しなさいよ。
また、いろんなところに連れて行ってやるからな。」と言ってくれました。
(すっかりまた行く気)
部屋に戻って、しょっぱくなった服も体も髪の毛も洗いました。
その南の方にはポルトがあり、さらにその南には切り立った崖が連なり、
7つの小さな岬があります。
その岬をかわすごとに、いろいろなグロッタ(洞窟)があり、
洞窟巡りをする船があちこちから出ています。
トーニは、電話で予約を入れてくれていて、
彼の知人がやっている船の出るところに連れて行ってくれました。
以前乗った船は、ポルトから出ましたが、今回は、ビーチの方に下りていきます。

船の客の待ち合わせ場所は小さなバール。
あら、バールの写真は撮っていませんでした。
それなのにバールのごみ箱なんか撮っちゃっていました。

船はまだ戻ってきていなくて、しばし待ちます。
船と思っていたら、ゴムボートが戻って来ました。
真ん中にこんな操縦席がついているだけの。

定員いっぱい(と言っても十人ぐらい。いやもう少しかな。)乗って出発。
あっという間に、ビーチが遠ざかっていきます。

この日はちょっと風が強めで、波もあるので、
舳先が上下し、波しぶきがバシャンバシャンかかります。
岬をかわすと穏やかだから、ちょっと我慢してね、と言われ。
向こうには、個人所有でしょうか、クルーザーが見えます。

青の洞窟に着きました。


船長のオジチャンが結構早口で、いろいろ説明してることがよく聞き取れません。
ただただ青い世界に身を置いて楽しみました。
外に出ました。
船を借りてか、自分たちの船なのか、家族やグループで思い思いに楽しむ人たち。

オジチャンがまた説明を始めました。
どうやらここらの岩がどうやってできたかということらしいのですが
難しい単語はちっとも分かりません。
ひとまず浸食されやすく、穴が開きやすい岩質なのだということは分かりました。
自然に開いたfinestra(窓)と言われている部分。

それから硫黄の匂いのするなんとかいうグロッタの近くに行き、
また説明をしてくれました。はい、分かりません。
硫黄のにおいのするガスが、海に沈んでいる岩の部分から湧いているようです。


その後、「窓」の近くに船を停めて、しばし遊泳タイム。

私たちは、朝からあちこち寄る予定だったので、水着を着ていませんでしたから
残念ながら水には入れませんでした。
みんな気持ちよさそう!
でもちょっとするとまた出発し、さっきの「窓」を逆から見ます。
窓の向こうに灯台が見える地点があって、そこに差し掛かる時に
3・2・1とカウントダウンしてくれました。

「血の洞窟」という岩が赤くなっているところもあるのですが(前回は見ました)、
数年前にここで遊んでいた人たちが事故に遭って、
それ以来、そこには船は近寄らないことになったそうです。
船は、思い思いに過ごす人たちのいる海岸線と平行に進んでいきます。


折り返し地点の小さなビーチで、泳ぎたい人たちを降ろし、
船は少しだけ沖合にしばし停泊します。
私たちは船の上からあっちを見たりこっちを撮ったり。



滑り台付きの足漕ぎボートに乗りたい!滑りたい!

小さなビーチにアジア人女性がいました。
日本人である私たちは、彼女が中国人でもなく、韓国人でもなく、日本人だと感じました。
彼女もそう感じたらしく、「こんにちは!」と声をかけてきました。
ちょっと離れていたけれど、大きな声で話しました。
彼女「どちらからですか?」
Mちゃん「東京です。」
私「横浜です。」
彼女「わあ!私も神奈川です。逗子からなんです。」
とけっこうローカルな話になりました。
彼女は、ナポリの彼のところに2カ月いて、もうすぐ日本に帰るけれど
また戻ってくるのだと言っていました。
さて、そろそろ戻る時間です。
復路は、往路よりもオジチャンがボートを飛ばすので、
バッシャバッシャ飛沫がかかり、舳先は大きく上下し、
私もMちゃんももそういうのが大好きなので、「もっとやれーーー」という感じで
心から笑いながら楽しみ、スタートのビーチに戻りました。
トーニは、私たちと約束した場所に来てくれていて、
アグリトゥーリズモまで送ってくれました。

1日お任せで、かなりな走行距離だったと思いますが、
ガソリン代も受け取ってくれませんでした。
「チレントに来るときは、またいつでも連絡しなさいよ。
また、いろんなところに連れて行ってやるからな。」と言ってくれました。
(すっかりまた行く気)
部屋に戻って、しょっぱくなった服も体も髪の毛も洗いました。