ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2020年08月

さて、洞窟教会から戻り、荷物を広げる前に部屋写真を撮りました。
メルフィの最初に載せた写真はこのときに撮ったものなのです。
それからカッフェを淹れて一息つこうと思ったら、
あらまあ!カッフェティエラにコーヒー豆がもう入れてあります。
一瞬片付け忘れ?と思ったけど、下のパーツにはきれいな水が入っています。
よく見ると冷蔵庫の上にこんなメッセージが。
「カッフェティエラは、使用の準備ができています。よい1日を。アレッサンドラ」
翌日も外出から戻ると掃除がしてあり、カッフェティエラの準備ができていました。

この後、明日の洞窟教会を見せてもらうための確認の電話をしたのですが、
私のイタリア携帯が使えず(なぜか時々solo emergenza=緊急時のみの表示)
こことは、日本からメールで連絡を取っていたので、とりあえずメールを送ってみました。
メルフィに着いていること、携帯電話が使えないこと、
待ち合わせの時間と場所を知らせてほしい旨を書いて。

そうしたら、1時間もしないで返信が来ました。
これで明日の見学も安心。
しばらく部屋でテレビを見たり、PCを開いたりして休みました。
19時に携帯電話が鳴りました。(このときは、使えたのです!)
大家のアレッサンドラからでした。
今部屋にいるなら地図(チェックイン時に彼女がくれたもの)を持って家の前に出てこられる?という呼び出しです。
出て行くと、
「これを作ったの。この地方でクリスマスに焼くお菓子なのよ。」と言って
これをラップをかけて持ってきてくれたのでした。
そして、今夜の食事のお薦めどころを地図にマークしながら教えてくれるのでした。
せっかくだから、美味しくて感じがよくて高くない店で食べて欲しいもの、って。

スリムな体にコートを纏い、毛糸の帽子を被って、鼻の先を赤くしながら、
「ぐら姐、あなたは帽子も手袋もなしに寒くないの?本当にこの冬は寒いわ!」
と言いながら、丁寧に教えてくれたのでした。

このときのイタリアには、寒波が居座っていたのです。
(私はと言えば、このときも、そして今も手袋は必要を感じないし、
帽子も被っていません。寒さには強いのです。)

お礼を言って一旦部屋に戻り、出かける支度をして、
教えてもらった中では一番遠い(と言っても歩いて十分)
けれども彼女がいちばん感じがいいといった店まで行くことにしました。

外は、もう真っ暗。
この店です。
店の名前OASIは全然目立たなくて、Trattoriaだけが明るく見えています。
中に入ると暖炉の火が元気よく燃えて、暖かい店内でした。
親父さんが、すごくいい感じです。
お客さんもいい雰囲気で、
一人で食事をしている私に隣のテーブルの人が話しかけてくれました。

カルドンチェッリ(プーリアなどで見る茸)の手打ちカヴァテッリ。
店内が暗いので写真写りはよくありませんが、茸の味がよく出て、
パスタの歯ごたえも気持ちがよくて、とても美味しいパスタでした。
お昼のお店もそうでしたが、ここでもペペロンチーノを別に出してくれました。
カラーブラリア同様にバジリカータも辛い物好きのようです。
私も辛い物好きなので、これをかけたら、さらに美味しくなりました。

セコンドは、仔牛のステーキ。
見た目は大きくないけど、結構な厚さがあり、焼き加減が抜群!
ああ、この写真では伝わりませんね…
この旅行で食べたお肉の中で一番といっていいぐらい美味しかったです。

ドルチェもいただきました。
ピスタチオのセミフレッドです。もちろん自家製。
これとヴィーノ2杯、水で23€!
紹介してもらって本当によかったと思える店でした。

Chiesa Rupestre di Santa Margherita(サンタ・マルゲリータ洞窟教会)を見るには、
メルフィの観光協会のサイトにある番号に電話して、

予約しなければいけません。
2、3日前に電話してその日は都合が悪いと言われては元も子もないので、
3週間ほど前に電話予約していました。
(我が家は、家の電話をなしにして携帯オンリーにしたので、
日本からだと高くつきそうで、ボローニャの友人に電話してもらいました。)
その段階で、この日、12月22日午後3時、ドゥオーモ広場で待ち合わせしました。
そしてこの日確認の電話を入れたら、約束の相手リナさんが出て、
「ああ、今日だったわね。私はちょっと都合ができたので、
夫を代わりに行かせます。大丈夫よ。」と言ってくださいました。

3時にドゥオーモ広場へ行くと、約束通り男性が待ってくれていて
リナの夫のミケーレですと挨拶してくださいました。
すぐにミケーレさんの車で洞窟教会へと向かいました。
町からは外れますが、それほど遠いところではありません。
水道か何かの施設の駐車場に車を停めて降り、
こんなところを下って行きました。
なんと道路の下です。
30年ほど前まではこの道はなかったんだけどねえ、と話していました。
いよいよ、中に入りました。
ミケーレさんが灯りを点けに行きました。
さて、その場でお話を聞いていたのに、もういっぱい忘れています。
バジリカータには、13世紀に異教徒として追放されたキリスト教徒たちが、
こうして洞窟教会を作ったのだと聞いたような気がするのですが。
(話はもっと複雑でした…)

「生者と死者の出会い」
生者と死者を同画面に描いた珍しいものだそう。
生者は、フェデリーコ2世と3番目の奥さん、そして子どもだそうです。
フェデリーコは、髭もじゃの顔で描かれることが多いけど
(参考写真は、私が夏にカステルデルモンテで撮ったものです)
この絵のフェデリーコが、一番本人に似ている顔なんだよ、と言っていました。
ほんとかどうかは分かりませんけど。

この日私に対応してくれるはずだったリナさんは、
お姉さんが病気で、遠くまでお見舞いに行くことになり、
それで代わりにミケーレさんが来てくださったのだそうで
実はそのリナさんが、この教会や、この辺りの洞窟教会の研究をしていて、
この教会の美しい写真を載せた小冊子も作っているんだよ、とミケーレさんが言い、
見せてもらったら、小ぶりで、良質の紙に印刷してあって綺麗だったので
10エウロ奮発して買ったのです。
入場料が8エウロで、計18エウロだったので20エウロ渡し、
お釣りを出そうとするミケーレさんに、
お釣りはいらないわ、ガソリン代の一部にして、と言ったら、
「いや、後でカフェを1杯いただくよ。あなたの健康を祈ってね。」ですって。

脱線しました。
その本に洞窟教会の見取り図が載っていたので、写真を撮りました。
1つの広い空間ではなく、こんな風に内部にいくつもの礼拝堂と言うかクリプタと言うかがあるのです。
「生者と死者の出会い」は、入ってすぐ左のサン・ミケーレのクリプタの
右横の壁にありました。
こちらがサン・ミケーレのクリプタの正面。
左横の方にもサン・ミケーレ。
こちらの方がはっきりしています。
以下に写真のみを載せます。
正面祭壇。

その横の、サンタ・マルゲリータの物語。(裾絵のような感じですね)
サン・ロレンツォの殉教。
サン・ロレンツォは火炙りにされたそうで、
この聖人の日、8月10日前後には、流れ星がたくさん見られます。

正面祭壇の上には、若き日の髭なしのキリストと、その後の髭ありのキリストが。
この磔刑は、十字ではなく、Y字なのだそう。
ここの写真はまだあるのですが、旅報告が終わって、
時間がたっぷりある時にまた載せますね。

この空間も解説も独り占めで見られたのは本当に幸せでした。
ミケーレさんが、灯りを消し、鍵をかけている間に、
外の様子を撮りました。
ミケーレさんの車で、B&Bの近くまで送ってもらいました。

昨日載せたお部屋の写真は、実は入ってすぐに撮ったものではありません。
部屋の説明の後、大家のアレッサンドラが、この後の予定は?と訊くので、
3時に洞窟教会に連れて行ってくれる人と待ち合わせをしていると言ったら、
「うーん、時間はあまりないけど何とかなるわね、お腹空いているでしょ?
お昼ご飯を食べに行った方がいいわ。」と言い、すぐに一緒に出かけたのです。

最初に行った、近所のブラチェリア(炭火焼屋)は閉まっていて、
じゃあ、あっちならきっと開いているわと、もう1軒近くでやっている店へ。
中に入って店の人に、
「3時のドゥオーモ広場待ち合わせに間に合うように食べさせられる?」
と確認してから、じゃあまた夕方ね、と出て行ったのでした。

というわけで、早く出来るものをオーダー。
アンティパストにそら豆のピュレ、チーマ・ディ・ラーパの茹でたもの添え、
プリモにチンギャーレのラグーのタリアテッレをオーダーしました。
そしてグラス1杯だけヴィーノを。

パンと一緒に巨大タラッリが出てきました。
自家製だそうで、とても美味しい!
チーマ・ディ・ラーパを茹でるのにそれなりに時間がかかるのか
そら豆のピュレを温めるのに時間がかかるのか、出す順番が逆でもいい?というので
もちろんOKしてパスタが先にやって来ました。
なかなかのお味。
イタリアの田舎は、ほんとにハズレません。
でもあまり時間がないので急いで食べました。

その後に、そら豆のピュレ、チーマ・ディ・ラーパの茹でたもの添えが出されました。
すっごい大盛り!それに名前を忘れちゃったけどグサッと刺さっているのは、
パルミジャーノじゃないけど硬質チーズを削って焼いた、パリパリチーズせんべい。
これがまた美味しくて!
これもがつがつ急いで食べました。
店に入ったのが14:30頃でしたから、30分もかけずに食事が終わったわけです。
イタリアでこれってあり得ない!初めてです。

この2皿に、ヴィーノを2杯(お替りしちゃったの)、水で〆て25€。
田舎は安い!

もう時間がなかったので、キャッシュでお代を払って、
ドゥオーモ広場へと急ぎました。

といいつつ、店の入り口の前庭を撮っちゃったりして。

ポテンツァ発12:30に乗りました。

ポテンツァを調べているときに、ポテンツァ〇〇という名前の駅がいくつもあって、
それらの駅にはどうやって行くのかよく分からなかったのですが
(アプロ・ルカーニアという私鉄も走っているようだし)
でもメルフィに向かう(フォッジャ方面に行く)列車が、それらの駅を通るのでした。
昼休みで一旦家に帰る勤め人とか、学校が終わって帰宅する学生とかが乗って来ました。
そして次々と少し先の駅で降りて行きました。
夜に着く列車を調べたときに、これらの駅に行くのは出てこなかったのですが
昼なら簡単に探せるのかも、と思いました。(調べていませんが)

列車は川沿いを走り、蛇行によって川は右に見えたり左に見えたり。
ちょっとした渓谷と言った感じのところがあったり、なかなか楽しめました。
13:50頃にメルフィに到着。
到着時刻を事前に宿の人に連絡したら、迎えに行くわとの返信を得ていました。

少し待ったら、30代ぐらいの美しい女性がお迎えに来てくれました。
車にはもう一人乗っていて、妹さんとのこと。
宿に向かう途中で、ここがお店屋さんの多い通り、とか
ここが一番古い門、とかまちの案内をしてくれました。
彼女、アレッサンドラさんがB&Bの経営者と聞いてびっくり。
3年ほど前から始めたそうで、外国人はドイツ人を中心にたくさん来ているけど
日本人の客はあなたが初めてよ!ということで、
宿に着くまでの少しの間にフルに話をしました。

安いし、ロケーションもいいから(チェントロにあり、ドゥオーモに近い)と選んだB&Bでしたが、宿主がいい感じでとても嬉しくなりました。
一通り部屋の説明をしてくれました。
1泊35€と、コゼンツァの宿ほど安くはないけれど、それでも南ならではの安さ。
その割に、このスペースを私が独り占め!という空間です。
今日はお宿写真を載せますね。

入り口。
この木の扉を開けると、もう1つ扉があります。
木の扉を閉めてから開けることのできる、人が一人余裕で入れる空間がありました。

リビング。
寝室。
結構広いんです。
テレビを見ながら寝たいかと思って、と
リビングの方のソファーは、シングルベッドに準備してくれていて
好きな方で寝てね、とのこと。
キッチンもあるんです。
シャワールーム
よく見えないかもしれないけど、バスタブ付きです。
朝食は好きに食べてね、とたっぷり用意してありました。
そしてリビングにはおやつも。
うーん、ここも2泊じゃもったいない、でも1泊じゃなくてよかった!と思ったのでした。

ポテンツァ散歩のつづきです。
朝8時半ごろから散歩に出たのです。
人影はまばらでした。
でも9時半ごろになったら、人出がだいぶ増えてきました。
みんな寒そうですね。
23日まではずっと寒かったのです、南でも。
ワンコも防寒着。
地元の美味しいものを売っているお店のようです。
小さな広場に、ライオンズクラブが設置したライオン像がありました。
面白い顔。
宿に戻って、チェックアウトし、
地図にエスカレーターを使って駅まで行く道筋を書いてもらいました。
この建物の中に、乗り場があります。
このエレベーターに乗り、
その次からエスカレーター。
そのエスカレーター、旅先からの報告に書きましたが、
有料のくせに6台乗り継ぎの半分は、下りが止まっていて
荷物を持って長い階段を3回も下りるはめになったのでした。
停電で7階から階段を降りたときよりもずっと大変でした。
本当に腹が立ちました。

最後に、駅の近くにもう一つエレベーターがあると地図に書いてもらっていたけど、
そちらには行かず、坂道を下りました。
もしかして階段だったら、坂道に方がらくですもの。
途中の広場に市が出ていました。
横を通り過ぎて、駅へ。
12時半の列車に乗ってメルフィへと向かいました。

ポテンツァに泊まった翌日は、メルフィーへの移動です。
メルフィーまでは、1時間30分ほどで着くし、
メルフィーには2泊で、
この日は午後3時から1つ教会を見せてもらう約束をしているだけなので、
昼の列車で行くことにして、明るい時間帯のポテンツァも散歩することに。

昨日とは、逆の方向に行ってみました。
バジリカータ州は、マテーラ県とポテンツァ県の2つに分けられ、
これはポテンツァ県の建物です。(県庁のようなもの?)
この広場に面してテアトロもありました。
修復中ですね。
お宿でもらった地図に見どころが出ていたので、それらを訪ねてみることに。
ここは、ルネッタが新しく、入ってみると中も結構新しくて私の好きな雰囲気ではないので写真は撮りませんでした。
その次にあったのはサン・ミケーレ教会。
ここはちょっといい感じ。
さすがステンドグラスは、サン・ミケーレ。
こちらにはサン・ミケーレの像。
こちらは聖母子。
この時期ならではのプレゼーペ。
外に出ました。
3つ目は、サン・フランチェスコ教会。
ご覧の通り3つの中では一番小さな教会なのですが、一番素敵でした。
13世紀の創建だそうです。
それほど古いものではないでしょうが、入り口の扉の彫刻がいい感じ。
中に入りました。
もう少しまち散歩の写真がありますが、それはまた次回。

晩ご飯は、ホテルのシニョーラが教えてくれた中でカジュアルな店に。
この塔のある建物の中です。
塔のイメージとはかけ離れたモダンな店でした。
入ったのが20時なのに、私が今夜の最初の客。
私が食べている間に満席になりましたが。
南は、本当に食事の時間が遅くて、旅行中は遅くまで起きていたくない私には辛い。

お店のオニイサンが、メニューを見ている私のところに来て、
メニュー外の料理もあるのですが、興味はありますか?
というので、何があるか訊いてみたら、
けっこうたくさんあって、オニイサンがんばって覚えたのでしょうね、
忘れないように急いでいるのかとっても早口。

聞いている端から忘れてしまいそうだけど、
聞いていて、お肉が食べたくなったので、この日は前菜もプリモもパスして、
牛肉のタリアータ、ポルチーニ添えをオーダーしました。

実はこの店、ピッツェリア&リストランテで、
ピッツァイオーロはなかなかの腕のようです。
テイクアウトで買いに来る人も結構いました。
そういうわけで、パンの代わりの素のピッツァ。
キャンドル代わりのランプ。
隣のテーブルの人が、これなかなかいいねえ、と言ったら、
ネットで見つけて、クリスマスの時期にいいと思って買ったんですよ、と言いながら
お店の人がボトルの口を外して、中のものを出して見せていました。
ツリーに使うのと同じようなのの小さいランプをいくつも繋いだのが入っていて、
キャップ部分にボタン電気とスイッチがあるのでした。
デッラ・カーサのヴィーノはボトルしかないとのこと。
1本いただきました。
ACミランのエチケッタ。
???
地元バジリカータのヴィーノです。
さっき隣に明かりのボトルを見せていた人に、
どうしてACミランなの?と訊いてみたら、
エチケットに星が1つ付いていてクリスマスらしいから仕入れてみたんだよ、ですって。
ミランなら星が1つだからちょうどよかったんですね。
(ユーヴェじゃ星が多すぎますものね、オホホ。)

さて、お肉が出てきました。
お肉どっさり、コントルノのほうれん草もどっさり(奥の皿)。
ポルチーニも山盛り!
レアでお願いしたのだけど、ミディアムですね、これは。
前菜もプリモもオーダーしなくてよかった!と思いました。
美味しい!でも量多い!とか言いながら、完食・完飲しましたよ、もちろん。
ドルチェもパスしてお会計。

宿に戻って寝ました。

出かける前にレセプションで、この辺りのお薦めの店を訊きました。
ここのシニョーラは、気さくな感じでとってもチャーミングな人でした。
近くの店を3軒、特に私がよく行くのはここよというところも教えてくれました。

小ぶりなホテルは、入り口も小ぶりでした。
レセプションには23時までは係の人がいますが、
セキュリティのために施錠されていて、客はこの入り口と部屋のと2つの鍵をもらいます。

すぐ近くがムニチピオのある広場でした。
クリスマスの動く照明がムニチピオの壁に映えています。
ムニチピオの入り口。
広場にはクリスマスのミニ・マーケットが立っていました。
道には星のイルミネーション。
手芸用品屋さんのミシンの横に、ミニチュア・ミシン!
これも、この店で作ったもののようです。
これはドゥオーモ。
開いていましたが、ミサが始まったところだったので入りませんでした。
その前には、小さな泉。
チョコストアという名のこの店。
チョコレートでできているかのようなものをいろいろと売っています。
奥には、本物のチョコもあるようでした。

パオラから列車に乗ってサレルノの少し南のバッティパリアまで北上し、
今度はポテンツァまで南下しました。
コゼンツァ~ポテンツァ間は、地図上で見ると近いのに、
移動には山をよけるために、遠回りして行かないといけないのです。

パオラ発が12:32でバッティパリア着が15:18(車内で持参の弁当を食べました)、
15:25発に上手く乗り継ぐことができて、ポテンツァ着が16:58。
大した距離でもないのに、実に4時間半近くもかかるのでした。

ポテンツァは、翌日メルフィに行くための1泊だったので
(この時間に着けるなら、一気にメルフィまで行ってもよかったと思いますが
サン・デメトリオからの戻りが遅くなって12時台の列車を逃すと
次は15時半で、それだと乗り継ぎが悪くてポテンツァ着20時ごろになりそうだったのです)
全然下調べをしていなくて、駅に降り立って、びっくり。
まちまで離れていることは覚悟していましたが、
目の前がいきなりすごい上り坂になっていて、宿まで歩こうなんて気持ちは一気に消え失せました。

目の前にアプロ・ルカーニア鉄道の駅があるので行ってみました。
切符売り場は無し、駅員は当然いない、貼ってある時刻表は2015年のもの…
ダメだ、こりゃ。
Trenitaliaの駅に戻って、売店のオニイサンにチェントロにはどうやって行けるか訊いてみました。
あそこのバス停からバスがあるよ、次は…18:05発だよ。
って、時計は17:06!
1時間近く待たないといけないの!!!
タクシーの電話番号は分かりますか?と訊いたら、
呼んでくれました。

10分ほど待ってタクシーがやってきました。
ドライバーのお爺ちゃんが、「ホテルの前の通りは今補修中でね。
すぐ近くまでは行ってあげられるから、心配はいらないよ。」と言います。
そして途中で宿に電話して、「今お宅に向かう客を乗せているから、〇〇広場の方まで迎えに出てくれ。」というのです。
お爺ちゃんは、ちょっと足が悪いのに、広場の手前に車を停めると、
私の荷物を転がして、広場の向こう側まで案内してくれました。
そして細い通りを指さして、ほら宿の人が出てきているのが見えるだろ、あそこだよ」って。
こんなちょっとした親切に出会うと、長旅の疲れも吹き飛びます。

無事にお宿にチェック・イン。
下手したら21時ごろ着く可能性もあったので、B&Bではなくホテルを予約していました。
小ぶりですが、ホスピタリティー溢れる、感じのよいレセプションでした。
必要な説明はすべてしてもらった後、鍵を受け取りました。
広くはないけれど、ホテルらしい設備、気配りの行き届いた品々が置いてあったので
もちろん写真を撮りました。
イタリアにしては珍しくお茶セットもありました。
シャワールーム。
荷を解いて、お茶を淹れて一休みし、まち歩きへと出かけました。

中に入りました。
あの蛇が施された床は、鉄の柵で保護されていました。
全部で4つあるんだよ、と鍵を開けてくれた若者たちが言いました。
あ、これこれ。
入り口に一番近いところに、写真でみた蛇がありました。
思っていたより小さいものでした。
細工がとても細かいのです。
次は別なパターンの蛇。
そしてライオン。
最後の一つは、大分欠けています。
蛇とライオンの間にあるものは何でしょう?

そもそもは10世紀にギリシア人の修道士が庵を結んだ場所で、
11世紀末から12世紀初頭にカラブリア伯の寄進によって
ベネディクト会の修道院が建てられました。

17世紀にはアルバニア移民のために学校として使われ、
その際に鐘楼や玄関間などが取り壊されてしまったそうです。

主祭壇。
この人だけが裸で、股間を葉っぱで隠しています。
中庭というか裏庭に出る出入り口。
独り占めでゆっくり見せていただき、その間3人の若者は静かにおしゃべり。
お礼を言って外に出ました。
この日は、とても寒い日でしたが、晴れていてよかったです。
タクシー運転手のシニョーラは、去年も寒波は来て山に雪が降ったけど
今年は11月に寒波が来てからずっと寒くて、
こんなに寒さが続くことはめったにないのよ、と言っていました。
この寒波は、このあとクリスマスまで続きました。

それから、彼女の住んでいるまちや、他のまちのことをいろいろ聞きました。
ビザンチンの教会があるまちがいくつもあるそうで、
夏の旅行までにいろいろ調べてみようかと思いました。

コゼンツァの駅で降ろしてもらい、
思っていたよりも早い電車に乗れそうです。
自販機で11:37というのがあったのでその切符を買い、
念のため、窓口の女性に尋ねたら、案の定、やはりこの日も列車はなくて代替バス。
しかも本来の11:37の列車がパオラで接続する列車に間に合わせるため
バスの発車は11:08だと言うではないですか!
その時の時刻が11:06だったので急いで乗り場に行って、バスに間に合ったのでした。
パオラに向かうバスの中から見えた景色。
前日よりも風が強く波もあったので、パオラが近くなっても、
美しい写真は撮れませんでした。
パオラから次のまちポテンツァに向かいました。

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