ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2020年05月

フェデリーコのことを書こうと思ったのですが、
簡単にパパッとは書けないし、
私なんかより詳しい方はたくさんいらっしゃるでしょうから、
ご存知なくて、興味のある方は、ご自分で調べてみてくださいね。

さて、このカステル・デル・モンテは、普段はシチリアで執務しているフェデリーコ2世が、
ときどきやってきては狩りを楽しむための城だったのだそうです。

イタリア政府観光局のサイトによれば、
「イスラムと北方ヨーロッパゴシック的な建築様式が見事に調和をみせている」
のだそうですが、私にはそこのところはよく分かりません。

内部の写真を載せます。
地上階。
城の周りの小さな八角形の部分には、入ることができませんでした。
イタリア式の1階へ上ります。
外に出ました。
死んだようにぐったりと寝そべっている犬。
息をしている様子もなくて、本当に死んでいるのでは?と思ったのですが、
私たちがだいぶ近づいたところで、目を開けてこちらを見たので、ほっとしました。
でも頭をもたげるわけでもなく、立ち上がるでもなく、
よほど暑くて動きたくないのでしょうか。
多分この日の最高気温は36、7度あったのではないでしょうか。

それなのに、蝶々は元気に活動していました。
植物も、暑くて、雨も降らないこの大地で、逞しく生きています。
私にとっては、内部はそれほど魅力的ではありませんでしたが、
外回りは、とても素敵だなあと思いました。
プーリアは、本当にてろんと平らなところです。
帰りのバスまではまだ1時間半以上あります。
ここに1軒だけあるリストランテで昼食を摂ることにしました。

カステル・デル・モンテに向かいます。
中央左寄りにBARという文字が見えるでしょうか。
何にもないわけではなく、バールとレストランが1軒ずつありました。
階段を上って行きました。
上りきったところからの眺め。
意外に周囲が広くてびっくり。
さあ、中に入りましょう。この階段を上ります。
チケット売り場がちょっとだけ混んでいたので、イプさんが並んでくれている間に、
入口付近の写真を撮りました。
ここから入ります。
カステル・デル・モンテは、
13世紀にローマ皇帝フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)によって建築されました。
八角形を象徴的に取り入れた設計になっいて、
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
中に小さな模型が作ってあり、その写真を見ると、八角形だらけなのが分かります。
全体が八角形、その角部分にも小さな八角形。
真ん中の吹き抜け部分も八角形。
実際にその吹き抜け部分に行ってみました。
内部の様子やフェデリーコ2世についてはまた次回。





前夜ちょっと遅かったので、朝は7時に起きて朝食をたっぷりいただきました。
トラーニ到着の翌日のこの日は、カステル・デル・モンテを見に行きます。

カステル・デル・モンテに行くには、アンドリアからバスが出ているので、
まずはアンドリアに行かないといけません。
列車だとバルレッタまで行って、乗り換えてアンドリアへ。
でも9:20頃駅に行ったら、列車のいいのがなくて(きちんと調べていなかったのです)
バスは?と思ってバスの時刻表を見てみたら、なあんだ
アンドリア行きのバスがあるのでした。

駅バールでバスの切符を買ったら、
今度のアンドリア行きは、道路の反対側のバス停から乗るんだよ、と教えてくれました。
経由地が違うのか、出発地が違うのかわかりませんが、
アンドリア行きは、駅の前から乗るのと、道の向こう側から乗るのがあるのでした。

バスは10:25発なので、まだ30分以上時間があります。
ちょっと腰掛けて落ち着きたいので、バス停の向かいのバールに入りました。
私はカップッチーノをオーダー。
店のオヤジさんがテーブルまで運んであげるから座っていなさいと言ってくれて。
それだけでもいい感じの店だと思いますね。
みんなの飲み物を運んだ後に、おまけをどんと置いてくれました。
ミニクロワッサンです。
こういうちょっとしたサービス、嬉しいです!
おや、壁にミランのユニが飾ってあります。
懐かしい名ディフェンダー、マルディーニのものです。
オヤジさんに、ミラニスタなの?って訊いてみたら、
いや、甥っ子が熱烈なミラニスタなんだよって言ってました。

さて、無事にバスがやってきて、アンドリアへと向かいました。
ちなみにアンドーリアだと思っていたら、一番最初のアにアクセントがあり、
ンドリアと言うのが正解なのでした。(切符を買うときに教えてもらいました)
到着。
同じところから、カステル・デル・モンテ行きが発車するようです。

若い子達がたくさん待っていて、皆カステル・デル・モンテに行くのだと思ったら、
違うところに行くバスに、どどっと乗って行ってしまいました。
切符売り場は、ちょっと離れたところにあり、切符を買った後、
カステル・デル・モンテは周囲に何もないらしいから、
念のため、お昼に空腹をしのぐ程度のパンか何かを買っておこうということで、
イプさん、ペコさんが行ってくれました。
バスは11:40発。
まだ時間があるので、近くをちょこっと散歩。
カステル・デル・モンテ行きのバスは、思っていたのと違い、小ぶりのバスでした。
乗ってから撮ったものですが、このタイプのバスの定員の表示。
このバスは、Ⅰのタイプでした。つまり乗客用のシートは14席。
プーリアのてろっとした平原(ところどころに畑や林が見えます)を
バスはのどかに進んで行き、やがて小高いところに城のようなものが見えました!
駐車場に到着し、下車しました。
ここからは、少し歩きます。
この続きは、また次回。

さてさて、ウルビーノ11:30発のバスで1時間ちょっと乗ってペーザロへ。
(この時期、途中を端折るエクスプレスバスは休みでした)
ペーザロの駅の待合室でお弁当を食べて、ペーザロの駅で1枚。
13:37のICは11分遅れてやってきて、それに乗りました。
ここからトラーニまでは、ずっと海沿いを走ります。
ちょっと反射していますが、車窓からの海。
30分遅れで19時ごろトラーニに到着。
駅から宿までは10分ちょっとなのだけど、大きな荷物をごろごろして、
しかも途中で八百屋を覘いたので、25分ぐらいかかって宿と思われる場所に着きました。
何も表示が出ていなかったので、そこらへんに腰掛けている人に訊いたら
そこだよと、私たちが目の前に立っている建物を指しました。
呼び鈴も何もないので、電話してみました。
そうしたら10分待って、と言われ
待つこと本当に10分ほどで本当にやってきたのでびっくり!(イタリアですもの)

なかなかきれいな部屋で、それほど広くはないけど4人でワンルームという
これまでに見たことのない部屋だったのに、なんと1枚も写真を撮っていませんでした。
きっとお腹が空いていて、早く出かけたかったからです。

残念ながら、今どき珍しくこの宿はwi-fiなし。
今どき使えないところがあるとは思わず、確認していなかったのです。
ひとまず、それぞれどのベッドで寝るか場所を決めて、荷を解いて。

その後、駅から宿まで歩いているときに見つけた近くの店に食事に行くことに。
その前に、宿はアッパルタメントなので、翌朝の食べ物も買いたいということで
これまた途中で覗いたアリメンターリへ。
の後、リストランテに行きました。
もう喉はからから、お腹はペコペコ。
何せお昼はお弁当でしたからねえ。(パニーノとフルーツ、水)

お魚の店でした。
エアコンのある店内の席へ。
近くにあったからという理由だけで選んだ店なのに、なかなかいい雰囲気でした。
白のデッラ・カーサをオーダーしたら、こんな風に出してくれました。
微発泡です。
さすがプーリア、パンと一緒にタラッリも出てきました。
アンティパスト・ミスト2人前を2つ。
4人なので当たり前と言えば当たり前なのですが、
ターラントで、2人分でものすごい量が出て来た経験があるので
2人分1つをオーダーしたら1皿の量は普通だったので、
あと2人前を追加したのです。

写真は2人前のものです。
海老のサラダ。
鯖(加熱)のマリネ。
モッツァレッラ。
茄子の重ね焼き(チーズオン)
フリットミスト。
タコじゃが。
うに&牡蠣。(これは4人前一緒盛りだったような)
1皿の量は大したことが無くても、種類がたくさんだったので、
けっこうお腹は膨れました。

プリモはそれぞれ1皿。
私は海老のリゾットをいただきました。
う~ん、美味しい!
海老が丸ごと入っていて、食べるのは面倒だけど、出汁はとてもよく出ています。
それをお米がよく吸っていて。

これは誰の何だったでしょうか。
多分むき身の貝(コッツェ?)とミニトマトの入ったオレキエッテだったのが、
オレキエッテではなく、似たような別のパスタが出て来たのだったような。
隣のテーブルに、魚の塩釜焼きが運ばれてきて、
店のシニョーラが身を外し始めたので、写真を撮らせてもらいました。
お腹は膨れていたのに、ドルチェもいただいちゃいました。
私のパンナコッタ、森のフルーツ添え。
小食のイプさんのソルベット・アル・リモーネ(融けて水になるから)。ピンボケ失礼。
ああ、どれも美味しくて大満足。
お会計をしたら、4人で110.80€!
いやあ、近いから選んだのに、大当たりの店でした。
宿に戻って寝ました。

ウルビーノには、1泊で、
しかも着いたのは3時半過ぎで、宿にチェックインして観光を始めたのは4時ごろから。
そして翌日11時にはバスに乗るので、ドゥカーレ宮殿とラファエッロの家を見て、
ベルヴェデーレ(ビューポイント)からの眺めを楽しんで
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所を見ておしまい、と当初からの予定でした。
予定通りなのに、思った以上に楽しめたためか、
こんな駆け足ウルビーノの報告が、もうその9になってしまっていて、びっくり。

さて、最後の報告、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所の中です。
ここは、以前('05年)訪れた時にも、とても気に入った場所で、
是非また見たいと思っていました。
シニョレッリさんのブログを拝見すると、2014年に訪れた時は修復中だったのだそう。
私が以前見たのと、修復後との違いを見る楽しみもありました。

中に入りました。
小さな祈祷所の中いっぱいにフレスコ画が描かれています。
修復が終わっても、それほどけばけばしい印象はありません。
この祈祷所は、1365年の着工だそうですが、
元は福者ピエトロ・スパニョーロが病院を建てて慈善活動を行っていたところに建てられたもので、14世紀末に完成したのだそうです。
ピエトロ・スパニョーロは1415年に亡くなりましたが、遺体は腐敗せずにミイラ化したため祈祷所の祭壇の下に保存されているそうです。

モンテフェルトロ公によって新たに形成されたルネサンス文化に先行する
ウルビーノの文化的状況が、ここのフレスコ画を見ると分かります。
(と、「イタリア美術案内」の宮下孝晴氏が書いています)

「主題は、『磔刑』『洗礼者ヨハネの生涯』『謙遜の聖母と洗礼者ヨハネ、聖大ヤコブ』『玉座の聖母と洗礼者ヨハネ、聖セバスティアヌス』などで、特に『洗礼者ヨハネの生涯』の諸場面は、壁画が描かれた当時の風俗に包まれていて
一大時代絵巻となって」いるのだそう。
ロレンツォとヤコポのサリンベーニ兄弟が描いたものです。
祭壇の裏にこんな小さなお供えを置く場所(?)が。
となりの間の展示。
短い滞在でしたが、堪能してホテルに戻り、バスターミナルへと向かったのでした。
(ウルビーノ編終わり)

朝食をいただいた後、まずは、ビューポイントまで散歩。
バスでウルビーノに向かったときは、
ウルビーノのまちが、おおっ!と見える箇所は1か所で、
あっという間に通り過ぎたのでしたが、
このまちにはドゥカーレ宮殿を一望できる場所があるのです。
ウルビーノに来たら、それは見なくちゃねえ。
というわけであちこち写真を撮りながら、坂を上って行きました。
(この階段は上っていません)
ラファエッロの像がありました。
坂の多いまちなので、こんな風景も見られます。
見晴らしの良いところに出ました。
こんなところを毎日散歩できる犬も人も幸せですねえ。
ここまでくると、2つの塔が見渡せます。
ほんとは、夕方の方が光がいいのですが、昨日は観光で忙しかったから仕方なし。
さて、次はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所へと向かいます。
こんなカワイイ家族の車がありました。
こんなの見ると、ロメオ君やヴィオラちゃんに会いたくなっちゃいますね。
見えてきました。
中の様子は、また次回。

朝食前さんぽのつづきです。
大学の案内表示板
教会?
何も書かれていなくて分かりませんでした。
誰の彫像なのだか…
バールが開店準備をしています。
おや、こちらでは朝イチのお客様が朝食を摂っています。
だんだん、まちにも人の姿が見えるようになりました。
お仕事の人たちのようですね。犬の散歩の人も。
ホテルに帰って朝食をいただきました。
けっこう充実の朝ご飯だったのに、パンの写真しか撮っていませんでした。
散歩でお腹が空いて、がっついてしまったのでしょうね。(つづく)

前夜早く寝たオバチャンは、ちゃんと早く目が覚めて、
朝食前の散歩に出かけました。
お宿は、ドゥカーレ宮殿に結構近いので、すぐに塔が見えました。
真夏でも、早朝は爽やかです。
いろんな角度から宮殿を眺めて。
早朝は、ほとんど人に出会うこともありません。
清掃員に出会いました。
イタリアのまちは、どこでも早朝にまちをきれいにしているのです。
この建物は大学の一部。学生向けの案内板などがありました。
ウルビーノ大学には、夏に外国人向けのイタリア語コースがあると聞いたことがあります。
チャンスがあったら...と思っていましたが、何もしないまま十年以上も経ちました。
気の向くままにあっちへこっちへと歩きました。
落書きも、上手ですね。
思いの外朝散歩で写真を撮っていたので、散歩写真は次回に続きます。

晩ご飯を食べるのに良い店を、
このまちの美術学校で数年過ごしたことのある日本人の知人に、
気さくに食べられるカジュアルで美味しい店を教えてくださいと、
メールで問い合わせてみたら、
カジュアルな店を2軒と、あまりカジュアルではないけれど一番お薦め
という店を紹介してくれました。

せっかくなので、その「カジュアルではないけれど一番お薦め」の店へ行くことに。
途中で写真を撮りながら、のんびり歩いて行きました。
着きました。
中に入ると、とても素敵な雰囲気のお店です。
この日は早い入店だったので、まだ客がいなくて自由に写真を撮りました。
元は、修道院の食堂だったのだそうです。
Stella di urbinoと言うウルビーノ特産の星形の照明。
メニューを持ってきたカメリエーレ氏に、
「もしかしてロベルトさんですか?
私の友人のH氏がここを紹介してくれたのですよ」と話したら
やはり彼がそうでした。
H氏が言うには、無愛想な奴だけどすっごく人はいいんです、とのことだったのです。
ちっとも無愛想ではなく、とても感じのいい人でした。(イケメンではないですけど)
店内2枚目の丸テーブルの写真奥に、ちらりと写っています。

メニューに、黒トリュフのミニコースがあったので、皆それをオーダー。
ヴィーノも、リストから選びました。
パン。
カショッタ・ディ・ウルビーノというチーズを焼いて黒トリュフを削りかけたもの。
濃厚なチーズの味わいに黒トリュフの香りが広がって、美味。
続いて、バターとセージの香りのタリオリーニに黒トリュフを掛けたもの。
野菜が全然なかったので、ドルチェには、マチェドニアをいただきました。
お腹も程よく膨れて、店を出ます。
外はすっかり暗くなっていました。
ドゥカーレ宮殿の広場に行ってみました。
コンサートが始まっていました。
開いている席があったので座って少しの間聞いていたのですが、
ジャズというより古典音楽のコーラスのようで、すっかり眠くなってしまい、
途中で退席して部屋に戻ることに。

イタリアの夏の夜は、これからだというのに、
日本のオバチャンたちは、もうお眠で、退散です。
部屋に戻って、シャワーを浴びて寝ました。(つづく)

ドゥカーレ宮殿を出て、ラファエッロの家に向かいました。
途中で出会ったワンちゃんズ。
大きな犬、大好き!
彼らの目の前には、パンを食べているシニョーラがいます。
彼女は、あげてもいい?と飼い主の許可を得てから
パンを少しちぎって2匹にあげました。
私たちも、写真を撮る許可を得て撮りました。
この子たち、兄弟なのだそうです。
余り似ていないのは、1匹はパパ似で1匹はママ似だからだそう。
ラファエッロの家の前は混みあっていました。
とりあえずチケット売り場に行ってみると、
この日は催し物があり、これから20分程しか見られないけど、
それでよければ入場無料だよ、ということで、
無料で中に入りました。
以前は、館内は撮影禁止でしたが、
今はOKになったのか、催事があってOKになっているのか分かりませんが
皆バシバシ撮っていたので、私たちも撮りました。

ラファエッロは宮廷画家である父の薫陶を受けて育ち、
幼少から画才を発揮しますが、
8歳で母を亡くし、11歳で父も亡くなりました。
既に再婚していた父の後妻とこの家で16歳までを過ごし、
その後ペルージャに移り住んでペルジーノに師事しました。
ここに住んでいた頃に書かれたフレスコ画です。
2つを見終えて、もう夕方の散歩タイムになっていたので、
もう1つの見たいところは翌日に回すことにして、
ちょっと1杯ビールを飲みに行くことに。
ビールが苦手なNさんは、ジェラート屋へ。
それぞれが、自分の好みに合わせて別行動が取れる人とだと
一緒に旅をして苦になりませんね、お互いに。

せっかくなら生ビールがあるところがいいなあと歩いて見つけたのが、小さなバール。
カウンターに腰掛けて。
奥に日の丸が見えました。
オヤジさんの話だと、友だちがくれたのだとか。
きびきびと働きながらも、私たちの相手をしていろんな話をしてくれました。

宿に戻って、一休みし、その後夕食をとりに出かけました。

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