ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2022年03月

語学学校の午後の半日ツアーから戻り、
同じクラスの2人と一緒に、近くの店で夕食をいただきました。


この前菜、何だったか記憶にありません。
かかっているのはフォンドゥータで、焼いたパイ生地に何が入っていたのでしたっけ・・・
プリモは、サフランと洋梨のリゾット
これは、とても優しい味で、滋味深い味わいがありました。
周りに合わせて、私にしては小食。

家に戻ったらもう眠くなり、シャワーを浴びてコロリ。
結局宿題は翌朝早起きしてやるというパターンが、初日から出来上がってしまいました

午後(といっても、授業が終わるのが13時頃なので午後のイベントは3時とか3時半からになりますが)のイベントは、曜日によっていろいろありました。

郊外に車で出かける日、
ガイド付きで街歩きをする日、
料理教室がある日(これは夕方から)
学校で映画を鑑賞し、感想を話し合う日、
そして夕方から“Aperitivo con l'insegnante”という、先生と話しながら
アペリティーヴォを楽しむ日

私の初日の午後のプログラムは、郊外に車で出かけるというもので、
この日の行き先は、サンセポルクロでした。
私はすでに2度行ったことがあるのですが、
ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵は何度見てもいいので、参加することにしました。

私がサンセポルクロに行ったのは、
1度は単独で1泊、2度目はペコさんとアレッツォから日帰りで、
2度とも冬でした。

学校で、ワゴン車を手配し、費用は本当にその車代程度、
わずか10€でした。
ガイドは、先生です。
この日の参加者は8人ほどいました。
3時半に集合して車に乗って出発。
バスと違って3~40分で到着しました。
最初は、ドゥオーモへ
「玉座の聖母子と聖人たち」(1383年)
デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ
デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタが果たした当時の役割や価値について
説明を聞きながら作品を見たり、
主祭壇画の「キリストの復活」がピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」に
強く影響を与えた話を聞きながら祭壇画を見たり、
一人でじっくりとみるのもとはまた違った楽しさがありました。

下の2つも、デッラ・ロッビアの作品
サン・ビアージオ
サン・ベネデット
昨日は彩柚テラコッタまでしか載せませんでしたが、主祭壇画はこれです。
ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活の多翼祭壇画」(1348)
中央の「キリストの復活」
両サイドの聖人達
磔刑像。8〜9世紀に製作されたと言われているものです
死んだ裸体ではなく、コロビウムといわれる服を着て、大きな目を開けているキリスト像は、
「死に対する勝利」や「司祭であり王であるキリスト」を表現したタイプだそうで、
「聖顔」と称されるのだそうです。

案内役のモニカ先生は、これを良く覚えておいて、
後でアレッツォのものと比べると興味深いですよ、と話していました。

バルトロメオ・デッラ・ガッタの「磔刑(フレスコ)」(1486)
アラバスターの窓
隣接する司教館にも行きました。
サン・ベネデット修道院に向かう回廊です。
壁にフレスコ画が描かれています。
ドゥオーモには、他にもすばらしい作品があるのですが、
それらについての話はなく、次に移動しました。

ドゥオーモのあとに市立美術館に行きました。
ここは以前行った時のことをいずれ改めて載せます。
今回は写真もほとんど撮らずに説明を聞きました。

その後に、小さな教会、サン・フランチェスコ教会に立ち寄りました。
美術館は、もっと見たい人は自由に見て、
集合時刻に門のところに行けばいいということでしたが、
みんなと一緒にジェラートを食べる方を選びました。
約束の時間になっても車が来なくて、20分ほど門のところで待ちぼうけ。
こんな美味しそうなフェスタ(まつり)の案内を見ながら、
ああ、その日はもうこのまちを出る日だわ、などと思い。
やっとやってきた車に乗って、アレッツォに帰り着いたのが、18:30頃でした。

朝5時に起きて宿題をやり、8時15分に家を出て、8時半に学校のビルにあるバールへ。
ここでカップッチーノを1杯いただきながら、持参のノートPCでメールチェックをしたり、
このサークルにちょこっと書き込みをしたり。
9時からレッスン。

この日は、授業中ににわか雨が降り、
先生が、ほんとに去年、今年とイタリアの天候はおかしいのよ、
5月なんて本当に好天続きの爽やかな時期なのに、
このところ不安定で、時々雨は降るは、寒いは・・・と話していました。
私は、部屋のベランダからせり出して設置してある物干しに
洗濯物を干していたので、もうがっかりです。
しっかり濡れるほどの雨でしたから。

前日の授業時間が少し短かったので、この日は追加され、
授業が終わったのが13:40。
午後の予定は15時から映画を観るというものでした。
家に戻って昼食を作って食べ、洗濯物を洗い直しして
また学校に戻るには時間が足りません。

近くにあるSUSHI NUMBER1という店に入りました。
前日からRAMENという文字にそそられていたのです。
肉ラーメンをいただきました。
店員は(おそらく作る人も皆)、中国人。
ラーメンはインスタントのものでした。
このところの生麺のようなおいしい袋麺に慣れている身には、残念な味。
でも肉はたっぷり入っていて美味しく、若布や野菜も入っていました。
これで7€。
コペルトを入れるといくらになるのかしら、とちょっと心配でしたが、
メニューにはコペルトが1.50€と書かれていたのに、
なぜか7€そのまんまでした。

昼食をいただいて、家に急いで戻り、雨で濡れた洗濯物を洗い直しました。
物干を、ベランダの内側に付け替えて、
万が一また雨が降っても大丈夫なように干しました。

それからまた学校へ。
映画は、かなり前の「ラスト・エンペラー」でした。
この映画を知らない人もいるので、簡単な解説をイタリア語でしてくれて、
それからイタリア語吹き替えのラスト・エンペラーを見ました。
私、この映画は見ていなかったので、
初めてこれを見て、泣きました。

感想を求められたのですが、感極まって話ができず、
ただただ涙が溢れて・・・

先生が、「あなたは日本の人で、歴史をこの映画以上に知っているから、
感じるところも大きかったのでしょう。」と言われました。

形だけの皇帝が、子ども時分から、青年になり、大人になり、そして戦後逮捕され
その過程のさまざまな場面で
Apri la porta!・・・門(扉)を開けろ(あるいは開けてくれ)
というフレーズが印象的に繰り返され、
そしていつのときもそれが叶えられなかった溥儀(主人公)の不幸を思い、
すっかり感情移入して、泣けてきたのです。
時代の波に飲みこまれ、溥儀にはあの生き方しか許されなかった・・・
本当に悲しいことだと思いました。

他の生徒もそれぞれに感想を述べ、
イタリア語のレベルが皆似たようなもので、
誰も難しいことは言わないので、彼女たちの言いたいことも分かりました。

この日はお昼を外で食べたので、夜は家で作って食べました。
家の周辺はこんな感じ。
私がキッチンを使うと、家の人は引っ込んでしまい、終わるまで出てこないので、
却って気を遣って、簡単にできるものしか作りませんでした。
ほんとはもうちょっと手の込んだものを作りたかったのですけどね。
でも、ヴィーノはしっかりと飲みましたよ!

アレッツォの語学学校に決めたのは、
ミラノやローマなど大きな都市では日本人が多過ぎて、
イタリア語浸けになれないのではないかと思ったからです。
同様の理由でフィレンツェも排除しました。
アジア系の女性を見て、すぐに日本人か韓国人か中国人かがわかり
「こんにちは」と声をかけてくるヴェネツィアは論外でした。

アレッツォは、半日、1日で気軽に足を伸ばして見にいける素敵なところもあるし、
語学学校を検索してみたら、いつからでも、1週間単位で通えるところがあり、
教育課程もしっかりしていそうな印象のところが見つかったので、
問い合わせのメールをしてみたら、
すぐにこちらの聞きたいことにきっちりと回答をくれたので
そこに決めました。
それに、4月~6月は、授業料の割引もあるということだったのです。

その期間の宿も、ホームステイ(キッチン使用あり・なしでさらに区別有りです)、
アッパルタメントのルームシェア、単独でのアッパルタメントを
希望に沿って定額で斡旋してくれます。
私は、ホームステイのキッチン使用ありを選択しました。
ホームステイは、いろいろな意味で当たり外れがあることが分かったので、
次回は、ルームシェアにしようと思います。
もし4週間とか行けるなら、単独のアッパルタメントにしますが。

申し込みをし、代金の30%をクレジットカードで支払い、
その後、ワードファイルのテストが送られてきました。
辞書を使わず、やれるところまでやって送り返すように、とのことでした。
それによってクラス編成をするのです。

第1日目の朝、8時半に登校し、この週から学習をスタートする人達が集まって、
学校での授業や、午後の1週間のプラン、
アレッツォの地図や資料を配布され、説明を受けました。
これが教室です。
その間、1人ずつが事務局に呼ばれ、話をしながら所属クラスの決定。
9時半から、それぞれ自分のクラスに入っての学習となるのでした。
私は中級の中クラス。
私も含めて5人の生徒で学習して行きます。
面白いことに、クラスの人数によって、学習する時間が決定されるのでした。
5人のクラスだと、1日に3時間半。
初日だけは変則的な時間でしたが、
2日目からは9時~11時、30分休憩し、11時半~1時。
その翌週は、3人のクラスだったので、授業は2時間半でした。
人数が少ないと学習密度が上がり、その分授業時間は少なくてよい、ということなのでしょう。
1週間の授業料は、2人のクラスでも、5人のクラスでも同じでした。

この日の前半は、自己紹介。
英国からの60代の女性、
ブラジル人だけど、オランダ在住の50代の女性、
この2人と私はこの週から。

スロヴェニアからの20代後半の女性は、この週が最後だけど、
この学校ですでに7週間学んでいて、初級から入って中級に上がってきました。
スロヴェニアは、言葉が似ているところもあるようで、
イタリア語の習得はそれほど難しいことではないようでした。
もちろん7週間集中して学習し、彼女も本気で取り組んだからこその成果でしょう。

もう1人は、20代前半のアメリカ人女性。
彼女は、大学で第2外国語として少しイタリア語を学び、
アメリカ人向けのトスカーナを巡る現地ツアーを催行しているアメリカの会社に入社して
その会社の費用でシエナの語学学校である程度学び、
コルトーナに近いまちに住んで仕事をしているのだそう。
この週と前週の2週間は休暇なので、それを利用して、
さらにイタリア語を学びたいという意欲の持ち主です。

自己紹介をしながら、先生がいろいろと突っ込みを入れて、
詳しく話す羽目になったり、表現がうまくできないところを、先生がサポートしながら、
文法をきちっと教えてくれたり、ただの自己紹介ではなく、
きちんと学習として成り立つのでした。

休憩後はテキストのコピーを用いての文法の学習。
説明を聞くだけではなく、練習問題をやって一人ひとりに順番が回ってきました。
それから分からないところを質問すると、
説明がとても分かりやすいのですごく納得することもできました。
宿題がたっぷり出て、1時でおしまい。

さて、一気に長々と読まされるのも大変でしょうから、このあたりで今日は止めておきます。
この日の午後のことはまた次回。

学校は、この建物の3階にありました。(ピンボケ失礼)

フォリーニョからアレッツォに移動しました。
翌日から2週間学ぶ語学教室で紹介してもらったホームステイ先に向かいました。
多分私と似通った年代のシニョーラとそのマンマ(87歳だそう)の二人暮らし。
とても静かなエリアで静かに暮らしています。
キッチンを使わせてもらえることになっているので使いましたが、
私がいるときは、1度も出てきませんでした。

干渉されないのはありがたくもあり、寂しい気もしますが、
スペッロで石臼挽きのファッロの粉で作ったクッキーを買ってお土産に差し上げたら、
それはすごく気に入ったらしくて、とても美味しいと言ってくれました。
ちゃんと石臼挽きのことも分かってくれて、嬉しかったです。

すごいというか驚いたのが、大きな食洗機があって、
使った食器はそこに入れておくように言われ、
入れておいても次に使ったときに開けるとまだ前のが入っているのです。
どうやら、いっぱいになったときにまとめて洗うみたい。
夕べは、空っぽになっていました。
ちゃんと倹約しているのですね。

で私の部屋はこんなです。
そして通学路
ある日の私の晩ご飯
食べ過ぎ?

鐘楼が見えました。
教会の裏手に来たようです。
広場でボールを蹴って遊ぶ子ども達、見守る大人たち。

隣(といっても繋がっている?)の建物の窓が素敵です。
表に出てみたら、あらまあ初日に見かけた(でも入れなかった)サン・サルヴァトーレ教会でした。
教会前の広場は、ガリバルディ広場なので像があります。
近くの果物屋
そろそろお宿に戻ってチェックアウトをすることに。
約束どおり電話をして、部屋に来てもらって鍵を返しました。
荷物だけ預かってもらうことはできますか?と聞いたら、
気軽に引き受けてもらえて、荷物を引き取りたいときにまた電話をすることにしました。

この後も少し散歩をしながら、昼食を摂る店を探しました。
美味しそうだけど、テラス席ばかりで暑そうだったり、
美味しそうだけど堅苦しそうだったり、いくつもあるお店の中から、
ゆっくりと落ち着いて、涼しく食事ができそうな店を選んで入りました。
そこはホテルのレストランでした。
ホテルなのですが、家族経営の雰囲気があり、
オバアチャンらしきシニョーラが店を仕切り、娘らしきシニョーラが手伝っているようでした。
孫娘が、お手伝いをしたいのだけど、まだ6~7歳で戦力外。
伝票を書く振りをして遊んでいたのですが、
客が来て、その伝票を取り上げられ、マンマの背後にぴたっとくっついていました。
ヴィーノは、デッラ・カーサを2分の1リットル。
大きなグラスでいい感じ。
前菜は、スカンピのインサラータ
日本だと、茹でたスカンピを縦割りにして1~2尾分が乗っておしまいということろでしょうが、
ここのはスカンピらしい殻の姿は見えず(食べてみないと海老だかスカンピだか分からない)、
でもたっくさん入っています。
葉っぱとトマトは納得ですが、他に洋梨のダイスが入っていて、
それがスカンピの身とものすごく合うのです。
マスタード入りの自家製マヨネーズソースがほどよい味加減で、
これはかなりのレベルです!
美味し~い・・・しばしうっとりしながら食べました。
量もたっぷりあって素晴らしい。

あ、料理の話に力が入って、
このお皿を運んできたノンナ(祖母)の方のシニョーラが、
日本の方ですかと話しかけてきた話を書き忘れていました。
息子さんは日本に行って日本人と結婚し、
岩手県(だったと思う)で農業をやっているのだそうです。
お会いしたくなってしまいますね!

プリモは、スポレート風ストリンゴッツィ
ピリ辛のトマトソースなのですが、これは以前スポレートで食べたものの方が
パンチがあって美味しかったです。
美味しいのだけど、私はもっと辛い方が好みです。

セコンドはなしで、ドルチェをいただきました。
アーモンドのフランです。
フランもフルーツ(黄桃と苺)も美味しくて、
トータルとして大満足の食事でした。

宿の方に電話したら、重たいスーツケースを持って降りてきてくださいました。
駅へと歩き、アレッツォに向かいました。

フォリーニョ最終日は、アレッツォへの移動日です。
でも、夕方着くと伝えてあるので、昼ご飯を食べて15時過ぎの列車の移動で十分間に合います。

アッパルタメントのチェックアウトは、11時までなので、ぎりぎりに出ることにして、
まずは、キッチンの片付け。
散歩から戻ってから飲む水以外は残さないようにして冷蔵庫もきれいにしました。
食器や鍋も元の位置に戻して。

それから、まち散歩。
あら、こんな催し物をやっていたのですね、気付きませんでした。
どこかのお店に入ってみればよかった。
リクガメのいるフォンターナ。何故カメ?
そういえば、駅前にもカメの彫刻がありましたっけ。
アーチについている文字は、Studio Sposa
日本で言えばブライダル・サロンと言ったところでしょうか。
ここだけアーチの下に花が飾ってありました。

この地区の旗は、黒字に剣。かっこいいですね。
選挙の宣伝カー?
日本のもののようなスピーカーはついていません。
この教会では、これから結婚式が行われるようです。
何故か、教会の前にこんなものが。
この年のGiro d'Italiaの5月16日のゴール・17日のスタートがここフォリーニョだったのですね。
この日は、25日ですから、もうとっくに終わっています。
全日程が終わるまで、撤去しないのでしょうか。

まだ歩いていないエリアを、と思いながら気の向くままに歩きます。
どこを歩いていると言う自覚も無いままに歩いていたら、
なんとドゥオーモに出たのでした。
初日に撮ったときより、光の加減がよかったので、また撮りました。
また裏通りに戻って、歩きます。
La Dolce Vita(甘い生活)ならぬLa Dolce Vite(甘いぶどうの木)
あらあら、残念ながら閉店し、借主を探しているようです。
鉄格子の中から猫が顔を出していました。
(つづく)

フォリーニョに戻り、フォリーニョ散歩。
その後、前日にスーパーで買い物をしてあったので、家で作って晩ご飯。
グリーンピース
これだけ買って、1.01エウロでした。
豆を取り出しました。こんなにあります。
仔牛肉。272gで5.68エウロ。
で、この日の晩ご飯でーす。
グリーンピースのひたひたバター炒め煮
焼き野菜2種(茄子とズッキーニ)
茹でインゲンとミニトマトのサラダ
仔牛肉のスカロッピーネ・アル・リモーネ
(お肉は3枚のうち1枚を前夜食べたので、この日は2枚。)
ちらりと写っていますが、前夜の残りのヴィーノが少しだったので、
先にビールを飲みました。
これ、ちょっと高いけど、美味しいです。
え?食べ過ぎ?
だって翌日は移動日だから、食材を全部残らず使いたかったのです。

家の一角に葡萄の木
小さな、まだ「房」とは呼べないような小さな実が。
この家で、自家製のヴィーノを醸造するのでしょうか。
どのぐらいの量ができるのでしょう。
その昔、アッシージ郊外のアグリからトレッビアーノのカンティーナまで乗ったタクシーの運転手氏が、
翌日も予約したら、オレが作ったヴィーノだぜ、って感じで
ノーラベルの1本を持って来て下さったことがありました。
けっこう美味しかったのを覚えています。
このベランダに出てくるのはどんな人物?
若く美しいシニョリーナ?人生の深みを刻んだ老シニョーラ?
これは、配管工事の人の家の門に付いていました。
このエリアには、ちょっと面白い家や、可愛い飾りの付いている家がたくさんありました。
こちらは、また別のお宅
さて、そろそろ散歩もおしまい。
バス停のある広場に戻り、バスを待つ間にちょっとブレイク。
2つのピッコロ・パエーゼの日帰り旅、充実した1日でした。
車窓からののどかな景色を眺めつつ、晩ご飯は何にしようか考えながら
フォリーニョに戻りました。

ベヴァーニャ散歩の続きです。
この門の横にはフォリーニョ門とついていました。
こんな表示の付いていた、廃教会
お、ローマ劇場?
ここが入り口のようですが、閉まっていました。
あ、いい匂い、と気付くと本当にあちこちにジャスミンが咲いている5月でした。
教会が見えました。
サン・フランチェスコ教会とかいてありました。
でも、閉まっています。
教会を背にして下る階段の道
ヴィーノを売るらしき店の看板。店は閉まっていました。
また門がありました。これで3つ目。
ローマ時代の温泉もあるのですね、ここも閉まっていますけれど。
素敵な壁の家がありました。
まち歩きは、もう少し続きます。

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