ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2024年03月

1人でボートを出して、なにか獲るとかしているのでしょうね。
何だか映画のシーンのような。

ターラントは軍港のまちです。

これは、’18年に5人で行った時のアンティパスト・ミスト









コッツェのパン粉焼きのこの量!!!1人分は何個なのでしょう。





'18年の夏の旅行で、2回訪れたと書きましたが、その旅行の後半、
マテーラからロッサーノに移動の時に経由しました。
ちょっとだけ時間があってまち歩きをしました。
ドゥオーモです。

結婚式をやっていました。



外の記念撮影の時に私たちも撮らせてもらいました。

'12年夏にトロペーアからガッリーポリまで、交通の不便なところを大移動するために
止む無く1泊することに決めたのですが、美味しい食事に大感動し、
’18年の夏の旅行で、2回訪れました。
(Aさんと1泊して、ブリンディジ、カロヴィーニョに行って別な友人たちと合流し、Aさんとは別れ、再びターラントを訪れたのです。)
ターラントは、特別見どころがあるわけでもなく、居心地のいいまちでもないですが、美味しいまちです。

そう言えば「世界ふしぎ発見!」で9月にアッピア街道のことをやったときに
ターラントを美食の街として取り上げていましたっけ。

初めてのときに、到着したのが夕方で、食事をする場所を探しながらちょっと散歩に出たら、いきなり若者が警官に逮捕される場面に遭遇し、裏通りは歩かない方が無難かも、と思ったのでした。
その日の夕暮れ





ガイドブックに出ていた店は満席で断られ、何となくの勘で入った店がそれはそれは美味しくて。
アンティパスト・ミスト(前菜盛り合わせ)だけ載せます。
もうこれだけでいいと思える美味しさのイワシのフリットでした。





このタコ、柔らくて味が濃くて!




ここまでで2人前の前菜なのですよ。どんどん運ばれてずらっとテーブルに並び。

この時に初めて、プーリアではアンティパスト・ミストだけオーダーし、
食べた後でその後も食べるか決めるのが普通に行われていることを知りました。
もちろん注文するときには知らなかったので、プリモも注文していて、
私はパスタ(こんな大盛で、普通に1人前)

ペコさんはリゾット

をいただいて、お腹がパンパンになりました。
この、ぞんざいな盛り付けのリゾットが、今まで食べたリゾットの中で一番美味しいとペコさんが言っていました。

翌日の散歩

ちょっとすさんだ感じのところもありますが、きれいなところもあります。









城もありますが、今は軍事施設になっていて、決められた時間に案内付きで見学できます。





今日はこの辺で。

'18年夏にほんのちょこっと歩いただけです。
マキさんのファームに滞在中にウニバール(海辺にある店で、生ウニなど魚介がいろいろ食べられる)に送迎してもらい、
食べ終わって、まだ時間があったので、その辺を歩いてみたのです。
夏だけ営業しているお店です。
(この店だけには、’14年初夏にも連れて行ってもらいました)







たっぷり食べた後の散歩















何だか生活感のないまちでした。
船遊びをするにはよいのかも知れないけど、
私のように、車も船も無く、まち歩きしながら近所の店で食材を買って楽しむタイプには向かないような感じがしました。

'08年に訪れてから、何度も訪れていて、マキさんからは一番リピートしていると言われました。

オストゥーニのところで書きましたが、
カロヴィーニョに行きたかったわけではなく
この周辺を案内してもらえそうだから訪れたので、
私にとっては、カロヴィーニョのまちにこだわりはありません。
初回だけ、まちにあるご自宅でホームステイさせていただき、
あちこち連れて行ってもらえるのも助かったのですが、
マキさんの手料理がそれはそれは美味しくて、一緒に食べて飲んで話をするのが楽しくて、
気が付けばまた行ってと言う感じで。

初回のホームステイの時に、少しまち歩きをしたので、その時の写真を載せます。
お城だか何だか、由緒ある建物のようでした。(すみませんこの程度の認識です)











ちょうどフェッラゴストの時期で、まつりがありました。

まちの楽団が演奏していました。

いかにも、南イタリアらしい売り物。

このときは、ファームステイを翌年か翌々年ぐらいにスタートさせたいと考えていて
石の家を自分たちの手で改築中でした。
(廃墟のようなところに手を入れている)

屋上からの眺め

この頃は、マキさんの夫、ジュゼのマンマがお元気で、料理教室をやっていただき
オレキエッテをなどを教わりました。

マンマ作

私の、へったぴなもの

今は、もうちょっと上手になりましたよ。
教わったお料理の一部



この時は、遠くに嫁いだ娘さんも帰省していて、
ご両親の家(マキさんたちの上の階)の食事会に参加せてもらって大勢でワイワイと楽しみました。
ピッツァ

冷めても美味しいドライトマトと茹でたまご、ツナのスパゲッティ

次回以降はファームステイをしましたので、次回に続きます。

’12年の夏に3泊、そして’18年の夏はポルトチェザーレオから日帰りでと、2度行きました。
3泊した’12年の時のことを中心に書きます。

3泊なので、予約サイトの写真がとても素敵なキッチン付きを予約して期待して行ったのですが・・・

宿に着き、部屋に案内されたら、
あら? なんだか狭い。 キッチンは?
案内してくれたオニイサンに、キッチンはどこ?と訊いたら、
ないよ、うちはB&Bだからね、って。
共有スペースでコーヒーメーカーと電子レンジが使えるようになっているだけでした。

まずはガッリーポリの旧市街。島のようになっています。

が、陸続きで歩いていくことができます。

私たちの宿は島(旧市街)の中ではなく、街のなかでした。
宿の写真も少し載せますね。
共有スペース



共有スペースは、そこそこ広くて美しいのですが、部屋は狭い。
おまけにモダンなデザインで、洗面シンクは浅くて、水がちょろちょろとしか出ないし、シャワーヘッドもモダンで見た目はかっこいいけど、超節水デザインのようでした。

旧市街に渡る道の近く



土産物屋がいっぱい。







魚介や、魚介料理を売る店も。



島に入りました。


漁師さんたちの姿をたくさん見ました。





小さなビーチがありました。ここだけでした。

あとは船がつけられるところ。











観光トレインが走っていました。



教会の前に広場がないので、ぎりぎりでとってもこれ。何とも窮屈。


中は、美しいと言うより、涼しくて気持ちが良かった…(暑い日だったのです)

美しいところではありましたが、ちょこっと見るだけでよかったかも。
というのは、宿の近くはこんな岩場ばかりで

海辺でごろごろ過ごす雰囲気ではなかったのです。
島の小さなビーチもそれほど素敵ではなかったし。

’18年の時は、本当は別なところに行く予定だったのに、
乗るべきバスが来なくて、待った挙句にバス便キャンセルになるという訳の分からないことになり。
やっぱりイタリアだねえ…とガッリーポリを歩いたのでした。



帰りはバスで帰ったのでした。

ここは一度行けばいいかな、とわたしとしては思います。

’17年、トラーニに滞在中に日帰りで行きました。
トラーニからアンドリア、アンドリアからカステル・デル・モンテへとバスを乗り継いで行きました。

アンドリアからは小型のバスでした。
プーリアのてろっとした平原(ところどころに畑や林が見えます)をバスはのどかに進んで行き、やがて小高いところに城のようなものが見えました!

駐車場に到着し、下車しました。

ここからは、徒歩です。
中央左寄りにBARという文字が見えるでしょうか。
何にもないわけではなく、バールとレストランが1軒ずつありました。



意外に周囲が広くてびっくり。









内側の中心部はオープンエアーになっています。





外はすごい陽射し。

ワンちゃんは、ひたすら省エネモード



他に何もないですが、とりあえず見ておく価値はあると思いました。

マキさんのところにファームステイしているある日、
今夜マンドゥリアでピッツィカ(プーリア州サレント地方の伝統的な踊り)のおまつりをやっているから、行ってみましょうと車で連れ出してもらい、
その途中で通りかかったまちです。
ここにはお城があるのよ、というでちょこっとだけ降りて見ることにしたのです。

地区ごとの旗が掲げられています。近々おまつりがあるのでしょう。





お城が見えました。



夏の夜のまちは、暗くても人々の営みが感じられて、まち歩きも楽しいです。

閉まっているのは承知の上でしたが、城全体を見渡せるところに行くこともできませんでした。

素敵なカテドラーレがあると言うので次はそちらへ。



中に入ることができました。

なんだかよく分からないのですが、演奏と合唱の練習をしていました。
きっとこの地に伝わる民族音楽なのでしょうが、
中近東とかアフリカの影響もあるような不思議な音楽でした。
動画を撮ったのでご覧ください。



車に戻ってマンドゥーリアに向かおうとしたら、通りかかった広場で、
若い人たちが旗振りの練習をしているところが見えて、また車を止めて降りてみました。
車があると、こういうのが本当にいいですね。(私には滅多にできないことです)



この広場の端に教会があり、なんとこの時間に結婚式をしているのでした。

その教会の前でも旗振り隊の練習をしていました。

私がカメラを向けたら、撮って撮って!と言う感じでこちらを見る女の子たち。

車に戻って目的地へと向かったのでした。
夜に1時間にも満たない滞在時間でしたが、昼の姿も見てみたいと思えるまちでした。

海辺のまちです。



城壁があります。

土産物屋がたくさん







泳いでいる人たちがいました。

このときは、サン・ピエトロと言うとても小さな教会があったので入ってみました。
古いフレスコ画がありました。



ここまでが’12年の時の写真です。
’12年の時は電車の駅から、’17年の時はバスで行ったので、
降りたところからまちの中心部までのアプローチが違いました。
ここからは、’17年に行った時の写真です。








'12年の夏と'17年夏に訪れました。
こうして見ると、複数回訪れているところのなんと多いことか...
店もまちも、好きになると通うという癖があるので仕方がないですが。

このまちの目当ては何と言ってもロマネスクの大聖堂の床モザイクです。
まずはその大聖堂の写真を。

パッと見には、入り口とバラ窓だけがちょっと素敵かも、と言う感じですが。

中に入るとすごいんです。

床モザイクは、入り口から内陣の奥の奥まで700㎡以上を埋め尽くしているそう。
ジョナータと言う当時の大司教の発案で、
修道士にしてモザイク画の技術にも通じていたパンタレオーネと言う人が、
1163年から66年にかけて制作したものだそうです。

そのプランは壮大で、
入り口付近の床に背中合わせの象が2頭描かれ、
その背中に根を張る1本の巨木が、左右に枝を茂らせながら
内陣に向かって真っ直ぐに伸びているのです。



それはキリスト教美術で言う「生命の樹」で、
「楽園追放」や「バベルの塔」、「ノアの洪水」などの旧約聖書中の物語、
古代神話の主人公達から中世騎士道物語の主人公達、
12ヶ月と季節の労働を示した「月暦」、
「黙示録」の動物達から「天国と地獄」までと、
豊富なモティーフを組み入れた、中世の複雑な世界観を表しているのだそうです。

これがその象

美しいというより、面白い図柄の数々。














椅子が置いてあったり、ロープが張ってあって立ち入れないところがあるのが残念なのですが、それにしても見事なモザイクです。
地下のクリプタの柱頭彫刻も素敵です。



オートラントのまちの様子はまた次回。

この初オストゥーニの目当ての店での一人の食事では、
アンティパスト・ミスト(前菜盛り合わせ=お食べ地獄の入り口という感じ)を楽しみにしていたのに、それは2人以上からでないと注文できず、
とても残念な思いを残して(それでも他のものを美味しくいただきましたが)
マキさんの迎えの車に乗って帰ったのでした。

が、その2日後ぐらいだったでしょうか、マキさんがお祭りを見に行きましょうと
夜に連れて行ってくださったのです。
ぶれぶれでごめんなさい。



昔ながらの方法で作られている物や食品がいろいろ売られていました。





ナッツの飴がらめ。



イタリアのこうした祭りを見て食べて、というのはこの時が初めてで、とても楽しめました。

この’08年の後、’12年夏、’13年冬、’14年6月、’17年夏、’18年夏とマキさんのところにお世話になり、その都度オストゥーニにも立ち寄っているので、
それぞれの回の写真を少しずつ載せます。





















こうして振り返ってみると美しいまちだなあと思います。
だけど住むとか、何泊も滞在するなら、ヴィエステのようなまちがいいなあと思う私です。

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