ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2021年09月

夕方、パルマからモデナに戻り、
今度こそ、クリプタを見ようとドゥオーモへ。
残念。
またまたミサをやっています。
今度は待ってみることにしましたが、
こんなに長いことやるのね・・・ってぐらいやっていて、
その間、近くで写真を撮るなどしていたのですが・・・。
しびれをきらして退散。
翌朝のミサの時間を確認し、それを外して見に来ることにしました。

宿の近くの目当てのオステリアには、こんな貼紙が。
8月9日から23日は、ランチタイムは閉店。
(ディナータイムは営業)
8月15日はランチタイムもディナータイムも営業。
つまり、この日も夜はやっているというわけで。
やった!部屋で休んでから食べに来よう。
と思ったはずだったのに・・・

部屋でゆるりとくつろぎ、シャワーも浴びてしまったら、出かけるのが億劫になり、
おまけに、パルマでお昼にがっつりと食べてきたので、
それほどお腹が空いていないことに気が付き、
結局食べに行くのを止めにしたのでした。
ハム・サラミたっぷり&パルミジャーノやバターも入ったリゾットをどっさり食べると、
魚介と違って、ボディーブロウのように後からきいてくるものなのですね・・・
手持ちの食料を適当に食べ、
ヴィーノはローマで飲もうと買っておいたものを飲みました。

と言うわけで、翌8月19日。
この日は、実質的にこの旅行の最後の日です。
午後にローマへ移動して、空港近くのホテルに泊まり、
翌日は早朝の便で帰国なのです。
ローマは事実上素通りになるので、自宅用の食材や、
友人たちへのバラ撒き土産を買いたくて、スーパーマーケットに出かけました。
モデナは、チェントロにはスーパーがなくて、ちょっと外へと歩きました。
この間は、写真に撮るほどのものが無かったので写真はありませんが、
ここに書くべき出来事は起こったのでした。

スーパーまでそこそこ歩いたので、帰り道でトイレに行きたくなり、
通りかかったバールに入ったのです。
バールのオネエサンにトイレを使いたいと言うと、
「うちのトイレは、外にあるのよ。
この建物の端の旅行代理店の向こうに門扉があるから、
そこを開けて、右側のドアがトイレよ。」
と鍵を貸してくれました。

そこまではよいのです。
門扉は、開いていました。
中に入り、門扉を閉めました。
なんだ、鍵は要らなかったのね、と思ったら、
その鍵は、トイレの鍵だったのでした。

用を足し、トイレのドアに鍵を掛け、
門扉を開けようとしたら・・・ 開きません!
こういうところは、たいてい電気錠になっていて、
ちかくにあるボタンを押すと、カチンと掛け金が外れるのですが、
そのボタンは見つかったものの、カチンと音がしないのです。
どうやらボタンとドアをつなぐ線が切れているようで。

え?開いている門扉を閉めてはいけなかったわけ?
そんなことオネエサン一言も言わなかったし・・・
どこをどうやっても門扉を開ける術が見つかりません。
奥の建物の人に助けを乞うにしても、奥に行くドアにも施錠されていて・・・
こういうときに、イタリアの建物のセキュリティの高さと言うか、
絶対に泥棒には入れないほどがっちり鍵がかけてあるのが逆に困るわけで。

道路に向かって「助けて~~~」って言わないとダメ?
それにしても、人通りはないし・・・
少し待っていたら、一人のシニョーレが通りかかるのが、門扉越しに見えました。

「すみません、シニョーレ!」大き目の声で、呼びかけたら、
立ち止まってくれました。
「この建物の向こうの端にあるバールの女性に、
この門扉を開けてくれるように頼んでいただけませんか。」
とお願いしてみました。

彼が、ちゃんと私の願いを聞き入れてくれ、
バールのシニョーラが、ドライバーを持ってやってきました。
ドライバーで、鍵のところをチャカチャカッといじると、
門扉は開いたのでした。

やれやれ。
ありがとう。
(でも、こんな電気錠の線ぐらい直せよ!)心の中で言いました。

イタリアの旅では、ほんとにいろんなところに閉じ込められたことがあります。
もう、鍵の不具合ぐらい、ちゃんと直して欲しいですよね。
まあ、これも「おおらか・おおまか」なところですから仕方なし。
(イタリア好きの友人の言う↑このフレーズ、とっても気に入っています。)

お宿に戻って、パッキング。
そしてチェックアウト。
荷物を預かってもらって、まずは市場に向かいました。

エレガントな雰囲気のサルメリア(ハム・サラミ屋)
通りかかった教会に入ってみました。
なんと、中は大々的に修復中で、ほとんど全部に幕が張られていて、
何も観ることができませんでした。
市場は今日も開いていました。
ここへ来た目的は、ローマのホテルでの晩ご飯を調達するためです。
ホテルの食事は高いし、その割りに面白みがないし、
それなら部屋でくつろぎながら飲み食いしたほうが楽しめるのですもの。
夜まで持ち歩いても大丈夫そうなものを買いました。
無理なもの、宿では調理できないものも、美味しそうだなあ・・・と眺めつつ。
さて、買い物はすべて終了。
最後にドゥオーモのクリプタを観なくては!(つづく)

パルマに出かける前に、モデナの朝散歩をしました。
斜めの光が爽やかな夏の朝です。
エディコラ(新聞・雑誌販売店)も、古いまちにぴったりの色や形です。
前日見られなかったクリプタは、今度は朝のミサらしく、
中に入るのはパルマから戻ってからにすることに。
美しい後陣の外観。
この日は、8月18日でまだフェラゴストのヴァカンスシーズンなので、
公設の屋内市場は休みなのだろうなあ、と思いつつ行ってみたら、
開いていました。
というか、休むか開けるかは店ごとに決めるらしく、
閉めている店もたくさんあって、閑散とはしていますが、いくつか開いているのでした。
バルサミコのお店には、量り売りも。
市場では、安売りもしていました。
肉屋です。
なんとビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ用の肉が、
1kg14.90€!(日本式に100g当たりの値段だと1.90€、つまり250円もしないのです!)
チーズ屋さんも開いていました。
でも、このときは、パルマに行く前だったので、
何も買いませんでした。

駅に向かいます。
この辺りから地図を見て駅への近道に入りました。
あら、素敵。
錠前屋さん?金属加工の工房?
よく分かりませんが、シニョーレと目が合ったので、
写真を撮ってもいいか訊いてパチリ。
手にしているのは、掃除機の小さな丸型アタッチメントだと思うのですが、
本体のこのクラシックなこと!
こういう道具を、何十年も大事に使うのですよねえ。
この工房の雰囲気になんとぴったりなこと。

パルマ行きに乗らなくちゃ、と思い、お話もせずに駅へ。
今度行き当たったのはパン屋さん。
いくらフェラゴストでも、パンは必要ですものねえ。
これから配達に行くようです。
店舗もあって、売ってもいました。
これは何の工場?モデナにこんな工場なんて不似合いな印象です。
謎は、すぐに解けました。
この工場のある通りの名前がこれです。
なんと、タバコ工場通り。
工場の周りに写真も、商品名も何も出ていないのがいいですね。
日本では多分ありえないことでしょう。

駅に着きました。
この時期、列車の運行本数も少なくなるからでしょうか、
駅では工事を行っていました。
待合室には、昔の車両のモザイク
そしてパルマへと向かったのでした。
パルマから戻ってからのことは、また次回。

昼食を美味しくいただき、ヴィーノも1本飲んで、
満足して少しだけパルマのまち歩き。
(というか、駅まで向かうのに、適当にぶらぶら)
洗礼堂が好きで、そちらをよく見るので、大聖堂にもたまには入ることに。
テアトロ
モデナに戻ります。

美術館の後は、お昼ご飯を食べないと!
事前にいくつか調べていた店を近いところから見て歩き、
1軒目は休みでしたが、2軒目は開いていました。

サラミ屋がやっているお店です。
現地の人のお昼の時間だったので、結構混んでいましたが、
外のテーブルに座ることができました。

パルマに来たら、これを食べないとね~
L'oro di Salumi(ハム・サラミの金)と名づけられた盛り合わせ
真ん中より右側がクラテッロ、左側がパルマの生ハム18ヶ月熟成、
サラミは、右がチンギアーレ(イノシシ)、
左が、クラテッロ入りのストロルギーノというサラミです。
ヴィーノは、もちろんランブルスコ(この地域の赤の発砲)
お店のオリジナルブランドでした。
おいしい~と一人で満足して食べているときに、
自転車で走っていた素敵な女性が、少し先で止まって、スマホをいじり始めました。
かごのヒマワリが鮮やかで、とってもお洒落な感じに
思わずシャッターを切ってしまいました。
プリモは、ジュゼッペ・ヴェルディと名づけられた一皿。
大きなお皿です。
アップでも撮ってみました。
ポルチーニとクラテッロとアスパラガスの入ったリゾットです。
おろしたパルミジャーノもたっぷり入って、濃厚な旨味のあるリゾットです。
満足。

隣のテーブルに座っていたフランス人の女の子たち(多分18ぐらいの子達)が、
なんとサラミ屋のレストランで、ベジタリアンメニューを聞いていました。
結果、スパゲッティ・イン・ビアンコ(茹で上げたスパゲッティにパルミジャーノを混ぜたもの)とか
その類を食べていました。(呆れた)
でもお店のシニョーラは、そんな彼女たちに気持ちよく接していて、
食後に、隣のジェラート屋を薦めていました。
今けっこう評判なのよ、って。

このお店、中ではハム・サラミの他に、お惣菜も売っていました。
カッフェで〆ておしまい。
私もジェラートを食べたくなり、お勘定を済ませてお隣へ。
とても明るい、清潔感あふれるお店です。
ピスタチオとフィオール・ディ・ラッテ。
うーん、味は普通でした。
なんたって、テルモリのあのジェラート屋の美味しさを知ってしまったら、
普通のでは満足できない舌になってしまいました。

この後、もう少しまち歩きをしたのですが、今日はこれにておしまい。

パルマの国立美術館の続きです。
ロマネスク聖堂の屋根の下や外壁などで見かける面白顔や
柱頭彫刻を間近で見られるのもなかなか楽しいことでした。
これは、アダムとイブでしょうか?
りんごの木にヘビが絡み付いています。
彫刻はこのぐらいにして、次はフレスコ画や祭壇画のコーナーです。
フレスコ画に使われる顔料や刷毛などの道具類の展示もありました。
「フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあった
14世紀の画家アニョーロ・ガッディ作の祭壇画
『天使の間の玉座の聖母子、聖ドメニコ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ・・・・』」
添えられた解説には上記のようなことが書かれていますが、
全部書くのもたいへんだし、私のように無知な者が書いても、
専門の用語を正しくは書けないので、やめておきます。
アップにしてみます。いい感じでしょ。
次の絵とセットになっています。
次の作品が、私はとても好きでした。
14世紀のニッコロー・ディ・ピエトロ・ジェリーニという画家の作品です。
上の部分の絵も美しいです。
これは、ボッティチェッリのもの
アップで見ると、ボッティチェッリの他作品と似ている感じもします。
1450年から1500年のパルマの絵画というコーナーも面白かったです。
アニョーロ&バルトロメオ・デッリ・エッリの15世紀の作品
レオナルド・ダ・ヴィンチのこの作品もここにあるものだったのですね。
パルミジャニーノの「トルコの女奴隷」
ここの目玉作品らしく1つの壁面に単独で展示してありました。
じっとこちらを見る瞳と、赤味を帯びた頬が印象的でした。

さてさて、シニョレッリさんと多少のかぶりがありましたが、ご容赦を。
美術に関心のある方は、ド素人の私のものよりは、
シニョレッリさんのサークルを見るほうがよいと思います。
この美術館に関しては、
http://www.beach.jp/circleboard/ae30240/topic/1100110937371?sortList%5BsortType%5D=2
こちらの(14)と、
http://www.beach.jp/circleboard/ae30240/topic/1100200894497?sortList%5BsortType%5D=2
に掲載されています。
こんなに素晴らしい美術館を、これまで素通りしていたなんて、
もったいないことをしていた、今回訪れて本当に良かった!と思ったのでした。

モデナの2日目は、パルマに日帰りしました。
10:27発という遅めの列車に乗ることにしたので、
その前に、またまた朝のドゥオーモを見ましたが、
これについては、パルマから戻ってからのことと一緒に
モデナ編の方に書きます。

パルマに着いたのが11時ごろ。
今回のパルマの目当ては、国立美術館を見ることです。
パルマには3回行っていますが、ちゃんと泊まったことがなくて、
いつもドゥオーモや洗礼堂の方に行ってしまい、
このピロッタ宮の前は通り過ぎていました。
シニョレッリさんのブログでこの美術館が素晴らしいと言うことが分かり、
ぜひとも訪ねてみたい気持ちに駆られたのです。
建物の入り口から入り、
2階が美術館の入り口になっています。
とにかく建物が大きくて、入り口は見事な装飾の、大きな木の扉でした。

このピロッタ宮は、1583年、
当時のパルマ公
オッタヴィオ・ファルネーゼが建設を始めた宮殿で、
17世紀に壮大な今の姿と規模になったのだそうです。
この宮殿内に、国立考古学博物館、国立美術館、パラティーナ図書館、
そしてファルネーゼ劇場(戦災で崩壊したものを復元したもの)があります。

美術館に入るには、上の写真の扉を開け、ファルネーゼ劇場を通って行くのでした。
開けて、びっくり。
思いもよらぬ大きさなのですもの。
劇場の一番後方から入り、正面のステージに上がって、
その裏から美術館に入るようになっているのでした。
なかなか面白い入り方ですね。
ステージの裏
そして、展示の最初は、
私の大好きな木や石のレリーフ彫刻群だったのです!
顔が綻んでくるのが自分でも分かりました。
他人が見たらこの人、何をニヤついているのかしらと思ったことでしょう。
まだまだ展示は続きますが、次回に続きます。

再び、ドゥオーモに戻りました。
お葬式は終わっていました。
この大聖堂には、正面ファサード(東側)のほかに、
「君主たちの扉」、「洗礼の扉」、「王宮の扉」、「魚屋の扉」があります。
どの扉も素敵なレリーフ彫刻で飾られているので、
これらの写真は、後日載せます。
というわけで、内部に入ります。
ああ、残念!
後陣の礼拝堂でミサが始まってしまい、そちらには入れません・・・
2泊なので、明日また観に来ることにして、退散することにしましょう。
フレスコ画の写真だけちょこっと撮っておしまいにしました。
夕飯は、外で食べたかったのですが、
何しろ事前に調べていた店は、全部キウーゾ・ペル・フェリエ(休暇のための休み)。
フェッラーラから持ってきた残り物の野菜があるので、
生ハムと飲み物を買って帰り、部屋で食べることにして
開いている店を探しながら宿に戻ります。
どうにか、目の前で切ってくれる店で生ハムを買い、
これまたヴァカンスとは無関係の中東系の人の店でヴィーノを買いました。

ホテルの入り口
シャワーを浴びて、テレビを見ながら部屋ご飯。
モデナに移動した8月16日は、こうして過ぎました。

ボローニャ乗換えでモデナに着いたのが1時半。
お昼ごはんは、車内でお弁当を食べました。
宿で作ってきた、パニーノと野菜スティックです。

モデナには、’03年に1泊したことがありますが、その時の狙いはバルサミコ酢で
大聖堂の細部の美しさや、絵画や建築の美しさなどに全く興味をもっていない時代でした。
その後、ボローニャから日帰りで訪れたこともありましたが、
大聖堂をもっとじっくり見たいと思ったし、他にも見どころはありそうだし、
是非一度泊まってみたいと思ったのです。

そして、今回の宿はチェントロに取ったので、タクシーで宿へ。
今回は四ツ星ホテルです。
何せ、夏の内陸なので、安かったのです。(シングル58€)
その部屋がこれ。
さっそくまちに出ました。
大聖堂に向かいます。
ポルティコの道には、クラシックなポスターが飾ってありました。
このポスターは誰が何の意図で下げていたものか分かりませんが、
素敵なデザインのものばかりでこのポルティコの雰囲気にピッタリです。

モデナのドゥオーモは、聞いていた通り、本当に修復が終わっていました。

初めて、どこも幕で覆われていないドゥオーモが、私の前にありました。
いろんな角度からの写真、実は、この日と翌日のものと、
時間をずらして撮ったものです。
嬉しくて、近くを通るたびに眺めていたものですから。

細部もようく見えました。
どこを見ても面白くて、美しくて。
ひとまず、今日載せるせるのはこのぐらいにしておきます。
この日は、これからお葬式が始まるところだったので、
中に入るのは後にして、エステンセ美術館に向かいました。

さて、コマッキオに1泊した翌朝、
朝食は8時半からでした。
9時10分にチェックアウトし、近くのタバッキでバスの切符を買って、
来た時とは違うバス停へ。
橋を通ったため階段があって、荷物を運ぶのが大変でした。
そのバス停は、昨日歩かなかったエリアにありました。
運河が全然見えない地域です。
でも、魚屋が数軒ありました。
鰻だけじゃなくて、いろ~んな魚がありました。
このエリアも歩けばよかった、と後悔しましたが、
もうバスが来る時間です。
バス停に行って、ほぼ定刻でやってきたバスに乗って
フェッラーラに向かいました。
そして列車に乗って、次の目的地モデナへと向かったのでしたが、
フェッラーラで、ちょっとしたトラブルが。

コマッキオからのバスは、この日なぜか遅れ、
列車に間に合うかぎりぎりのタイミングで着いたので、
自販機で焦って切符を買って、
画面の変わり方と焦る私のタッチの速度が合わなかったようで、
なんと1等車の切符が、しかも2枚も出てきたのです。
もちろん代金も2枚分。
ありえな~い!

時間指定の無い、普通列車の切符だったので
モデナに着いてから払い戻そう、と思ったのですが、
こんなときに限ってドンピシャの定刻発車で、タッチの差で間に合わず・・・

次の列車まで30分あるので、駅の窓口に、余計な1枚を払い戻しに行きました。
そうしたら、びっくり!クレジットカードで2枚一緒に買ったので、
2枚を払い戻して、1枚新たに購入しないといけないと言われ・・・
しかも払い戻し手数料20%!2枚分の20%ですから、
私は1枚の40%の無駄遣いをさせられてしまったのです!!!

これ、多分、窓口のおっちゃんが、
クレジットカード払いの金額を
半分だけキャンセルするやり方を知らなかっただけだと
私は思っています。
もっとデキル人なら、ちゃんと1枚分キャンセルしてくれたと。
まあ、おおらか・おおまかな国ですから、
ここで喧嘩しても何も変わらないと思ったので、
パツィエンツァ・・・(我慢。イタリアにいると、この言葉もよく耳にします。)

昼寝をしている間に、窓からとてもよい匂いがしてきました。
きっと、鰻の骨や頭でブロードを作っているに違いありません。
リゾットが楽しみになってきました。

7時半に階下のオステリアに行きました。
予約を入れていたので、ちゃんと一人用の席を用意してくれていました。
まだ他のお客は来ていません。
メニューを見て、アンティパストとプリモを1皿ずつ選びました。
女将、と言う感じのシニョーラが注文を取りにきたので、
マグロのしゃぶしゃぶ(SHABUSHABU DI TONNOと書かれていました)と
鰻のリゾットを2人前、とお願いしたら、シニョーラが、
「なぜ2人前なのですか?あなたは、1人なのに。」
と訊いてきました。
私が、
「ここに最低2人前からとあるので。
どうしても鰻のリゾットが食べたいのです。」
と話したら、にっこり微笑んで、
「大丈夫ですよ。1人前をお作りします。」
と言ってくれたのです。
ああ、いい店はいいのだわ!と感動したのでした。

そして、鰻のリゾットに合うヴィーノのお奨めを訊いたら
「皆さん、魚には白と思っていらっしゃいますが、
鰻には、赤が合うのですよ。
この地域の砂地で作られているメルローがお奨めです。」
と言うので、それをいただきました。
ストゥッツィキーニ(フレンチのアミューズ)は、スモークサーモンと野菜。
マグロのしゃぶしゃぶがやってきました。
あら?これはしゃぶしゃぶというより、たたきという感じですね。
おそらく角柱状のまぐろをお湯に入れ、
周りが白くなり、中は生だけど温かくなる程度の時間であげて、
周りに刻んだピスタチオをまぶしてから切ったものと思われます。
白い石は温めてありました。
点々は、わさびマヨネーズソース、
そして緑の野菜は、豆苗でした。
しゃぶしゃぶではありませんでしたが、なかなか美味しい一品でした。

私の後から来たイタリア人4人のお客が、メニューを見て、
カメリエーレにしゃぶしゃぶって何?と質問していました。
日本の調理法で、お湯にさっとくぐらせるものです、みたいなことを言っていました。
そして、私の方を見て、そうですよね?と確認するのです。
いや、薄切りでやるのよ、なんては言わず、Si’と言いました。

そして、いよいよ鰻のリゾットがやってきました!
少ないようですが、けっこうな窪みのある皿にたっぷり入っていました。
お・い・し・い~ うっとりするようなお出汁です。
頭や骨を焼いて、出汁を取ったのでしょうね。
昼寝のときに下からただよってきたあの匂いです。
「本当に美味しいものは、美味しそうに見えない」例の一つです。

ああ、このまちへ来てよかった!
この店に入ってよかった!と思いました。
この料理宿に予約を入れた時から、この味は約束されていたのだわ、
と嬉しさが湧き上がってきました。

ドルチェもいただきました。マンゴーのセミフレッドです。
ああ、美味しかった~

私が店を出る頃には、大勢の客で賑わっていました。
これは外の席。
まだ寝るには早いので、夜のお散歩をすることに。
橋の近くの、閉まっていたお店の飾り。
本当に鰻のまちなのですね。
お宿に戻って休みました。

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