ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2024年04月

'19年の秋(今のところの私の最後のイタリア旅)に3泊して、中2日のうち1日をこのまちの観光に充て、あと1日はボッビオに日帰りで出かけました。

ミラノのあるロンバルディア州とのぎりぎりの境にあるまちです。
(というか、ちゃんと地図を見ないで最初はエミリア・ロマーニャ州とは思っていませんでした。)

16世紀から約200年間、ファルネーゼ家の支配下にあり、ファルネーゼ公爵家の住居がファルネーゼ宮殿です。
それはそれは大きな立派な宮殿で、今はピアチェンツァ市立博物館になっています。





中には、武具や彫刻、絵画など多彩な展示品がありました。





ボッティチェッリの円形画「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」です。

私が一番観たかったのは、サン・サビーナ聖堂のモザイクです。
教会内に足を踏み入れた途端の床モザイクがなかなか愉快で楽しめます。

ランゴバルド独特の模様

地下のクリプタがすごいんです。





本堂のフロア、
主祭壇はまた少し階段を上ったところにあります。
その中間の飾りがまた素敵。





このライオンの表情が堪りません。

主祭壇の床モザイクは、カーペットでおおわれていて。
ちょっと端っこをめくって写真を撮らせていただいていたら教会の方がやってきてしまって...

ごめんなさい、素敵なモザイクを見たくて、カーペットを...と言いかけたら、
「どうぞどうぞ、こっちもきれいですよ。」と別な方もめくってくれて。
何とありがたいことでしょう。
感謝して、大胆にめくってしまいました。



ドゥオーモもとても素敵です。



雨だったので、外側はあまりたくさん撮っていません。
4世紀に創建された初期キリスト教会が前身で
546年、トティラ王のピアチェンツァ占領によって、破壊され
大聖堂が再建されましたが1117年の大地震によって倒壊してしまい
現在のロマネスク様式の建物は、1122年から1233年に建設された3代目のものなのだそうです。





内部の柱に聖母子の美しいフレスコ画が。
そしてその下の絵は額で囲われ、蝋燭や花が飾ってあります。

ここの一番の宝(?)カラッチの「ダヴィデとイザイア」が入り口上に架けてありました。
かなり大きな絵ですが、くらくてよく見えません。



ピアチェンツァは、見どころがたくさんあるので、次回に続きます。

昨日に続き、パルマの写真を載せます。
回数言っている割に、泊まったのは1回だけというのは、近くにモデナがあって、
どっちに泊まる?と悩んだ末にモデナに泊まってしまったからというのがあります。

'15年夏にモデナに2泊しました。
悩んだ末にモデナに決めたのは、大聖堂を朝な夕なに見に行きたいと思ったからです。

それでも、パルマに行きたかったのは、国立美術館を見たかったからです。
いつもドゥオーモや洗礼堂の方に行ってしまい、
このピロッタ宮の前は通り過ぎていました。

シニョレッリさんのサークルで、この美術館が素晴らしいと言うことが分かり、
ぜひとも訪ねてみたい気持ちに駆られたのです。

駅からほど近いところにあるピロッタ宮の2階が美術館の入り口になっています。
ピロッタ宮は、1583年、当時のパルマ公オッタヴィオ・ファルネーゼが建設を始めた宮殿で、
17世紀に壮大な今の姿と規模になったのだそうです。
この宮殿内に、国立考古学博物館、国立美術館、パラティーナ図書館、
そしてファルネーゼ劇場(戦災で崩壊したものを復元したもの)があります。

美術館に入るには、上の写真の扉を開け、ファルネーゼ劇場を通って行くのでした。

開けて、びっくり。
思いもよらぬ大きさなのですもの。



劇場の一番後方から入り、正面のステージに上がって、
その裏から美術館に入るようになっているのでした。
なかなか面白い入り方ですね。

展示の最初は、私の大好きな木や石のレリーフ彫刻群でした。





ロマネスク聖堂の屋根の下や外壁などで見かける面白顔や
柱頭彫刻を間近で見られるのもなかなか楽しいことでした。



次はフレスコ画や祭壇画のコーナーです。
フレスコ画に使われる顔料や刷毛などの道具類の展示もありました。



「フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあった
14世紀の画家アニョーロ・ガッディ作の祭壇画
『天使の間の玉座の聖母子、聖ドメニコ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ・・・・』」
添えられた解説には上記のようなことが書かれていますが、
全部書くのもたいへんだし、私のように無知な者が書いても、
専門の用語を正しくは書けないので、やめておきます。



表情が素敵で、アップで撮ってみました。

14世紀のニッコロー・ディ・ピエトロ・ジェリーニという画家の作品。
私はとても好きでした。

これは、ボッティチェッリのもの。



レオナルド・ダ・ヴィンチのこの作品もここにあるのでした。

パルミジャニーノの「トルコの女奴隷」
ここの目玉作品らしく1つの壁面に単独で展示してありました。
じっとこちらを見る瞳と、赤味を帯びた頬が印象的でした。

きりがないのでここでやめますが、ここだけを目当てにパルマに行ってもいいぐらいの充実度でした。

美術館の後は、美味しいもの。
事前にいくつか調べていた店を近いところから見て歩いて入りました。
ハム・サラミ屋がやっているお店です。

現地の人のお昼の時間だったので、結構混んでいましたが、
外のテーブルに座ることができました。
L'oro di Salumi(ハム・サラミの金)と名づけられた盛り合わせ
真ん中より右側がクラテッロ、左側がパルマの生ハム18ヶ月熟成、
サラミは、右がチンギアーレ(イノシシ)、
左が、クラテッロ入りのストロルギーノというサラミです。
ヴィーノは、もちろんランブルスコ(この地域の赤の発砲)

プリモは、ジュゼッペ・ヴェルディと名づけられた一皿。

ポルチーニとクラテッロとアスパラガスの入ったリゾットです。
おろしたパルミジャーノもたっぷり入って、濃厚な旨味のあるリゾットです。
満足。

自転車で走っていた素敵な女性が、少し先で止まって、スマホをいじり始めました。
かごのヒマワリが鮮やかで、とってもお洒落な感じに
思わずシャッターを切ってしまいました。

ジェラートを食べたくなり、お勘定を済ませてお隣のジェラテリアへ。





次に行くときは、2泊はしてまち歩きをもっと楽しみたいな。

パルマと言えば、何と言っても生ハム!と言う方も多いのではないでしょうか。
私も、最初に行った時('98年)はそうでした。

昔は一人旅をたくさんしていたわけではなく、友人たちと一緒にイタリアを旅していたのですが、
私が現地での日数をたくさん取ることができたので、旅の初めあるいは終わりに一人旅をすることになり、
そのうち一人でも全然平気で旅することができるようになったのでした。

'98年夏は一緒に旅していたイプさんが先にミラノから帰国し、
私一人で、3日ほど独りで過ごすのにどこに行こうか考え、
チンクエ・テッレに2泊し、ミラノに戻る時に、ジェノヴァを経由せず、
パルマ経由で、パルマで昼食をいただいてミラノへ戻ろることにしたのでした。
まさに、パルマ=生ハム!!!と思って。

ところが、パルマに降り立ち歩き始めて、びっくりでした。
人影がほとんどないのです。
昼下がりと言う時間帯もよくなかったのでしょうが、当時は今以上に
イタリアの内陸部のまちには人がいなくなり、バカンス地は賑わうというパターンで
8月の20日ごろなんて本当にゴーストタウン状態。
何も知識がないまま適当に歩いても、開いている店は全く見つからず。
やっと見つけた店でとりあえず生ハムを食べてミラノに戻ったのでした。

次に訪れたのは、'02年冬。
ボローニャで3人の友人と滞在しているときに、パルマを日帰りでさっと見て
昼食をゆっくりと食べたのでした。
このときも、ガイドブックに載っているところをさっと見ておしまい。
観光よりも食べることメインと言う感じでした。

私のイタリア通いのきっかけは、イタリアは美味しい、イタリアは面白い、というところからでした。
そのうちだんだんと歴史や美術に興味を持ち始めて...
食べたい、飲みたいから、見たい、観たい、に変化して行きました。

パルマには、その後'03年夏にも、モデナに滞在しているときに日帰りで行きました。
これも前年冬に食べた店が美味しかったので食べるために行っただけなのでした。
何しろ、この路線の電車は本数がそこそこあるので気軽に行く気が起きるのです。

パルマについては、ウィキペディアに次のように書かれています。
「古代に起源を有する都市で、中世は自治都市として栄えた。パルマ大聖堂を中心に中世都市の景観が残る。16世紀半ばから19世紀のイタリア統一まではパルマ公国の首都であった。『美食の都』として知られており、特にプロシュット・ディ・パルマ(パルマハム)で有名である。」

その後、’05年には宿泊し(ただし、車で移動して辿り着いたのが夜で、食事をして寝ただけ)、’09年にも移動の途中で立ち寄っています。
でも、一応それなりにパルマを見たのは、9年以上も間を空けた'12年冬のことでした。
この頃には、ガイドブックに書かれていることをふむふむと読みながら目の前の建築や美術品を見ることからちょっと成長していました。
テアトロ・レージョ


総督宮殿(Palazzo del Governatore)には時計塔がついています。
13世紀に創設されたそうで、
現在の時計の右下には午前と午後に分かれた日時計、
左下のものは太陽の位置で暦を計る、カレンダーの役割を担っているものだそうです。



大聖堂







前にも見たのにこのときに感動したのが洗礼堂でした。

前は、観光客で混みあってざわざわした中で何となく見上げ、
ガイドブックをペコさんが読んでくれてふうんと見ただけだったのですが、
このときは私たちとほかに1組。
静かな中で見上げた、石とは思えないような曲線を描く柱、
壁に描かれた12か月の労働の彫刻や絵。
厳かな雰囲気に身も心も洗われるような気持ちになりました。









外側の彫刻も素敵で。





まち写真を少し。



トスカーナ料理ではないのに、屋台で売られていたオリーヴェ・アスコラーネ。

この時初めて食べてその美味しさに感動し、以後、見つけるとつい食べてしまうようになりました。

パルマには、その後も訪れていますので次回に続きます。

イモラの郊外にある小さなまちです。

ズィベッロを訪れる旅程を組んでいるときに、
比較的近いところで、歩いて楽しいまちがないか検索していて見つけた、
丘の上の城砦のある小さなまちです。

行き方を調べたら、ボローニャ〜イモラを結ぶバスがあって、
その途中で降りて別のバスに乗り換えてドッツァに行くのでした。
その乗り換えるバスは、なんと1時間以上前までに予約をしないといけないそうで。
とりあえず本当なのかバスターミナルで確認したら、やはりそうだとのこと。

ドッツァまでは、乗り換え時間を除けばバスで15分程度のはずで、
車ならもっと短時間で行けるでしょうし、予約できるのは1時間以上後のバスですから、それを待つのも面倒なので、タクシーで行きました。

イモラに泊まってここを日帰りで訪れようかと思いましたが、
ドッツァによさそうな宿が見つかったので問い合わせメールを送ってみました。
「眺めのよい、美しいシングルルームをご用意できます。朝食付きで55€です。」との返信。
とても感じのよいメールだったので、そこに泊まることに決めました。

部屋からテラスへ続くドア。

テラスからの眺め。



宿に着いたのが昼前だったので、まずはまち散歩。

とても小さなまちなので、歩いても30分もかからずに回れるのですが、それなりに時間がかかる理由があります。
きっかけは1960年代から始まった村おこしだったようなのですが、この村の壁と言う壁には、絵が描かれているのです。

ホテルの入り口を出れば、早速ありました。







このまちは、丘のこんもりした尾根部分につくられているようで、
まちの入り口になる門から、一番奥の城砦までゆるゆると上る坂道のある細長いまちです。
メインの通りが真ん中を貫き、裏道が2、3本通っていて、それを繋ぐ道がちょこちょとっとあるだけでした。

まちの入り口の門とは別に、城砦へ行く途中にまた小さな門があり、このまちを検索しているとよくその写真が出てきました。

この門の手前に小さな広場があり、そこにナターレの時期ならではのプレゼーピが飾られていました。

その広場から丘の下へ通じる小道がありました。
このまちの丘の周りは散歩道として整備されているようです。

門をくぐると、小さなまち役場があり、そこにもまた壁画がありました。



まちの中のあちこちに壁画(ムラーレス)がありましたが、きりがないのでこのぐらいにしておきます。

城砦が見えてきました。









城砦の入り口に何やら案内が書いてありました。
近づいて見ると、なんとエノテカがあるのでした!

残念!入っていったら、午前の部が終わるところでした。
人が来ないので、早仕舞いのようで。

ホテルのすぐ近くに、Piccola Osteriaという店がありました。
地味な入り口がよさげな雰囲気で、ここで昼食を摂ることに。

ところが中に入ってみると、全然ピッコラではなくて、結構広い空間が、素敵に飾られていました。



夜にがっつり食べようと思って、昼は軽めにいただいて宿に戻って昼寝。
ちょっと寝すぎて、夕方になっていましたが、また少し散歩。

この通りのアーケードの並びにある小さな聖堂(多分このまちにただ1つ)の入り口のステンドグラス。



晩ご飯はホテルのレストランに行きました。

喫煙?禁煙?と訊かれて、あら、イタリアって全面禁煙じゃなかったっけ?と思いつつ当然禁煙と答えたら、禁煙の部屋に通されて。
全く別に喫煙ルームもあるのでした(完全に分ければ、喫煙も許されるのですね、きっと)。
禁煙ルームは、私とあと1組。
喫煙ルームはイタリア人で賑わっているようでした。(そんなものなのでしょうね)

ここは、コペルトに食前酒もついているようで、スプマンテがグラスで出てきました。
パンが運ばれてきて、これが嬉しくなる種類と量!



一人でもこれだけ出してもらえるのってホントに幸せ。
もちろん全部は食べないけれど、どれを食べようかな...って選ぶときの楽しさがあります。

プリモは、ストロッツァプレーティというパスタにブロッコリーとミニトマト、ペペロンチーノを入れたものを選びました。

セコンドはお肉ガッツリ。仔牛肉のポルチーニソース掛け。

ヴィーノは、ハーフボトルで。
コントルノにはインサラータ・ミスタをいただき、
ドルチェは、カッフェのセミフレッドと熱いチョコレートソースがけのザバイオーネ

翌朝、カーテンを開ければこの景色。

まちがうっすら雪化粧しています。

朝食を済ませ、出発するころにはまちの中の雪はすっかり溶けていました。

リミニの友人が「このまちの編み物好きの人たちが、橋の欄干だの木の枝だのにカラフルな編み物を着せている様子が面白い」と教えてくれて、さらにナターレの時期だとプレゼーピもユニークだと言うので、リミニから日帰りで行きました。
彼女が撮った写真



私が訪れた時は、上の2つはもうなくなっていました。
でも、このぐらいはありました。



チェゼナーティコは元サッカー日本代表監督のザッケローニさんの出身地でもあります。
漁港なので、たくさんの魚介を食べさせる店がありました。



運河が見えてきました。

船の上にプレゼーピを飾っているのでした。



夜の方が明かりが灯ってきれいだろうなあと思い、
でも雨と風のせいでずっと外にいる気になれず。
そういう人のために(という訳ではないでしょうけれど)、
ちゃんとアイリッシュパブがあるのでした。

入っていくと、もう15時を回っているのにお食事ですか?と聞かれました。
いえ、ビールだけで、と言ったら、それでももちろんOKで、窓際の席に着きました。
店はちょうど昼食をとる客が一段落したところで、
やっと店の人が食事をするところなのでした。
ピッツァやフライドポテトなどを食べていました。

暖かい店内でいただく冷たいビールの心地よさ。
パブで一休みした後、少し暗くなってきたのを窓から確認して外に出ると、
幸いにも、雨が上がっていました。
黄昏どきの散歩を始めました。

やはり、暗くなってきてからの方が、明かりが灯ってきれいでした。





運河から離れて、横の道に入っていってみました。

けっこう立派な家が多いようです。
かわいらしい消防署。日本で言う、消防団サイズ。

いかにも漁師町らしい絵が壁にずらりと。





小さな広場に出ました。火を焚いていました。

そしてここにもプレぜーピ。



通りのイルミネーションを見ながらまた運河の方へ。

運河に出ました。





自転車ロードレース好きにとても人気のあったマルコ・パンターニの故郷でもあるそうです。
私は、マルコ・パンターニのことは全然知らなかったのですが、
’14年、死因をもう一度調査するというニュースで知りました。
本当に人気があるのですね。
パンターニの記念館がありました。
閉まっていて見られませんでしたが。



リミニに帰る電車のホーム

ジベッロと書かれることが多いようですが、Zibelloなので、音により近い表記にしています。

ここは、ポー川の霧が育むと言われる極上質の生ハム、クラテッロ・ディ・ズィベッロの産地の1つです。
切っていない生ハムと言うと(よく原木と言われますね)
こういうものを思い浮かべるのではないでしょうか。

豚のお尻から腿、足にかけての部分ですね。
クラテッロはそのお尻の芯と言った感じ部分の肉を膀胱の皮に入れて熟成させるパルマの伝統的生ハムなのです。
ピンボケですが、お店の人に見せてもらったカンティーナに吊るされたもの。

EUから伝統を守り生産される商品を保証するDOP(生産地保護保証)に指定され、
生産地、原料となる豚、豚の餌、生産方法など、細かい規則があり、最終的に検査を受けて、初めてクラテッロ・ディ・ズィベッロと名乗る事ができます。

昔の、冷蔵庫が無かった頃の生産時期である10月から2月に生産した物のみが、
クラテッロ・ディ・ズィベッロになります。
ズィベッロで作られた物だけがクラテッロ・ディ・ズィベッロと言うわけではなく
ズィベッロで登録されたので、この名前が付いたのだそうです。

実際には、
1.コロルノColorno、2.ズィベッロZibello、3.ロッカビアンカRoccabianca、4.ソラーニャSoragna、5.サン・セコンドSan Secondo、6.ブッセートBusseto、7.ポレジネ・パルメンセPolesine Parmense、8.シッサSissa、
8つのまちで作られるものを言うのだそうです。

クラテッロの話が長くなりましたが、私がクラテッロを知ったのは、相当前のこと。
「美味しんぼ」というコミックで読んだのです。
それで、行ってみたくて’02年に一度訪れているのですが、
当時は情報を得る手段が少なくて、どこだかよく分からず、それでも店で食べることはできたのでした。(執念と言うか根性と言うか)

ブッセートから行くのは同じなのですが、ネット環境が良くなって調べてみると、
ポレジーネ・パルメンセPolesine Parmenseという、ズィベッロの隣のまちだったようです。
パルから日帰りで訪れ、行きつくまでにいろいろあって、
閉店間際に辿り着いたので、あったかい料理はいただけませんでしたが、
クラテッロは食べることができました。(写真無し)

我ながらどうしてこうも食い意地が張っているのでしょうねえ。
ちゃんとズィベッロに行ってみたくて、’09年大晦日に行って2泊しました。
(チェノーネをいただくつもりで行ったのですが、やっていなくて普通の食事をしました)

夕方着いて、着替えて店に行きました。

ここは、クラテッロ・ディ・ズィベッロをつくっていて、リストランテもやっている店です。

カンティーナを見せてもらいました。
上の写真はその時のものですが、もう少し引いて撮ったのがこれ。

もちろんクラテッロをいただきました。

合わせるヴィーノはランブルスコ(微発泡の赤)

サラミもありました。

パスタの後にも数々の料理。

翌日少し散歩したので、まちの写真も。
やはり霧に包まれていました。



ポー川

ちょっとまちっぽいところもありました。













この時は、パルマからバスで行きました。

’02年には調べられずに、パルマからフィデンツァで乗り換えてブッセートまでは電車、
ところがまち1台のタクシーが遠くに出払っていて、仕方なくフィデンツァまでの列車を1時間以上待って戻り、そこからタクシー代を奮発してやっと閉店ぎりぎりに入れたのでした。

’09年にはちゃんと調べられるようになって本当によかったです。
食いしん坊の方、冬は寒く、夏は暑い地域なので、春か秋にでもパルマからバスで出かけてみてはいかがでしょうか。

12月25日はナターレ(クリスマス)で、ほとんどの店が閉まっているのが分かっていたので、
どこか食べる場所を教えてもらおうとボローニャの友人に事前に訊いたら、
彼女がちょうどサッソ・マルコーニのカンティーナのリストランテでコックをしていて
プランゾ・ディ・ナターレ(クリスマス・ランチ)をやってるよ、と教えてくれたので予約してもらったのでした。

彼女はもちろん仕事ですが、駅からは彼女の車で送迎してくれるとのこと。
ちょうど日本から1人でやってくる彼女の友人も合流することになったのでした。

サッソ・マルコーニは、ボローニャの南西の方に電車で25分ほどのところにありました。

カンティーナは、アグリトゥーリズモとリストランテも経営していました。

食事の開始までまだ時間があったので、少し散歩しました。











リストランテの入り口には売店もありました。



リストランテの店内。
一族でそろって座るような席も用意していありますね。

続々とゲストが到着し、食事を始めました。
Entratina di benvenuto con il nostro spumante di Pignoletto
(歓迎のお通し、ピニョレット種の当社のスプマンテと共に)
で乾杯!(って、乾杯の写真撮ってないし)
これがそのEntratina

Creme Caramel al parmigiano
(クレマ・キャラメル、パルミジャーノ)

え?前菜にクレマ・キャラメル?とびっくりしたのですが、
茶碗蒸しを考えていただけば不思議ではなく、
卵の部分は甘さがないので、ちゃんと前菜になるのでした。
パルミジャーノせんべいが美味し~い。

パルミジャーノせんべい、丸めたものと、平たいものがあって、
隣合う席で違う形が配膳されていました。

プリモは2種
Tortellini in brodo di cappone
(去勢した雄鶏のブロードに入ったトルテッリーニ)

イタリアには、去勢した雄鶏だの、去勢していない雄牛だの、
鶏肉、牛肉にもいろいろあり、
いったいどう味が違うんだろう???
去勢すると、筋肉もりもりにならないとか?
ひとまずこのブロードは、素直な滋味あふれる味でした。

Tagliolini di grano saraceno su radicchio stufato
(そば粉のタリオリーニ ラディッキオの煮込みに乗せて)

イタリアにそば粉のパスタがあるのは知っていましたが、
食べたのは初めてでした。
やっぱりちゃんと蕎麦の味がしました。
ラディッキオの煮込みが美味しくて、このパスタとよく合っていました。

Brasato classico al cacao con tartufo nero
(クラシックなカカオ煮込み、黒トリュフを添えて)

なかなかのボリュームの牛肉です。
このあたりでもうお腹はいっぱい。
でもこのカカオ味がいい感じで、結局これも完食。

ドルチェは、
Tortino caldo di panettone su salsa di vino passito
(パネットーネのトルティーノ、パッシート(甘い食後酒)のソースに乗せて)

ヴィーノは、食事に合わせて白、ロゼ、赤といただいて、
飲むとすぐにお替りを注いでくれるので何杯飲んだか分かりません。
パンも、水もカッフェもぜーんぶ込みで、これだけいただいて40€!

この時以降、あちこちでプランゾ・ディ・ナターレを楽しみました。
12月25日にイタリアに滞在予定のある時は、事前に調べて予約して食べに行くのをお薦めします。

1つ前のコディゴーロと同じ旅行の時に行きました。

ここは、「鰻」で有名なまちです。
でもトスカーナでオルチャ渓谷巡りの案内をしてくれたトモコさんが、
コマッキオで「穴子」のリゾットを食べてとても美味しかったと話してくれて、
それが食べたいために訪れたのでした。
ちょうどフェッラーラからは近かったので。

でも日帰りではなく、ちゃんと1泊宿を取り、フェッラーラからコマッキオ行きのバスで行きました。

コマッキオは、"小さなヴェネツィア"と言われる干潟のまちです。
夏ににぎわうまちらしく、宿探しは大変かと思っていたら、
夏ににぎわうまちのシングルルームは結構空いていることがありるのですが、
このときもシングルルームに空きがあって、しかも安くなっていました。
イタリア人の感覚でバカンスに一人で出かけるというのは有り得ないから、
こういう時期にシングルが空いているのでしょうね。

その、シングルがあった宿は、料理旅館という感じで、
宿の入り口はどこ?って聞きたいほど、地上階は、全くのオステリアでした。

部屋は2回に有り、鰻のまちだからということではないでしょうが、鰻の寝床のようなシングルルームでした。

窓からの眺め



まち歩きをしました。











↑この橋の上に行ってみました。



夏なのに珍しく小雨が降っていて、店の外の席は使っていませんでした。





鰻のまちらしい看板

どこを探しても穴子のメニューは無く、季節的なものなのか鰻料理ばかり。
しかも、リゾットのオーダーは2人前から。

昼は適当に見つけた店で鰻ではないものをいただきました。

夜は、宿の経営する店で食べました。
覚悟を決めて、鰻のリゾットを2人前オーダーしたら、
女主人が、あなたは一人なのにどうして2人前?と訊くので
オーダーは2人前からとあり、どうしても鰻のリゾットを食べてみたいのですと答えたら、
彼女は、大丈夫、1人前でお作りしますよと言ってくれて、ちょっと感動。
その時に食べたもの全部。

ストゥッツィキーニ(フレンチのアミューズ)は、スモークサーモンと野菜。

マグロのしゃぶしゃぶ(イタリア語メニューにSHABUSHABU DI TONNOと書かれていました)がやってきました。
しゃぶしゃぶというより、たたきという感じでした。

鰻のリゾット

少ないようですが、けっこうな窪みのある皿にたっぷり入っていました。
お・い・し・い~ うっとりするようなお出汁です。
頭や骨を焼いて、出汁を取ったのでしょうね。
昼寝のときに下からお出汁の匂いがただよってきていたのです。
「本当に美味しいものは、美味しそうに見えない」例の一つです。

ドルチェもいただきました。マンゴーのセミフレッドです。

ああ、このまちへ来てよかった!
この店に入ってよかった!と思いました。
この料理宿に予約を入れた時から、この味は約束されていたのです、きっと。

まちの夜景。水のある所は灯りが反射してきれいですね。



次に訪れるときは、複数で鰻料理のいろいろを食べてみたいと思いました。

’15年夏に、フェッラーラから日帰りでポンポーザへ行くときに、
コディゴーロまで電車で行って、そこからタクシーで行っただけなのです。

だから、行ったというほどのものでもないのですが、
駅の写真を撮っていました。

車が停まっていましたが、人影は全く見かけませんでした。

タクシー乗り場がありました。

番号が2つあったので、最初のところへかけてみると、応答なし。
2つ目にかけたら、つながって、10分待てと言われて、
本当にほぼ10分後にタクシーはやってきました。

申し訳ないぐらいに写真が少ないのですが、
一応、降り立ったまちとして記録しておきます。

’14年夏、ボローニャに滞在しているときにボローニャ在住の友人の車で連れて行ってもらいました。

イモラと言えば、何と言っても有名なのはサーキット。
車を停めて歩きました。

セナの写真が挨拶してくれています。

外からサーキットを見ました。

チンクエチェントを見るとつい撮りたくなります。

サーキットの敷地内に自然公園があり、セナの銅像がありました。

’94年に亡くなったので、このときで20年経っていたのですが、
世界中のファンが訪れては花を手向け、メッセージなどを置いていっていました。



街散歩も少ししました。
15世紀につくられたというモンタナーラ門

ドゥオーモ



それからぶらぶらと歩きました。



古代ローマ時代の総督マルコ・エミリオ・レピドによって
紀元前187年にピアチェンツァとリミニを結ぶ約270kmの街道として作られ、
彼の名前を取って名付けられたエミリア街道が、
まちの真ん中を通っているのです。



ジャコモ・マッテオッティ広場は、なかなか素敵です。

カテリーナ・スフォルツァの恐怖政治を憎んでいた民衆が、
抵抗することなく、チェーザレを迎え
血を流すこともなく彼の手に落ちた城砦。(逆光でダメです)

ちょっと立ち寄りの割には充実したまち歩きができました。
(車があったお陰ですね)

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