ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2021年04月

ブロンテからエンナまで、1時間半。
走り抜けていくまちのことやこの地の作物のことなどを話しながら、
運転手のジュゼッペはシチリアの大地を飛ばしていきました。
車のガラス越しなので色が青っぽいのはご容赦を。
両側に高くそびえるまちが見えてきました。
左側はエンナ、右側はカラシベッタです。
エンナのまちに入り、やがてまちの中心部にあるホテルに到着しました。

公共交通利用より遥かに高くはつきましたが、
時は金なり、そして肉体的にも精神的にもかなーり楽だったので
やっぱりタクシー利用してよかったと思いました。

乗った車とホテルの隣の教会。
お礼を言ってジュゼッペと別れてチェックイン。
ホテルの部屋の窓からの眺め。
お昼時なので、散歩がてら食事をしに行きます。
ホテルのエレベーターホールの近くのテラスから
部屋とは反対側の眺めが見えました。
やはり道は狭くて、舗道を作れないのでしょうね、
線だけ引いて、舗道を示していました。
バスの通りまで出てみました。
が、食べるのに良さそうなところはなかったので引き返しました。
小さな広場がありました。
(つづく)

ブロンテには午後3時半ぐらいに着いて、
翌朝10時半には出発したので、
滞在時間にすれば19時間ぐらいのものですが、
着いた日に、午後散歩と、夕飯時に宿からチェントロまで2往復し、
それでも翌朝も、車に乗るまでまち歩きをしました。

朝の散歩も同じコースで歩いているのですが、
前日とはちょっと違ったところがあったので写真を載せます。

おや、これはなんでしょう?
こちらにも。
そしてあちらにも。
そういえば、このまちを歩いていてごみ収集箱を見かけませんでした。
道が狭くて、置けないのでしょう。
それぞれの家が、こうやってごみを朝のうちに外に出しているわけですが、
散らからないように、地べたに置かず、フックに下げていました。
上の階の家が、ひもで垂らしているところが何ともイタリアらしいです。

教会のテラスからの朝の眺め。
珍しい円柱形の建物。
アーペは、ここにもいました。
車で売りに来る魚屋さん。
3泊とかなら、作る余裕もありますね。(と次回を考えてしまいます)
前日に結婚式のあった教会。
残念ながら閉まっていました。
サン・ジョバンニ教会という名前なのですね。
それなりに由緒ある教会のようです。
こんな祭壇画があるようです。
この時間だとオヤジさんたちも出ていませんね。
前夜、写真を撮れと言ったオジサンがいたところには、ワンコが。
こちらの教会が開いていました。
入ってみました。
ミサが始まるところでした。早々に退散。
宿に戻ります。
そして、待っていました!お宿の朝食。
マンマのラファエッラが、今朝焼いたというコルネット。
この写真の奥に見えているのが、クレスペッラという揚げ菓子。
これも今朝揚げたものだそうです。
コルネットには、クレマがたっぷり。
このクレマ、ピスタッキオとホワイトチョコを混ぜているのだそうです。
他にも、チョコレートのパウンドケーキのようなものなど数種類あったのに、
ラファエッラが目の前に座って、またまたいろんな話をしたので、
気が付けば写真を撮っていませんでした。

私たちが食べている間に、滞在中のカップルが、
この日は、カターニアのビーチの方へ行くと言って、
朝食をパスして出ていきました。
車があると、ここに滞在してあちこちに出かけられていいですね。
エトナ山の麓には、火山灰の土壌で育つ葡萄から
秀逸なヴィーノを醸しているカンティーナもありますし。

彼らが出て行った後、
ラファエッラに、こうやって宿をやっていると海には出かけないの?
と質問してみました。

「行くわよ~
タオルミーナに海の家を持っていて、
予約が入っていない日とか、ちょっと時間が空いた時に行くの。
イタリアでは、海辺に住んでいない人は、みんな、海辺に家を持っているの。
みんな、み~んなよ。」
(これを聞いているとき、私の脳裏には
「おどるポンポコリン」の ♪そんなの 常識~、タッタタラリラ
のフレーズが流れました。)

本当に全員ではないと思いますが、
貧困層の人たちを除く、ごく一般的な人々が
海や山にバカンスのための家を持っているか借りているのは本当のようです。
昔、ナポリでチャーターした車の運転手氏も、
近郊のビーチに夏の間家を借りていると話していました。

それほど広い土地のある国ではない点では日本と同じようなものなのに
人口密度と文化の違いの差なのでしょうか。

今度は、ラファエッラが質問してきました。
日本の朝食は、塩味だと聞いたのだけど、本当なの?
私が、旅館の朝食のメニューを話したら、
朝から魚!味噌汁!と目を丸くして驚かれました。
普通の家の朝食でも、和食ならご飯と味噌汁と、
卵を焼いたものか干物を焼いたものぐらいは当たり前ですよね。
(我が家は和食ではありませんけれど)

部屋に戻って、昨日買ったままになっていた桃を食べました。
黄桃と白糖です。
それから、またチェントロに行きました。
なぜかと言うと、前夜リストランテに私が忘れ物をしたからです。
私は、ものすごく蚊に刺されやすい体質で、
虫除けを塗るぐらいではだめなので(あんまり塗りたくりたくないし)
電池式の虫除けを足元に置くことが多いのです。
それを置いてきてしまって…

もしかすると、10時ごろなら、準備のために店の裏を開けているかも…
と行ってみることにしたのです。
というわけでこの朝2度目のチェントロまでの散歩。
前日2往復、この日も朝食前と後の2回往復と実によく歩くことになったのでした。

9時ごろに出かけたのですが、この時間帯にごみ収集車が回って、
吊るされたごみを次々と回収していました。(写真なし)

個人の家の庭のピスタッキオの木。
途中にある肉屋の建物の近くにあった看板のようなもの。
歩いていると、向こうから黄色いチンクエチェントが走ってきました。
(うわーっ、チンクエチェントだー!カワイ~イ!!えーっカメラが間に合わない…)
と心の中で叫んだのが、表情から伝わったらしく、
運転しているオニイサンが車を停めてくれました!びっくり。そして嬉しい!!!

ということで、写真を撮らせていただきました。
日陰と日当が半々で、う~んという場所なのですが、
あっちに移動させてと注文をつけるわけにもいかず。
いい感じの写真は撮れませんでしたが、ひとまず撮影。
結局、前夜のリストランテの扉は固く閉ざされたままで、
忘れ物は、そのままになってしまいました。

宿に戻ってチェックアウト。
最後に部屋の壁を撮りました。
壁の絵(シール)は、冬のピスタッキオなのです。
ラファエッラと別れるときに、また戻ってくるわと言ったら、
いえ、次は日本で会いましょ、と言われました。
本当に来るといいなあ。

タクシーをお願いしたのですが、
ラファエッラの知り合いの運転手付きの貸バス会社を経営している男性が
車を出してくれるのでした。
イタリアでよくある、運転手付きの貸車という感じ。

出発前に淹れてくれたカッフェをいただきながら、
車の主ジュゼッペとラファエッラの会話が聞こえました。
「エンナまで1時間半かかるんだよ。その間オレどうしたらいいんだよ。」
「大丈夫、一人はイタリア語を話すから。」
私は、心の中で大笑い。
車を運転している1時間半、話をしないというのが苦痛なのですね、イタリア人は。

出発するときに、ピスタッキオの木を近くで見たいので
1度だけ停まってくださいとお願いしました。
まちのなかには、ほとんどなくて、
1度見かけた木は、そばには近づけなったし、
たくさんの木があるところを見たり、間近で見たりしたかったのです。

車を停める良い場所がなかなかありませんでしたが、
とりあえず停まってくれました。

今年は収穫しない年なので、すでに摘果しています。
車は、エンナに向けて走りました。
ブロンテ編はこれにて終わりです。

ブロンテ散歩の帰り道。

あまり教会らしくない教会。
同じ敷地にあるまちのレクリエーション・センター?
またずんずん上って。
今夜のおかずにいかが、という感じで焼かれている鶏。
美味しそう!
部屋ご飯にするなら、買いたい感じ。
でも今日はリストランテに行くのです~。

行きに準備中だった八百屋も、ばっちり営業中。
桃を買いました。
雲がきれい。
ちょっとしたお屋敷の門扉がフェニックスの透かし模様。
お宿に戻って一休み。
シャワーを浴びました。

西南さんと2人で翌日のエンナまでの移動の検討。
土曜は、ブロンテからカターニアに向かうバスがないのです。
それでも回って行けば行けないことはなくて、
ブロンテからジャルディーニ・ナクソスまでバスで出て、
そこからカターニアまで鉄道、カターニアからエンナまでバス、
というルート。
長いのはともかく、朝7:40発では、朝食が食べられない…
マンマが、ピスタッキオのコルネットを作ってくれると言っているのに…

ブロンテ~エンナを検索してみました。
カターニア経由で高速を走ると128㎞1時間42分と出てきます。
いったいいくらかかるかしら…
シチリアだから、うんと高くても150€ぐらいかなあ、
120ぐらいだとありがたいなあ、と話をして、マンマに訊いてみました。

マンマは、びっくりして、
「えーっ、高いわよ~。1時間半はかかるからねえ…
120€ぐらいは覚悟してね。」とのこと。
そしてマンマの知り合いのタクシーに電話してくれました。
マンマの予想通り、120€でしたので、お願いしました。
うふふ、やっぱりシチリアですね。
120€なら2人で乗れば1人60€ですもの、
そのぐらいなら、出した方が、時間的にも肉体的にも絶対楽。

翌朝早起きの必要もなくなり、安心して夕食に出かけました。
イタリアの婦警さん、かっこいいです。バッグが白というのがいいですね。
私がこの通りの写真を撮ろうと思ったら、
このオジサマ、自分を撮れと言って、ポーズをとってくれちゃいました。
着きました。2回のテラス席に案内されました。
7時半では、シチリアはまだまだ食事をする人はいませんね。
でも予約は入っていて、こうやって準備してあるのでした。

メニューをじっくり検討して、
2人で「シチリアの前菜」というのを1皿。
プリモとセコンドは各自1皿ずつにしました。

その、「シチリアの前菜」。写真が暗くてごめんなさい。
シチリア産のハム・サラミ・チーズにイチジクやパン。
真ん中は、モッツァレッラにパルミジャーノせんべいが差してあります。
どれも美味しくて、後のことを考えると半分量がちょうどいい感じでした。

プリモは、マンマお薦めの海老とピスッタキオのニョッキ。
うま~い!
ニョッキに海老の味がしみていて、
それが刻んだピスタッキオと抜群に合います!
もうほっぺが緩みっぱなしで食べ続けました。

セコンドは、仔牛肉のスカロッピーネ、ピスタッキオのソース。
左側に添えられているのは、ピッツァ・ビアンカです。
スカロッピーネそのものは普通に美味しいのですが、
ピスタッキオのソースがなかなか美味しくてワンランク上の料理になっている感じ。

ヴィーノは、泡を1本と、デッラ・カーサの赤を0.5L。
お腹いっぱいで、ドルチェはパスしてお会計。
大満足で、宿に戻りました。

ジェラートを食べたバールの先の建物。
イタリアって、こういう色の家があっても、全然違和感がないのですよね。
日本だと、微妙な色合いの差で、なんだか下品になってしまうのに。
さらに少し下って行くと、マンマが教えてくれたリストランテがありました。
とりあえず、下見完了。
向かい側の八百屋の前には、店の車も陳列台代わりになって、
大きな西瓜が入れてあります。
オートバイの店。ガンガンとロックがかかっていました。
やっぱりこのまちもオヤジ率が高いです。
教会の前に人だかりが。
婦警さんが、「これからここで結婚式があるのよ、
もうすぐ花嫁の車がやってくるわ。」と教えてくれました。
関係ある人も関係ない人も、大勢で花嫁の到着を待っている様子。
おまわりさんたちは、交通整理に来ているのですが、
実は彼らも、花嫁を見るのが目的のようでした。
やってきました!
花嫁より、花婿と花嫁の父が緊張のおももち。
バスに足止めを食らわせて花屋が飾ったアーチです。
この教会の向かいに、ツーリスト・インフォがありました。
この2階にある絵は、やっぱりピスタッキオなのでした。
翌日の散歩のときにアップで撮ったもの。
あらあら、桃から生まれた桃太郎ならぬ、ピスッタキオ坊やです。
この先に行っても、もう住宅街になりそうだったので、
引き返すことにしました。

これは、また違う教会。
ユーヴェのクラブ・ブロンテがありました。
ジジのファンなのですね。
またまたオヤジの井戸端会議。
小さなCo-opがありました。
入口に、ブロンテのピスタッキオ売っていますの表示。
思わずふらふら引き寄せられ、買ってしまいました。
あ、ピンボケ失礼。下の段のびんがピスタッキオのクレマです。
イータリーより安かったです。やっぱりね。
殻を剥いたものの真空パックもあって、それも買いました。
面白いのが、適当に入れて真空パックしているらしく、
重さがみな違っていて、ちゃんと量り売りの値札が付けられているのでした。

美味しそうにピスッタキオを展示してるバールに入りました。
お腹は空いていないけど、ピスタッキオのジェラートを試したかったのです。
ここには、なんとピスタッキオのアランチーニがありました!
う~ん食べたい!どうしよう・・・
西南さんがジェラートとこれを1個ずつ買って半分ずつにしよう
と提案してくれて、そうしました。
ジェラート。
アランチーノ断面。中にもたっぷり。
甘くしていないので、米にも合います。なかなか美味しい。
刻んだものの袋入りや、クッキー、
そしてここでも殻剥きの真空パックが、たあくさん。
このまちは、本当にピスタッキオだらけなのでした。(つづく)

ブロンテ散歩に出ました。

住宅街にあるB&Bを出てチェントロへ。
チェントロと言ってもお店があるってぐらいのものでしたが。
田舎にも、かっこいい車がありました。
これがメインストリート。バス通りでもあります。
この辺りの黒っぽい火山岩を使った家がたくさんありました。
散歩に出たのが、3時半か4時ごろだと思うのですが、
八百屋が、午後の部のオープン準備中でした。
スイカの並べ方がサボテンみたいで面白い!!

まだ外には2個、後は店内にまだありました。


教会がありました。


20世紀に創建された新しい教会ですが、
崖に建っていて、展望テラスがあるのでした。

そのテラスからの眺め。




↑ごつごつと見えている黒い岩。火山の土壌のまちなのですね。

さらに下って行くと、坂道の壁にピスタチオの木の陶板画。

ピスタチオの木は落葉樹だそうで、左側が冬、
右側が、花が咲いているところです。



さらに坂道を下っていきます。
八百屋のトラックが止まっていました。

その近くには、夏休み中の学校。

この辺りの家も黒い火山岩。

こちらは、ピスタチオ色の建物。

ムニチピオ(町役場or市庁舎)?
その角にはこんな絵が。
Un giorno questa terra sarà bellissima「いつの日か、この地は美しくなるだろう」
マフィアに暗殺されたパオロ・ボルセリーノの言葉です。
一緒に描かれているのは友人のジョヴァンニ・ファルコーネ治安判事。
二人はマフィア撲滅に向けて活動していましたが、
ファルコーネ氏は、高速道路下を通る排水溝に500kgもの爆薬を仕掛けられて殺害され、
その2ヶ月余り後の1992年7月にボルセリーノ氏も車に仕掛けられた爆弾により暗殺されました。
下の掌スタンプは、小学生っぽいですね。

この近くにどうということもないバールがあって、
でもジェラートの文字に惹かれて入ってみました。
ありました!ピスタッキオ(ピスタチオ)のジェラートが。
そもそも、なぜブロンテに来たかというと、
ブロンテは知る人ぞ知るピスタッキオのまちなのです。

私の知人(日本人)がイタリア語の先生に、
「ピスタッキオを食べるときは、ただのピスッタキオではだめよ。
ピステッキオ・ディ・~とつくものでないと。
その中でも、ディ・ブロンテのものは最高よ。」
と教わったそうです。
スローフード協会も、このブロンテのピステッキオをプレシーディオにしています。
(プレシーディオはラテン語で「守る」、イタリア語では「砦」という意味があり、
味の箱舟に認定された品目のなかでも、
特に緊急な支援を必要とするものに対して販売方法を企画・助言し、
小さな生産者や加工業者が作る伝統的な食品の市場進出を促す目的で、
2000年に制定されたものです。)

収穫は2年に1度、9月だそうで、私が行ったのは8月で、
今年は収穫年でもありませんが、
ひょんなことからシチリアに飛ぶことに決め、
その前の2泊をどこに行こうかと考えたとき、
一番にこのまちのことが頭に浮かび、訪れることに決めたのでした。

これがそのジェラート。
なんと1€!
そして、美味し~い!!!
ショーケースを見れば、ピスタッキオのお菓子がいっぱい。
というか他のものがない!
まだ先へ行きたいので、店のオジサンに明日は何時からやっているか聞いてみたら
6時半からやっているよ、というのでびっくり。
確認しましたが、やっぱり6時半。
バールは朝早くから働く人が立ち寄りますからね。
翌日再訪する気満々で、散歩を続けました。

カターニアの空港からバスに乗ってカターニア・チェントラーレまで。
すぐにバスターミナルに向かって、ブロンテに行く切符を買います。
そこで、あれ?バス会社はどこだったけ?ということになってしまって。

予定表はPCを開かないと分からなくて、でも出すのは面倒なので、
行き当たりばったり各バス会社の切符売り場で
ブロンテ行きのバスがあるか聞きました。
シチリアってバス会社ごとに切符売り場があり、
それがまとまった場所にあるわけではないので、ほんとに面倒。

仕方なく、PCを出してみたらInterbusでした。
ということで売り場へ行き、無事切符を購入。
事前に調べていた通り14:15発のバスがありました。
駅に着いたのが13:30過ぎですから、それほど時間の余裕はありません。

乗り場を確認してから、近くのバールで腹ごしらえ。
まさかエアが40分も遅れるとは思っていなかったので、
昼は、もう少しゆっくり食べられると思っていたのですが、
アランチーノ1個と水で大急ぎで食べるしかありませんでした。
なかなか美味しかったので、もっとゆっくり食べたかった…

無事にバスがやってきて、乗車。
運転手氏に、宿のある通りを言って、
そこに一番近いバス停で降ろしてくれるようお願いしました。
やはりエトナ山は、雲の中。
火山灰の土壌の地域をバスはゆるゆる上って行きます。
ブロンテに入った道路標識が見えてから、
これがピスタチオの木なのね!という木々が見え始め、
その土壌は、ごつごつ黒々としていて、いかにも火山岩という感じです。

バスは、まちの中の細い通りを、駐車している車をよけながらゆっくり進みます。
そのうち、教会の前に停めていた花屋の車が邪魔して進めなくなり、しばし渋滞。
花屋は、教会の入口に鉄のアーチを置き、花を飾りつけていました。
(フェラゴストだからかと思ったら、後の散歩で結婚式のためと分かりました。)
花屋が車を少し動かし、バスはまた動き始め、
ゆっくり進んでいく途中で撮った写真。
運転手氏が、バス停でない場所でバスを停め、
横の通りを指さして、これが○○通りだよと降ろしてくれました。
イタリアの田舎のバスって、こういうゆるさがとってもいいですね。
お陰様でバス通りから宿まで最短で行くことができました。
とは言え、ずうっと上り坂で200m以上はあったのですけれど。

汗だくになって、予約のB&Bに到着。
ちょっとポップ過ぎる印象。
ここで呼び鈴を鳴らしたら、お母さんが出てきて、
こちらのフェンスを開けてくれました。
小さな植木があるところが入り口です。
とってもシンパティカ(フレンドリー)な女主人で、
早速チェックインの手続きをしながら、たくさんの話をしました。
「私の友人が日本に旅行してね、すっごくよかったと言ってたのよ。」
「美味しいレストランは○○よ(地図に印を付けながら)。
ここに行ったら、ピスタチオと海老のニョッキを食べなさいね。」
「明日の朝は、ピスタチオのコルネットよ~。」等々。

その後、部屋に案内されてびっくり。
この宿は、選んだというよりここしかないという感じで予約したのです。
ブロンテには宿そのものがほとんどなくて、
それも皆チェントロからは外れた場所にあって、
その中ではここが一番チェントロに近かったのです。
それなのに、何この部屋は!もう住みたくなるような部屋なのです。
ベッドが2つ欲しいとリクエストしておいたのに、上の写真はダブルベッド。
と思ったら、ベッドの頭の低い仕切りの向こうに、シングルベッドがあるのでした。
そしてお花のある台は、小さなカウンターテーブル。
ということは… そう、キッチン付きだったのです!
上の写真の一番奥の扉は、上が冷凍室で下が冷蔵室という大きな冷蔵庫。
テラスも広い!
そしてこの眺め。
シャワールーム
写真は撮り忘れましたが、洗濯機まであって、
これが1泊1室60€なんです。(クレジットカード不可)
すっかり気に入りましたが、部屋でゆっくりはせず、まずはまち歩きに出ました。

ローマ1泊が明け、5:40起床。支度やパッキングをして
7時ちょうどに朝食。8時前にチェックアウトしてフィウミチーノに向かいました。
せっかく早起きして早めに空港に行ったのに、
何と出発が40分も遅れてしまいました。
やっぱりねえ、という感じではありますが。

今回カターニアに飛ぶのに、珍しく意識して、空からの景色を楽しみたいと思い、
窓側の、翼が邪魔にならない席を選びました。

フィウミチーノを飛び立って間もなくの景色。
その後は、しばらくずっと海と陸が見えていましたが、
シチリアが近くなると、エオリエ諸島が見えてきました。

勝手にストロンボリとかリーパリだと思って撮っていたのですが、
今、エオリエ諸島の地図と比べてみると、ちょっと違っていて。
ひとまず、地図を載せます。
比較してみると、おそらくこれがアリクーディ島です。
アップにしてみても、雲が邪魔なのですが、形ははっきり分かります。
そしてこれは、フィリクーディ島。
かすかに見えているのは、サリーナ島でしょうか。
自分が訪れたことのある島々が見えるだけでなんだか嬉しくて、
かなり真剣に目を凝らして眺めました。

ほどなくシチリア本島が見えてきました。
残念ながら、エトナ山は雲に覆われて見えませんでした。
そしてカターニアに到着。
遅れはしたものの、無事到着してやれやれなのでした。

さて、今度は左側のテオドート礼拝堂(Cappella di Teodoto)で
プロジェクションマッピングが始まりました。
この礼拝堂は、教皇ザッカリア(741-752)時代のもの。
プロジェクションマッピングが終わっての実物の写真。
撮ってきた見取り図や説明書きの写真をつぶさに見て
どれがどこにある何という作品なのかを整理するには時間がかかるので
順番がごちゃごちゃになりますが、適当に載せます。
(いずれ時間ができたら、自分のためにきちんと整理したいと思いますが)


先に観た友人が「ねずみ男」っていた絵。
もうちょっとアップ。ほんと、「ねずみ男」みたい。
聖堂を出ました。
多分フォーロ・ロマーノを眺めている鈴なりの人々。
とても満足して、バス&トラムで宿に帰りました。
途中で買ったビールを部屋で飲み、その後少し休んで夕食へ。

何しろローマの目当てはたった1つでしたから、
夕食は宿の近くで適当に、と考えていました。
オ・ズバリアートのおばあちゃんの店へ。
(この店に以前2日連続で行ったのですが、自慢はニョッキなので、
前日はトマトソースのニョッキにしたので、
2日目は海老のトマトソースのニョッキをオーダーしたのに
前日と同じものが来たので「今日は海老入りだよ」と言いはしたものの
まあ美味しいからいいやって、改めて作ってもらうことはしませんでした。
去り際に、おばあちゃんがHo sbagliato(オ・ズバリアート=間違えちゃった)
とつぶやいていたのがとっても可愛くて、
以来、私たちは「オ・ズバリアートのおばあちゃん」と呼んでいるのです。)

宿に戻るときに、
その店のシャッターが半開きだったので、食事時になれば開くと思っていたら、
7時過ぎに行くと、オ・ズバリアートのおばあちゃんが店の前の椅子に座っていて、
その横には、震える手でサーブするおじいちゃんと
息子(と言ってもそれなりのおっさん)もいて、
「今日は休みだよ。今日から休みに入ったのよ!」と
なんとも清々とした顔で言われてしまって。

さて、どうしたものか。
西南さんは、夜行列車でローマに来て疲れているはずだし、
私も、翌日のことを考えたらたっぷり寝ておきたいので、
この時期チェントロまで行って開いている店を探しても
美味しい店を見つけるのは無理だと思うので、
結局近くの中華料理の店で食べました。

たった1日のローマは、これにておしまい。
でも、大満足でした。

トリノから列車でローマへ、そして翌日にはローマからカターニアへ。
トリノから直接飛ぶ方がよさそうなものなのに、
わざわざローマに行ったのは、どうしても見たいものがあったからです。
それが期間限定の公開で、この旅行で観ないと、冬には見られないものなのです。

ローマのホテルで旅先のオーストリアから飛んできた西南さんと合流。
私より彼女が先に着いて街に出ていたのですが、ホテルまで戻ってきてくれました。
午後3時ごろに出かけて、フォーロ・ロマーノへ。
この聖堂、フォロ・ロマーノに面したローマ皇帝の宮殿の一角にあります。
6世紀に図書室を改築してキリスト教聖堂にされました。
9世紀に地震で倒壊し放棄されていましたが、1900年から発掘がおこなわれ、
多くの貴重なフレスコ画が残っていることがわかったのです。
1980年代より修復作業に入って以来、一般公開されるのは実に30年ぶりとのこと。

イタリア好きの知人2人が観て来たと聞き、私も観たくてたまらなかったのです。

チケットを買い(フォーロの入場券12エウロ)
まっしぐらにサンタ・マリア・アンティークア聖堂へ。
青銅への入口となる広間
こんなふうに屋根がかけられていたのですね。

いよいよ聖堂に入ります。
ローマには、この時代の教会遺跡はほかに存在していません。
古代はともかく、帝国崩壊後のこの時期の遺跡がほぼ無いのです。
キリスト教教会は、ローマ帝国の時代には「異教」であり、
4世紀に入って、キリスト教が帝国の国教として認められると、
本格的な教会が建てられましたが、
他の公共建築と同様に時が建てば必要に応じて改修、改築されていくので、
古い時代のまま残る例は稀なのだそうです。

色ガラスや色石をモルタルに埋め込んだモザイクは丈夫で長持ちするため、
テルミニ駅近くのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の中には、
5世紀のモザイクが残されていますし、
他にも、幸いなことに各時代のモザイクがまだ残っていますが
壁画はモザイクほど丈夫でなく、漆喰を塗ってしまえば上描きも簡単なため、
昔のものほどそうして封印されてしまうことがほとんどなのだそうです。
そういう意味で、この聖堂は本当に貴重なものなのです。
左右の礼拝堂では、プロジェクション・マッピングで
復元想像画像が数分おきに映し出されていて
それが始まるちょうど良いタイミングで観たり、
それが終わるちょうど良いタイミングで実物を観たりするため、
待っている間にほかのところを観ました。
このフレスコ、素朴な表現が、とっても好み。
このモザイクは、バチカンのサン・ピエトロの古い聖堂にあった
失われたジョヴァンニ7世の祈祷所のものだそうです。
これも同様の祈祷所にあったもの。
「マギの礼拝」のシーンから取った、聖母子とヨゼフと天使。
向かって右の医療聖人たちの礼拝堂(Cappella dei Santi Medici)で
プロジェクションマッピングが始まりました。
この礼拝堂は、教皇ジョヴァンニ7世(705-707)時代のものだそうです。
映像を観て、それから本物を観て。
(つづく。)

自動車博物館の後は、リンゴットのイータリーでお買い物。
まだまだ旅を続ける私は、今晩のおかずに使う材料を選び、
友人たちは、自分土産食材を購入。
店の中にチンクエチェント!
白より、この色の方が断然素敵ですね~

ペコさん夫妻はいったんホテルに戻り、
私たちは、アッパルタメントへ。
昨日買った24時間券が、ぎりぎり間に合う時間に乗れました。
この乗車券は5エウロなので、5回乗れば元は取れましたね。

部屋に戻って順番にシャワーを浴び、
その間手が空いている人が夕食を作り、
完成したころにペコさん夫妻もやってきて、
最後の晩餐は、5人で部屋ご飯。

イタリア料理だけど日本人だから、全部一緒にテーブルへ。
黄桃ブッラータ。
黄桃は朝の市場で買い、
ブッラータはイータリーで購入した500gぐらいあるもの。
これだと5人でも食べても、物足りなさがありません。

こちらは、花ズッキーニのリコッタ詰め焼きと
それに付いていたミニズッキーニ焼き。
やっぱり、美味しい~

そして、キアーヴァリ滞在中にポルトヴェーネレで買ったペストで作った
インゲンを入れたトロフィーエのアル・ペスト・ジェノヴェーゼ。
(ピンボケ失礼)
あとは、クオーレ・ディ・ブエとレタスのサラダ、
そして残り物のくっさいチーズ。
見かけはともかく、食材はどれもよいので、美味しいことこの上なし!

ヴィーノは、エリオ・フィリッピーノのカンティーナで買った
ランゲ・アルネイスとランゲ・ロッソ。(写真なし)
このクラスでも十分美味しくいただけました。

翌朝は、私は10時発のフレッチャ・ロッサでローマへ行き、
他の人たちは11時ごろのバスでマルペンサに向かいます。
まだ時間があるので、イプさん、リトルさんのリクエストでまた市を見に。
(宿の近くの小さな市なのに、毎日開いているようなのです)
彼女たちは追加土産のお菓子を買い、
私は列車内の昼食用に、トマトとチーズの乗っているフォカッチャを買いました。
二人と別れて、私は駅へ。
2か月ぐらい前に買ったスーパーエコノミーチケットでローマに向かいました。
(ピエモンテ編おしまい。)

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