ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2021年06月

エレミターニ教会に入りました。
このフレスコ画がとても気に入りました。
中央あたりは、たくさん白いものが貼ってあって、見難いのですが、
オヴェタ-リ礼拝堂にある、マンテーニャのフレスコ画「聖クリストフォロの物語」です。

このエレミターニ教会は、1944年米軍の爆撃により、完全に破壊されたのだそうです。
その時、瓦礫の山と化した教会跡から、このフレスコ画をいつか修復しようと、
できる限りの破片を集めて、箱に詰めて保存しておいたとのこと。
イタリア人って、いい加減のようでも、こういうところってすごいですね。

不幸中の幸いが2つあり、
1つは、戦前の、白黒ではあるものの全体の写真が残っていたこと、
もう1つは、礼拝堂向かって右壁、「聖クリストフォロ物語」のうち1番下の場面は、
当時、修復のためにそこから剥がされ、別の場所に保管されていたため、
爆撃による粉砕を免れたことだそうです。
少しずつ、少しずつパズルのコマを埋めるように「修復」作業を続けてここまでできたと思うと
何も知らずにただ、きれい~、でも傷みが激しいわ・・・なんて思ったことがもったいなく思え、
またパドヴァに行ったら違う気持ちでこの絵を見たいと思います。

以下に部分部分を載せます。
傷んではいるものの部分部分は美しく、この物語の内容を知りたくなり、
ちょっと調べてみました。

クリストフォロスの物語は教派によって微妙に異なっているそうなので、
カトリック教会における伝承を載せます。(Wikipediaより)

<聖クリストフォロ>
「伝承ではクリストフォロスはもともとレプロブスという名前のローマ人だったという。彼はキリスト教に改宗し、イエス・キリストに仕えることを決意したという。別の伝承ではカナン出身でオフェロスという名前だったともいう。彼は隠者のもとを訪れ、イエス・キリストにより親しく仕える方法を問うた。隠者は人々に奉仕することがその道であるといい、流れの急な川を示して、そこで川を渡る人々を助けることを提案した。レプロブスはこれを聞き入れ、川を渡ろうとする人々に無償で尽くし始めた。
ある日、小さな男の子が川を渡りたいとレプロブスに言った。彼があまりに小さかったのでお安い御用と引き受けたレプロブスだったが、川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、レプロブスは倒れんばかりになった。あまりの重さに男の子がただものでないことに気づいたレプロブスは丁重にその名前をたずねた。男の子は自らがイエス・キリストであると明かした。イエスは全世界の人々の罪を背負っているため重かったのである。川を渡りきったところでイエスはレプロブスを祝福し、今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストフォロス」と名乗るよう命じた。
同時にイエスはレプロブスが持っていた杖を地面に突き刺すように命じた。彼がそうすると杖から枝と葉が生えだし、みるみる巨木となった。後にこの木を見た多くの人々がキリスト教に改宗した。この話は同地の王(伝承によってはデキウス帝)の知るところとなり、クリストフォロスは捕らえられ、拷問を受けたあとで斬首されたという。」

最後の写真の、横たわっている大男の足がクリストフォロなのですね、きっと。
各場面の話を知りたくなってしまいます。

このフレスコ画の作者、マンテーニャと私の出会いは、
マントヴァのドゥカーレ宮殿のフレスコ画です。
すっかり気に入って、大きなポスターを買って帰り、我が家の廊下に飾ってあります。

でも、深く追究しないというか、ちゃんと勉強しない人間なので、
彼について調べてみることなどしませんでした。
ですから、マンテーニャがパドヴァ近郊の生まれで、
このフレスコ画は、かなり初期のものだということを、
このフレスコ画を見た後に調べて知ったのです。


マンテーニャは、パドヴァ近郊の小さな村で1431年に生まれました。
10歳頃に、パドヴァのフランチェスコ・スクアルチョーネの下に「養子」扱いで弟子入りし、
1448年には、独立、ニコッロ・ピッツォロとともに
エレミターニ教会内オヴェターリ礼拝堂のフレスコ画を請け負いました。
ここで一気に評価を得た画家は、1459年、
ヴェローナのサン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂の祭壇画を仕上げました。
1460年には、ルドヴィーゴ・ゴンザーガからお抱え画家としてマントヴァへ。
そこで生涯を閉じたそうです。

私は、遡る形でマンテーニャに出会ってきたのだと言うことが分かりました。
つまり、初めにマントヴァの宮廷画の数々を見て、
それからヴェローナ、サンゼーノ・マッジョーレ聖堂の祭壇画、
そしてやっと、この初期の作品に辿り着いたというわけです。

この教会は、思いのほか見応えがあって、これまで入らなかったのが
本当にもったいなかったと思いました。

ラジョーネ宮地上階の市場を出ました。
外も、1月6日まではうきうきモード。
いろいろなドライフルーツに、目がそそられます。
ピアノの音が聞こえてきました。
どうやって運んだのでしょう。
車の通行が止められているとは言え、路上にグランドピアノ!
私が立ち止まっている間に、だんだん人が集まり始め、
けっこうな数の人々が聞いていました。
台の上の帽子が、お金を入れるところ。
お札を入れている人もいました。
この方、自分のCDの販売もしていました。

ストリートミュージシャンのピアノを聞いた後、
エレミターニ教会の方へと歩きました。
この人たちは、大きなシャボン玉を作って遊んでいました。
シャボン玉、見えますか?
街灯にシクラメン
エレミターニ教会についてはまた次回。

ラジョーネ宮を見た後は、エルベ広場の市場をじっくり見ました。
今回びっくりしたのは、ミネストローネやパスタソース、サラダなどのために、
洗って、切って、ミックスして袋詰めしたものがたくさん売られていたこと。
割高ではあっても、何種類かの野菜や豆を買うことを考えたら、
核家族なら安上がりのようにも思えます。
こういう売り方をするということは、それだけ買う人もいるということで、
イタリアも変わってきているのだなあと実感。
カルチョーフィのスライスや、プンタレッレも!
部屋ご飯用にプンタレッレを買いました。
楽しみ!
何しろ↓これ1個買っても、残り1泊1人分には多すぎますから、こういうのは助かります。
カルドも切ったものがありました。でも一度に何種類もは無理・・・
何しろ、朝のうちに魚屋で海老と烏賊を買ったし・・・   諦めました。ナメコに似た茸もありました。
ラジョーネ宮の地上階の店も見に行きました。
日本では、なかなか見かけないブロックの肉!
馬肉専門店
この店で、馬肉の干し肉をバラバラにしたものをじいっと見ていたら、
店のオジサンが、味見してみる?と少し出してくれました。
美味しい!ビールにもヴィーノにも合いそうです。
買って帰ろうかしら、と迷いましたが、まだ旅は1週間ほど続くので、
やめることにしました。

この時期なので、パネットーネなどもあちこちに。
1月6日のエピファニアに向けて、ベファーナ(魔女のお婆さん)も。
つづく。

パドヴァの続きです。
昼食の後は、ラジョーネ宮に行きました。
'06-07年の冬に滞在したときに見たのですが、
夕暮れ時に行ったので、見ているうちにどんどん暗くなり、
よく見えなかったので、再訪したいと思っていたのです。

これがラジョーネ宮の建物。
こちら側にエルベ広場があり、反対側にフルッタ広場があり、
毎日市が立っています。
この建物の地上階も市場になっています。
横にある階段を上り、中2階のようなところでチケットを買います。
階段の途中から見下ろしたカフェ
廊下の天井も美しいです。
中はこんなに広い空間です。
建物は1218年に着工、1306年に完成、裁判所として使われてたそうです。
大きな木馬があり、ドナテッロによるガッタメラータのコピーだとか。
角度が違うので、よくわかりませんが、そういわれればそんな気もしますね。
これが、聖アントニオ聖堂のガッタメラータ像
ラジョーネ宮は、1219年に着工され1306年に完成しました。
縦80m、横27m、高さは40mあるそうです。
以前はジョットのフレスコ画もあったそうですが、
1420年の火災で焼失してしまい、
現在見られるフレスコ画は、1425~1440年ごろに、
Pietro d'Abnoという哲学者・医学教授でもあった人の占術論をもとに
Nicola` MirettoやStefano da Ferrara等の画家によって描かれたものとのこと。
占星術、日常生活、宗教関連の絵が描かれています。
これは、チケットに使われている絵です。
たくさん写真を撮ったのですが、今日はランダムにいろいろなものを載せました。
この後まち散歩をしたのですが、それはまた次回。

魚屋で買ったものを冷蔵庫に入れて、
再度出かけ、スクロヴェーンニ礼拝堂に行きました。
ここは、初めてパドヴァに行ったときに観て以来、
パドヴァを訪れたら、必ず行くところです。
予約制、そして15分の入れ替え制で、いつもあっという間に時間が過ぎてしまいます。
写真撮影はできないので、画像はありません。

スクロヴェーンニ礼拝堂の切符売り場は、すぐ近くの考古学博物館の中にあり、
考古学博物館は無料で見られるので、そちらにも入りました。

細かな模様、美しい色遣いのモザイク
こらはお墓のもの?
これは、綴れ織りのカバー、絹と麻製らしいです。
図柄が面白いと思って、けっこうズームにしてもこのぐらいまででした。
この布も、図柄が素敵。
うんとズームにしてみました。
この写真を撮っているところで、係員の方にNo,photoと注意されて、
初めて写真撮影禁止であることが分かりました。
というわけで、これ以降の写真はありません。

お昼になったので、昼食を外で食べることにしました。
この日は、アーモイタリアのサイトで地元の人に人気のカジュアルな店と紹介されている
オステリア・デイ・ファッブリという店に行きました。
行ったのが12時半過ぎなのに、けっこう混んでいて、
私が入ったら次からは断られていました。
前菜には、ガチョウの燻製をいただきました。
たっぷり!
下に野菜が敷いてあって、その上に何枚もガチョウの燻製が乗っています。
薄切りパンのトーストとたっぷりのバターが添えてあって、
それらとともにいただくと、とても美味しかったです。
あまり薄過ぎない切り方で、ガチョウの肉をしっかりと味わうことができました。

ここのデッラ・カーサの赤は、デッラ・カーサにしては安くなかったのですが、
それに見合ったしっかりした味のものでした。

プリモは、ポロ葱とサルシッチャとミックス茸のパッパルデッレ
葱の甘さがよく出ていて、これまたとても美味しい一皿でした。
そして、ドルチェも。
トロンチーノのセミフレッドです。
トロンチーノは、ハチミツや砂糖、卵白などを練ったトローネと呼ばれる生地に、
ヘーゼルナッツなどのナッツ類を混ぜて固め、ひと口サイズに切り分けたスイーツです。
それのセミフレッドって、私は初めて食べました。
満足。

この店、まちの中心部のエルベ広場のすぐ近くなので、
パドヴァに行かれる方には、お奨めです。
つづく。

バッサーノ、マロースティカに日帰りした翌日は、
1日のんびりパドヴァ観光しました。

スクロヴェーンニ礼拝堂に行くつもりで部屋を出ました。
ところが、近くにある魚屋に、前日はまだほとんど何も並んでいなかったのに
今日は、この品揃え。
キッチン付きに泊まっているのですから、我慢する必要も無く、
でも一人なのでたくさん買うわけにもいかず、
海老と烏賊を買いました。
宿に戻って冷蔵庫に入れ、出直し。

ついでに、アッパルタメントの階段などの写真も撮りました。
これが私の部屋の入り口


階段
あ、こんなの載せてたら、もう時間が・・・
ごめんなさい、続きはまた明日。

一杯になったお腹をかかえて外に出ました。
もう、市は跡形もなく消えていました。
下の城がよく見えます。
城のチケット売り場が、まちのインフォメーションにもなっていました。
(いや、その逆かしら。)
人間チェスの祭り、2016年は、9月の9日・10日・11日のようです。
(やっぱり無理・・・)
お腹が一杯で、城の内部を見る気力もなくなり、
まちをちょっと歩いたのですが、チェスの駒を作ったり、売ったりしているかと思ったのに
それらしきものを何も見ませんでした。

唯一ここだけが、チェス会館のようなもので、
まちの人も、観光客も自由に入って、チェスの試合をすることができるのでした。
立派なサイズのチェス盤と駒で、
チェスを少しでも知っていたら挑戦してみたかったです。
(知識ゼロなので、無理でした。)
もう帰ることにしました。
帰りは、バスでヴィチェンツァに行き、
ヴィチェンツァで寄り道する気力も湧かず、
すぐにあった列車でパドヴァに戻ったのでした。
日帰り旅、おしまいです。

マロースティカの山の上の城まで歩きます。
少し上った辺りの家のドアの前に、ブサカワのニャンコがでーんと座っていました。
カメラを向けても全然動じず座ったままだったのに
私が思わずくすりと笑うと、おもむろに立ち上がって歩いてきました。
こっちに来るのかしら、と思うと家の裏の方に行ってしまいました。
道は、まちの城壁を横に見て上るかと思えば、遠ざかる形で曲がり、
綴れ折で進んで行きます。
自転車の人もかなりいました。
途中までは、どこかに抜ける道と同じようで、
車がどんどん私を追い抜いて行きました。
そしてここからが、城へと向かう道になります。
ornitologicoって何?と調べてみたら、
鳥類学の、という意味でした。
でも、そのムゼオは閉館でした。(開いてても入りませんけれど)
あと一息と言う斜面は北向きらしく、日陰で、道が凍っていました。
入り口の門が見えました。
マロースティカの城は、
この地を統治していたヴェローナのスカーラ家が14世紀に建てたもので、
カステッロ・インフェリオーレ(Castello inferiore=低い城)と、
カステッロ・スーペリオーレ(Castello superiore高い城)と呼ばれています。
この門をくぐると・・・
なーんだ、何にも無いじゃないの。
リストランテがあるだけなのでした。
とってもがっかりしてそこは撮り忘れてしまったようです。

眺めはいいのだけど、逆光でよく見えないし、写真もうまく撮れないし。
とっとと下におりることにしました。
上りは30分かかりましたが、下りは20分でした。
お腹が空いたので、まちの中でさっき歩いた道すがらにあった
目を付けていた店に入りました。
目を付けていたのは、この貼紙に惹かれたからです。
A-プリモ、水、ヴィーノ、カッフェで10€
B-プリモ、コントルノ(付け合せ)、水、ヴィーノ、カッフェで13€
C-セコンド、コントルノ、水、ヴィーノ、カッフェで13€
D-フルコース(プリモ、セコンド、コントルノ、水、ヴィーノ、カッフェ)17€

なんて素敵!
ローマ辺りでMenu Turistico14€なんていうのを見かけますが
それって、コントルノなんか付かない、
プリモ、セコンド、水またはヴィーノ程度ですから、
コントルノが付き、水もヴィーノも、そしてカッフェまで付くコースメニューは珍しく
しかもそれが17€って、どんなものが出てくるのかしら?
と興味津々だったのです。

1時ぐらいでしたが、地元の客でいっぱいでした。
中には、作業着姿の人たちも。
お仕事の人たちがランチを食べに来ているような店なのです。

水とヴィーノがやってきました。
1/4Lなのに1/2Lの容器の3/5ぐらい入っていました。
こういう気前のいいお店、大好き。
プリモの、仔牛のラグーのヴィーゴリ(うどんみたいに太いパスタ)
なかなかいい食感に仔牛のさっぱり感のあるラグーが絡みます。

セコンドの牛肉のボッコンチーニ(一口サイズ)のラディッキオ煮込みとコントルノ
すごいボリュームです!
コントルノだけでこれです。(ズッキーニ、ポテト、カリフラワー)
そしてボッコンチーニには、お洒落に盛り付けたポレンタも付いています。
この煮込みソースには、地元の特産のラディッキオが入っていて、
牛肉を食べ、このソースとポレンタを一緒に食べすると
口いっぱいに美味しさが広がりました。
コントルノもあつあつで出してくれて、美味しかった~!大満足!!!

カッフェで〆て、本当にコペルト(席料)も付かない17€ぽっきりなのでした。
この店には、個人的にイタリアのランチ大賞をあげたいと思いました。

マロースティカまでは、20分ほどで着きました。
着く前に、バスから山の上の城が見えました。
バスは、前に通ったときとは全然違うところに止まりました。
?と思って歩き始めると、すぐにその訳が分かりました。
この日は、市の立つ日だったのです。
前にバスの中から見たまちの城(山の上とまちと両方にあるのです)
周辺は
全然違った景色になっていました。
それにしても、なんて美味しそうな野菜たちでしょう。
門をくぐって中に入っても、やはり店、店、店・・・でした。
城の前のスカッキ(=チェス)広場には、店は出ていませんでした。
でも、ここにも小さなスケートリンクが。
ひとまず、山の上の城に行くことにしました。
途中にあったカフェテリア
何だか素敵な感じの花屋さん
別の門から出ます。
大きな(というか高い)扉ですね。
外から見たところです。
この近くから、上の城Castello Superioreに登っていく道がありました。
さて、道の途中やら、上の城のことはまた次回。

バッサーノと言えば屋根付きの橋、と言うわけで
すでに2度訪れているのですが、今回も見に行くことに。
手前で工事をしていました。

え?あら?橋も工事中。
橋からの山の景色も工事越し。
というわけで橋全体が見渡せる、少し川下の方に行きました。
うん、これなら問題なし。
さて、そんなに時間があるわけではないので、駅へと戻ります。
自転車とかスクーターに花やら小物やらを飾って、店の前に置いて店の飾りにしてしまうのが結構あって、素敵だなあと思います。上の写真の下の方に写っているプレゼピオ
本当に駆け抜けるような短い散歩でした。
バスの乗り場は、駅のすぐそばです。
乗る前にトイレ休憩。
このバール、トイレ休憩の客(?)でかなり繁盛していました。
定刻に発車してバスでマロースティカに向かいました。

↑このページのトップヘ