ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2021年12月

ここまで移動や滞在、観光、ほぼ順調だったので、
まさかこのまま順調に終わるわけがない、と思っていたら、案の定、
最後の最後でやられました。
と言っても私の油断のせいなのですが。

朝、ピエンツァを出て、シエナまで行き、バスターミナルに荷物を預けて
ムゼオ・チヴィコでアンブロージョ・ロレンツェッティのフレスコ画を観て、
それからまたバスに乗ってフィレンツェまで移動。
ここまではよかったのです。

これまでの旅行で、列車がいっぱいでぜんぜんチケットが買えなかった経験はなく、
乗りたい列車は買えなくても、その後とか、もっと遅くというのは買えたのです。
それに、翌週から仕事が本格的に始まるといっても、
イタリア人のことだから、日曜に自宅に戻る人は多いだろうけれど
まさか前倒しで土曜までこんなに混むとは思いも寄らず。
それに自販機ができても、窓口で買う人が圧倒的に多かったのに、
いつのまに、自販機どころか、ウェブ購入する人があれよあれよと増えていたのですね。

というわけで、フィレンツェからミラノまでの切符が全く買えなかったのです。
遅い列車も、高い座席も、イタロも、全滅。
翌朝の列車を調べると、それでは飛行機に乗り遅れる時間のものしかなくて。

どうしてここだけ事前に買わなかったかというと、
シエナにいる時間がはっきりと読めず、
フィレンツェ行きのバスを何時にするか決められなかったので、
列車を決めてしまって乗り遅れたらいやだと思っていたのです。

何が何でもミラノに辿り着かないといけないのに、
さあ、どうしよう…。
フィレンツェの駅の雑踏の中で途方に暮れそうになった時、
頭の中にイタリアの地図が浮かんできました。


ファエンツァからフィレンツェへのレジョナーレの列車(つまり予約不要)しか走っていない路線があるはず。
ファエンツァからミラノまでも、予約不要の列車で行かれるのでは???
あ、ジェノヴァの方に行く列車があるかも知れない。
ジェノヴァからならミラノへのICがあるはず…

無い知恵を絞って、調べました。
まずは、駅に貼ってあるPartenzeの時刻表
ラ・スペツィアに行くレジョナーレがありそうです。所要時間2時間半ほど。
次に自販機で調べ、ミラノまでの通しのチケットではなく
ピサを経由してラ・スペツィアまでと、そこからミラノまでのチケットを購入。

それから、予約していたホテルに連絡を入れ、到着が遅くなることを連絡しました。

フィレンツェを15時半頃に出て、18時少し前にラ・スペツィアに着き、
ラ・スペツィアでは30分ほど時間があったので、
バールでビールを1杯飲んで、休憩しました。

ミラノのホテルに着いたのは22時ごろ。
寝るだけで、翌朝は早く空港に向かうので、
駅至近でできるだけ安いところを予約していました。
(よかった!)

でもお腹が空いて…。
でも1月3日のこの時間、やっている店は多くないだろうし

探し回る元気もありません。
この旅行の初日に行った「美食城」で最後の食事をするのは嫌だし・・・
すぐ近くの、何度も泊まっている四つ星ホテルに地味なレストランがあるのを思い出し、
そこに行くことにしました。

店に入り、「食事をすることはできますか。」と訊いたら、
「ちょうど閉めるところでしたが、1皿2皿なら・・・」と入れていただけました。
ラ・スペツィアでビールを飲み、少しつまみも出たので、
パスタ1皿にしました。
ああ、よかった。
安くはないけれど、この夜の状況で旅行最後の夜に
まともなイタリア料理をいただけて。

翌朝は、一番早い時間(6:30)に朝食をいただき、
7時にチェックアウト、シャトルバスで空港へと向かい
私のこの冬の旅行は終わったのでした。

平和の間の奥には、絵画その他のものが展示してありました。
写真に撮ったものを載せます。
作者と作品名はシニョレッリさんから教えていただきました。
サーノ・ディ・ピエトロの「磔刑」
マッザレッロ・ディ・ジーリオの「磔刑」
アンドレア・ディ・バルトロの「シエナ共和国の投票箱」
↑この箱の上部の絵
↑この箱の下部の受胎告知の絵
美しいですねー。
アンブロージョ・ロレンツェッティの「大天使ミカエル」
ネロッチオ・ディ・バルトロメオの「カンポ広場で説教するシエナの聖ベルナルディーノ」
祭壇画の裾絵です。
マルティーノ・ディ・バルトロメオの「聖ステファノとマグダラのマリアと聖アントニオ・アバーテ」
ニッコロ・ディ・セル・ソッツォの「受胎告知」
そろそろ、フィレンツェ行きのバスに乗るために終わりにしないといけない時間になりました。
ここのためだけに、今回はシエナ経由にして、本当によかったと思いました。
カンポ広場を後にします。
ここには、また来るだろうなあ、と思いつつバスターミナルに向かい、
フィレンツェ行きのバスに乗ったのでした。

今日は「平和の間」のことを書きます。
正式名称は「九人執政官の間」なのですが、
ここに描かれているフレスコ画にちなんで「平和の間」とも呼ばれるのです。

ここに描かれているのは、
アンブロージョ・ロレンツェッティの「善政」と「善政の効果」。
入り口を入って右の壁に「善政」左に「善政の効果」。
「善政」の全体。
よく取り上げられる部分がこれ。「平和」の擬人像です。
武具をクッションの下に隠し、くつろぐ「平和」
この壁画で強調されているのは、裁きの厳しさなのだそうです。
画面の3分の1は、神の智慧に助けられた「正義」が、
町に秩序をもたらす様子が描かれています。
そして正しい統治によって豊かになった町と田園の情景を描いたのが
「善政の効果」です。
「イタリア古寺巡礼」のモモ先生によれば、
「中世の町のざわめきや田園の風が感じられて、
眺めているだけで心がほどけます。」とのこと。

横に長い壁一面に描かれていて、全体を撮ることは無理なので、
端から順に写しました。
自由に開かれた市門から出かけていく鷹狩りの一行
すれ違いで町に入るシエナの特産豚チンタ・セネーゼを連れた男
黄金の麦の穂が揺れる中、
丘の上にある町まで穀物を背負って上って行くロバ
収穫物を売り買いする人々
靴屋や学校
本当に「若者の談笑、奥方のため息、屋根の上で作業中の大工さんの鼻歌など
いろんな音が聞こえてきそうです。」とかかれている通りです。

輪になって踊る娘たち
実際には、当時シエナでは路上の舞踏は禁じられていて、
9人の娘は市の政治体制「九頭制」の象徴だろうとのこと。
「とんぼ」「芋虫」模様の服も。

高い位置の部分をもっと近づいてみたくなりました。
この平和の間全体はこんな感じです。
もうここまで見れば、かな~り満足だったのですが、
この先にももう少し展示があるのでした。(つづく)

プッブリコ宮殿の枢機卿会議の間の次は、Vestibolo(玄関の間)。
続いて、Anticappella e Cappella di Palazzo(宮殿の礼拝堂控えの間と礼拝堂)。
そしてSala del Mappamondo(世界地図の間)。

実は、バスの時間を考えて、
とにかく一番見たいSala dei Nove(九人執政官の間)
[またの名をSala della Pace(平和の間)]に急ぎ、
じっくり見た後で、戻って、まだ時間があることを確認してから
地球儀の間等を見たのです。
結果的にはどこもしっかりと見る時間があったのですが、
説明プレートの写真を撮らないでしまったものもあって、
写真がごちゃごちゃになっているかもしれません。
とりあえず、順路に従って、載せていきます。

というわけで玄関の間。
ジョヴァンニ・ディ・トゥリーノの「シエナの狼」
シエナの狼について簡単に載せておきます。
牝狼に乳を与えられて命を救われた双子のロムルスとレムスの兄弟のうち
ロムルスがローマを建国し、その牝狼の乳を飲む双子がローマの紋章になっています。
ロムルスがローマの王になり、レムスは殺されてしまうのですが、
レムスには2人の息子セニウスとアスキウスがいて、
伯父(ロムルス)の怒りから逃れ、祖国ローマの紋章である「双子に乳を与える牝狼」の印を持ってこのトスカーナの丘にたどり着き、
シエナを建国したのだといわれているのだそうです。
シエナはセニウスの名前に由来し、そして「双子に乳を与える牝狼」は、
ローマと同じくシエナの象徴となっているとのこと。

Simone Martini(シモーネ・マルティーニ)の
Guidoriccio da Fogliano all'assedio di Montemassi(グイドリッチョ将軍騎馬像)。
礼拝堂には、Andrea di Bartolo(アンドレア・ディ・バルトロ)の「聖母マリアの死」
世界地図の間に行きましょう。
ここでの一番の作品は、シモーネ・マルティーニの「荘厳の聖母」
たくさんの聖人などが描かれているので、それが分かるようにこんなものがありました。
どれがどこのものかごっちゃになってしまいましたが、
壁という壁、天井も美しく装飾されていたものを撮ったので、
とりあえず載せます。
この続きはまた次回。

シエナの市庁舎(プッブリコ宮殿)の話です。
1297年から1342年にかけて建設され、
1階は現在も市庁舎として使用されています。
建物の上には、102メートルのマンジャの塔。

2、3階はMuseo Civico(市立美術館)になっています。
1階のチケット売り場(マンジャの塔のチケット売り場も同じ)でチケットを購入し
受付を通って、階段を上っていきました。
最初にRisorgimento(イタリア統一運動)の間。
19世紀に描かれた壁画があります。
続くBalia(最高行政会議)の間には、
Martino di Bartolomeo、Spinello Aretino、Parri
Spinelliによって15世紀に描かれたフレスコ画があります。
次にあるCardinali(枢機卿)の間は、
続くConcistoro(枢機卿会議)の間の控え室のようになっています。
Ambrogio Lorenzettiのフレスコ画があります。
ほかにも
枢機卿会議の間には、Domenico Beccafumiの天井画。
私の目当ては、まだその先にある平和の間の
Ambrogio Lorenzetti(アンブロージョ・ロレンツェッティ)のフレスコ画なのですが、
そこにたどり着く前に、ここまででも、けっこう満足感があり、
次のMappamondoの間でうっとりしてしまったのでした。
でも、今日は長くなってしまったので、ここまでにしておきます。

ピエンツァから、前日の朝ここにやってきたのと同じバスに乗って
シエナに移動しました。
ここの路線、遠くにモンタルチーノが見えたりするのですが、
何せバスの車窓からだと道路標識や木の枝が突然出てきたり、
ここだわ!と思うところでバスがカーブを切ったりするので
なかなか写真が撮れません。
かてきんさんは、ボローニャに向かうので、
このバスの終点であるシエナの鉄道駅まで行き、
私はカンポ広場に面したプッブリコ宮殿に行くため、
まずはスーツケースを預けられるバスターミナルまで行こうと思い、
事前に地図で調べて、一番近そうな門のところで下車しました。

地図で見ると500mぐらいのものなのですが、
その最初の200mぐらいが、ずっとずっと上り坂。
しかもなかなか急で、スーツケースを押しながら、大汗をかきました。
地図って、高低差が分からなくて後で大変な思いをすることがありますね・・・

そしてバスターミナルの地下の荷物預かりにスーツケースを預けて
カンポ広場へ向かいました。
面白い楽器を演奏している人がいました。
ポパイに出てくるオリーブをモチーフにした製品を売っている店。
はるか昔、高校時代は今からは信じられないほどすらりとして、背が高かったので
オリーブみたいと言われたこともあった私としては、ここの製品がちょっと気になったり。
でも、そんな時間はありません。
先に進まなければ。

目指すプッブリコ宮殿(現市庁舎)が見えました!
シエナには、これまで多分4、5回は来ています。
そのうち2回は宿泊しました。
それなのに、他のものを観光し、マンジャの塔にも2回上っているのに、
ここは見逃していたのです。(昔はあまり興味がなかったもので・・・)

今回入場してみて、ほんとうに見ごたえがあり、よかったと思いました。
中の写真を山ほど撮ったので、次回アップします。

まちに戻ったときは、すっかり日も暮れて。
部屋での晩ご飯用に、少し食料を買いたいと思い、かてきんさんとここで別れました。
ドゥオーモの前には、さっきは気が付きませんでしたが、
クリスマスツリーがあったのでした。
八百屋が開いていたので、サラダ用の野菜を少しと、リコッタを購入。
宿に戻ることにしました。
部屋での晩ご飯。
昼に買っておいたポルケッタと残っていた野菜と、今夜買ったものと。
このポルケッタ、見かけは美味しそうだったのに、ものすごく塩分がきつくて
がっかりしました。
ほかに食べる物がたくさんあったので、何とかおなかは満たされました。

翌朝、ホテルの朝食。
食事の後は、ホテルの周りの写真を撮りました。
小ぢんまりとした、居心地のいい宿でした。
チェックアウトして、すぐ近くのバス停からシエナに向かいました。

教区博物館を見た後は、午前中閉まっていたコルシニャーノ教区教会に再び行ってみました。
開いていました!
だけど、入り口の装飾から期待した割りに、
中は簡素で、取り立てて興味を惹かれるものはありませんでした。
でも、ファサードに傾いてきた日が当たって、美しく見えました。
この後、糸杉が美しく見える景色の中を歩きたいと、
どこからアプローチしたらいいかちょっと考え、まちに戻りかけたのですが、
やっぱりこの教区教会の向こうがいいねえ、ということになって
近道は、畑を突っ切ること!だったので、
畑と言っても冬のことで作物は何も植えられていなかったので
そこを本当に突っ切って歩きました。
途中で見上げたピエンツァのまち。
途中で農作業中のシニョーレに遇ってあいさつを交わし、
犬には吠えられ、
こんなでこぼこの畑をずんずん下りました。
結局、歩く速さでは、
いい感じの日の当たり方で写真が取れるところまで行くのは無理だったのですが、
でもとても気持ちのよい散歩ができました。
遠くから見て糸杉の並びがきれい、と思ったところは、近づいてみればそうでもなかったり、
そして日も傾きすぎていたり。
暗くなる前にまちに帰らないと、ということで引き返しました。

ホテルの部屋に入りました。
預けていたスーツケースは、ちゃんと部屋に運んでありました。
部屋でちょっと休んで、それから教区博物館へ。
カメラを持っていくのを忘れて、スマホで撮りました。
美しい祭壇画が多数展示されていました。
アンドレア・ディ・バルトロ「聖母子像」
バルトロ・ディ・フレーディ「慈悲の聖母」
それらに混じって、展示されていたのが、法王ピオⅡ世の大外衣(マントのようなもの)。
おそらく傷みを最小限にするために照明を落としているのでしょう、
かなり暗いところに展示してあり、
それでも近づいてようく見ると、実に繊細な刺繍がしてあります。
これは「受胎告知」
けっこう見応えがありました。

さてさて、お昼ご飯です。
店は、かてきんさんが事前に調べて選んでいたところ。
朝イチの散歩のときに、場所を確認しに行きました。
そうしたら、中に店の人がいたので、お昼の予約を入れることができました。

そして、お昼。
ランチタイム開始と同時なので、まだ客は1組しかいませんでしたが、
メニューを見ている間に客がやってきて、
ちょっとするとまた・・・ と言う感じで、20分もすると満席になりました。

ハム・サラミ盛り合わせ
サルシッチャのラグーのピーチ
2人で分けたいと言ったら、2つの皿に半分ずつ入れてきてくれました。
牛肉のタリアータ
コントルノにカルチョーフィをいただきました。
どれも、1皿ずつを2人で食べて、ちょうどよい量でした。
ヴィーノはデッラ・カーサの赤をいただいたのですが、
トスカーナにしては、ちょっと落ちるかな、という感じ。
ローマのよりは、まだまともでしたが。

お腹もふくれていい気持ち。
ホテルに荷物を預けて、ずっと歩いていたので、
ここでホテルに戻り、部屋に入ったのでした。

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