ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

2024年06月

サルデーニャについては、1回だけで終わってしまいました。
モリーゼは2カ所行っているので、2回は書けます。

訪れたまちは、
1.カンポバッソ
2.テルモリ

今日は、カンポバッソ、モリーゼ州の州都です。
モリーゼ州には2つの県があるだけで、人口は約30万人。
面積・人口の点で、ヴァッレ・ダオスタ州に次いでイタリアで2番目に小さな州なのだそうです。

アブルッツィ・エ・モリーゼ州 (Abruzzi e Molise) だったのを分割し、
アブルッツォ州とモリーゼ州になったのが1963年、実際に自治体として発足したのは、1970年のことなのだそうです。

このサークルで、どなたかにイタリアのいくつの州に行ったかと質問され、数えてみたら行っていないのはモリーゼ州だけだったので、では行って全州踏破をしようと思ったのでした。
’13年のことです。
それまで全州踏破を目標にしたことは無かったのですが、せっかくなら、ね。
ひとまず州都カンポバッソに行くことに。

その夏の旅行は、いつものように私が一番に出発、ペコさんが1日遅れでやってきて、
それから1週間ほどしてイプさんがやってきて、それを待って一緒にシチリアに飛ぶことにしていました。

それで、私が1日先に入るその1泊だけカンポバッソに行くことに。
日本を発ち、朝9時過ぎにローマに到着、荷物の出るのを待ってティブルティーナへ。
ティブルティーナのバスターミナル発11時半のバスに乗り、所要3時間で到着。
モリーゼ州はアブルッツォの南の小さな州でローマのあるラツィオ州の東側に隣接しています。

鉄道で行くつもりで、駅から近いところのB&Bを予約していたのに、バスで行くことに変更したのに、うっかりバスの到着場所を調べ忘れ、到着したらとっても大きなバースターミナルだったので、びっくり。

どうやら鉄道の駅やチェントロ(街の中心部)とは離れているらしく、タバッキのおじさんに訊いて、市内のバスに乗って行きました。
宿にチェックインして早速まち歩き。
宿のすぐ目の前にムニチピオ(市庁舎)と大きな広場があり、広々したちょっとエレガントな通りです。

これがムニチピオ



駅舎

この床屋さんの看板の絵が何だか楽しいと思って写真を撮っていたら、

こちらはシャッターが閉まっているのに隣のドアが開いていて営業中。
写真を撮っている私を見つけて、中からボンジョールノ!と声をかけてくれました。

ビッレリアやアイリッシュパブなど、
美味しいビールが飲める店が並ぶ通りを見つけました。

変わった色のチンクエチェント



素敵な文具のショウウィンドウ



どうやら上のほうに古い教会がありそうなので行ってみます。





天国横丁とでも訳したらいいでしょうか。Vico Paradisoなんて小路が。





だいぶ高くなってきました。

教会がありました。



13世紀に建てられたというサン・バルトロメオ教会です。





さらに上にもう1つ教会が見えました。

サン・ジョルジョ教会といって、こちらは12~14世紀に建てられたそう。

まちを見下ろせました。

その横にさらに上に続く松並木

登りつめたところにまた教会がありました、こちらは他の2つほど古いものではありません。

向かい側に、カステッロがありました。

イタリアって、名前も知らなかったまちを訪れても、それなりの趣があったり、ちょっと素敵な建物や通りがあったり。
気の向くままの散歩をしただけでしたが、楽しめました。

サルデーニャを訪れたのは'01年。
なんともう23年も前の話になります。
滞在したのも一箇所だけです。
アルザケーナ市になるようなのですが、検索してみてもよく分からないというか、google mapに入力してみても英語表記ばかりで...

ところで、日本だとサルディニアと書かれることも多いように思います。
ちょっと調べてみたら、
サルデーニャ語ではSardigna, Sardinna, Sardinnia、イタリア語ではSardegna、カタルーニャ語ではSardenyaと綴るのだそうです。
この違いの影響もあり、日本語ではイタリア語からのサルデーニャの他、ラテン語や英語のSardiniaに由来するサルディニア、サルジニア、サルヂニア、サルデニアなどのいろいろな表記が混在しているようです。

さて、私が滞在したのは、アルザケーナ市のバイア・サルデーニャBaja Sardegnaというところなのですが、検索しているときにどなたかのブログで見つけた面白いこと。

「アルザケーナ市役所の管轄はPorto Cervo、Poltu Quatu、Baja Sardegna、Liscia di Vacca等をすべて統括しており、イタリア全域でおそらく一番の金満家の市役所だと言われている。」のだそう。
イタリア中、いやヨーロッパ中のセレブの訪れるビーチがずらりですものねえ...

あんまり昔で宿の値段も忘れましたが、4人まで泊まれるところに4人で滞在したので、まあまあお得に泊まれました。
当時はまだフィルムで残り枚数を気にしながら撮っていたのであまり写真は残っていません。

敷地内に何棟もあるお宿は、キッチン付きでいつもベランで食事していました。

1棟に区画ぐらいあったような気がします。

ビーチまでもすぐ。

プールもあったのでしょうが(記憶が曖昧)、海にばかり行っていました。

小さな船でのマッダレーナ諸島へのクルーズに参加しました。
サルデーニャの海はとても綺麗なのですが、マッダレーナ諸島は格別でした。



お宿の敷地にも食事のできる店が2~3ありましたが、伊勢海老のパスタが食べたくて近くにあるリストランテに行きました。
4人いるとこんなに見事な伊勢海老(1.9㎏)を食べられるのでした。

見よ、この量!

このカメリエーレ氏、ちょっとアラン・ドロン似

宿の敷地内のお店でも食べました。

マッダーレーナ諸島クルーズ以外は、本当に見事にどこにも行かずに海辺のバカンスを楽しんでいました。
行ったのは歩いて5分の小さなスーパーマーケットのみという…

州都トリエステです。
いずれ州都シリーズで書くので今日はフリウリ・ヴェネツィア・ジュ―リアの最後として軽く触れます。

トリエステは、イタリアの北の東端というか、長靴がたの、膝裏あたりにある都市です。

オーストリア帝国の唯一の大規模な港として、トリエステは最盛期を迎えましたが、第一次大戦後にイタリア領になり、さら1954年にイタリアとユーゴスラビアとの協定で2つに分割されたという歴史をもっています。(それ以前にもいろいろとあるのですが、省略)

私がこのまちへ行ってみたかったかのは、須賀敦子さんが憧れていた地だからです。
須賀さんが憧れていた理由は、彼女がその詩を愛し、翻訳までした、ウンベルト・サーバの出身地だからなのですが。

私は、サーバを読んだことはないので、邪道と言えば邪道なのだけれど、須賀作品の中に出てくるトリエステという街へ、是非行ってみたい...と思っていました。

それにトリエステという響きは、イタリア語のトリステ(triste=悲しい)に似ていて、街の悲しい歴史に重なるような気もしていました。

トリエステは坂の多い街です。
丘の上にお城があり、そこからの眺めが素晴らしいと聞いていたのでけっこうな坂道をせっせと上って行きました。
なんと、城全体を撮った写真がありません・・・
城の中

城からの眺め。



この日は猛烈に風の強い日で、早々にまちに下りました。

トリノにも似た、大きな建物がデーン、デーンと経っています。

なんだかイタリアにいる気がしないまちでした。

チヴィダーレの続きを載せます。
昨日見た修道院の出て

小さな教会は閉まっていましたが、壁のフレスコ画が素敵。



ドゥオーモ博物館にも入りました。
ラキス公の祭壇
正面は、玉座のキリストが両脇に大天使を従え、それを囲むアーモンド形を
4人の天使が支えているもの。

側面の東方三博士の礼拝

そしてもう一方の側面は、聖母マリアの従妹エリザベッタ訪問。
エリザベッタは洗礼者ヨハネの母、ザッカリーアの妻。

後ろの面の装飾

730~740年作のものと言われる洗礼盤

あまりの美しさにたくさんの部分の写真を撮りましたが、ここでは止めておきます。

お昼を食べた店

ドゥオーモ博物館にはお手洗いが無くて(びっくりですよね)、我慢しきれずにそこそこに出てすぐ近くにあるこの店に入ったのですが、なかなか雰囲気のよい店でした。

街角写真





’07年は、泊ったのに本当にもったいないことをしたと思います。
’19年に再訪して本当によかったと思うと同時に、昔、単純に雑誌やテレビで観たものに惹かれて行ったまちを狭く浅く見てきてしまっていると反省。
次からは、もっと事前に調べて、大事な見所を逃さないようにしたいと思います。

'07年の時は、「須賀敦子のトリエステと記憶の町」で、彼女が披露宴をやったレストランが、ロカンダ・アル・カステッロという宿のものだったと読み、泊りに行きました。



まちの由緒正しい宿というか老舗というか、そんな雰囲気がありました。

チヴィダーレは、坂東眞砂子さんの「聖アントニオの舌」というエッセイ集の「夢の戦い」という作品にも登場します。
ペナンダンティという、夜になると野原に行って、戦ったり遊んだりして過ごす者たちがいる地域、それがチヴィダーレのあるフリウリ地方なのです。
神のために悪魔と戦う者たちなのですが、(詳しくは本を読んでくださいね)それが全て眠っている間に起こる、つまり肉体から抜け出した魂が経験するのだとか。

そして、チヴィダーレの悪魔の橋Il Ponte del Doavoloは、悪魔の投げた石の上に橋げたが作られたと言う伝説をもっているのです。
'07年当時の橋の上は歩きましたが、ホテルに泊まって食事をするのが目的だったので、橋を渡りはしたものの、橋を外側から見ることのできるところまで歩いていくことはしませんでした。

ということでここからは'19年秋に行った時の写真です。
このときは、ウーディネから日帰りで行ったのですが、目的はサンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院(Chiesa di Santa Maria in Valle)の祈祷堂を見ること。

その前に、チヴィダーレについて少し。
旧石器時代及び新石器時代の遺跡が周辺から発掘されるほど、起源の古い町だそうで、
都市としての形成は古代ローマ、紀元前2世紀の中盤に軍事防衛拠点として築かれ、
これをその後カエサルが総督として受け継ぎ、古代都市として繁栄したのです。

ドゥオーモの前には、カエサルの像がありました。

ドゥオーモ

悪魔の橋からの眺め

悪魔の橋は、一つ川下の橋から見られました。



もっと近くから撮れないかしら...と思いましたが、
橋から見えるこの辺りのお家に入りでもしない限り無理そうでした。

橋の辺りの景色も素敵です。

サンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院

今は博物館になっています。
チケットを買って入場。
目当ての小祈祷堂の手前の展示を先に観ました。



テンピエットと呼ばれる小祈祷堂に入ります。

ロンゴバルド王国は、568年ゲルマン系ロンゴバルド族により建国され
6〜8世紀にイタリア半島を広く統治して独特の文化を発展させましたが、774年にカール大帝により滅ぼされました。
かつての権勢の足跡を示す7地域の要塞、教会、修道院などの建物が2011年に世界遺産として登録され、チヴィダーレもここと考古学博物館とが入っています。

ロープが張ってあって、中には入れないようになっていました。
本当に小さな祈祷堂ですが、とても美しいものでした。

ロンゴバルドらしい繊細な彫刻が見事です。
キリストと二人の大天使だそう。かなり剥落しています。

葡萄の葉と房の装飾が美しく、その外側と内側の下のライン上にはガラス玉のようなものが埋め込まれています。

アーチの上の部分には左右に3人ずつの聖女像。





天井のフレスコ画

出口に行くには建物の外側の通路を通るのですが、川の眺めがとても素敵でした。

チヴィダーレについてはもう少し載せたい写真があるので、次回に続きます。

知る人ぞ知る生ハムの産地。
プロシュット・ディ・サン・ダニエーレと言ったらパルマのものより高いですからね。
熟成月数などによっても違いますけれどね。

で、せっかくトリエステやアクイレイアに行くなら、須賀敦子さんの足跡追っかけ旅に加えて食いしん坊の1日があってもいいかな、ということで、ウーディネに1泊してサン・ダニエーレを訪れました。
(この'07年の時はウーディネに泊まった記憶がありません。ウーディネにはサン・ダニエーレのためだけの宿泊だったのですね。)

サン・ダニエーレへ向かうバスは、のどかな畑や丘の景色の中を走って行きました。
ところどころの丘の上に小ぢんまりしたまちが見え、立ち寄ってみたくもなったりして。

サン・ダニエーレに行って何をするって、漠然と、本家本元でプロシュットを食べたい!しかなかったのですが、サン・ダニエーレも丘の上のまちで、なかなかいい雰囲気でした。





まちのあちこちにProscitteria(生ハム屋)とか、Degustazione di S.Daniele(サンダニエーレ産生ハムのお味見どころ)といった店があります。

あるお店の壁のモザイク。

地図をもらってまちを歩こう...そう思って行ったインフォメーションで、「この辺で、見学させてくれる生ハム工場はありますか?」と訊いたら、
「あるわよ。ここなら多分見せてくれるわ。」と地図に書き込みをしてくれました。
その地図からだと、ちょっと町外れまで行けばいいように思えました。
インフォを後にして出発。

地図を見ながら、歩きました。オネエサンが印を付けた曲がるべき通りは、まだありません。この時点で、あのオネエサンは、私たちが車で来ていると思っていたに違いない...と思えるようになってきて。

でもそこまで歩いたので、引き返す気になれず、車がビュンビュン走る道を歩いて、歩いて、ガソリンスタンドがあったのでそこのオバサマに訊くと少し先にその通りがあることが分かり、さらに歩いて。
やっと曲がるべき通りが見つかり... ところが、曲がったって、まだまだ遠いのでした。

1時間以上歩きました。1時間半ぐらいでしょうか。
ついに着きました!



ところが工場は昼休み。
外で一服していたシニョーラに聞いたら、オフィスは1時半にならないとだれもいないと教えてくれました。
このとき、12:45。せっかくここまで歩いてきたのだから...と、待つことに。
イプさんと2人、木陰に腰を下ろして、日記を書いたり本を読んだりして待ちました。

1時半になって車で人が戻ってきたので、門の横のボタンを押すと、
「生ハムを作るところを見たい?・・・作るのは4時からなんだけどなぁ...」というのです。
しばし無言で言葉も出ずにいたら、女性が出てきて「まあ、とにかく入って見て。」と入れてくれました。

生肉が届いて、塩をすり込む作業をするのが4時からで、工場内を見ることはできるのでした。

広報担当の男性が案内してくださり、塩をしてしばらく干した肉の断面に脂を塗る作業をしているところや吊るしてあるお肉が数ヶ月ごとに移されていく乾燥室、湿度によって自動開閉する設備になっている窓などを見せていただきました。



吊るしてある生ハムには、足首で切ってあるものと、蹄がついているものがあって、サン・ダニエーレを冠して売ることのできるのは、蹄付きのものだけなのだとか。
生ハム1本1本に、製造番号と仕込みの年月日が打刻してありました。



ここで生ハムを買えますか?と訊いたら、買えるのだけど、今日は担当者がいないから無理と言われまちで買うことに。

試食もできませんでしたが、とにかくあれだけ歩いてきたのだから、中を見せてもらえて良かった!

まちまではタクシーを呼んでもらおうとしたら、タクシーは無い、別のまちから呼ぶと高くつくと言われ、また歩いて帰ることに。
広報担当氏「3.5kmだからたいしたことないよ」と。
4km超はあったと思うけどなぁ...。

まちへ戻ると昼食の時間は過ぎていて、レストランはもう終わっていました。
でもDegustazione di S.Danieleの店はちゃんと開いています。
で、ひとまず現地で食べるという希望はとりあえず叶ったのでした。
フルーツと生ハムとは別盛で、この量です!

インフォでくれる地図は、縮尺通りでないことも多く、まちの中心部はちゃんとした地図なのですが、郊外のところは図よりも実際の方がずっと遠く離れていることが多いので要注意です。
教えてくれる方は、車で移動していると思い込んでいるし、こちらは車だなんて思いもよらず、行き違いがあることがあるのです。(昔トリノでもありました)

今は調べたり予約したり、インターネットでできることが多くなりましたから、こんな失敗をすることはもうないと思いますけれど。

この年の夏の旅の前半の前半部分は、須賀敦子作品に描かれた場所を自分の目で見たいという思いがあってトリエステ、チヴィダーレ、アクイレイアを訪ねる計画でした。
(前半の前半って何?と言われそうですが、この夏の旅行は、最初が須賀敦子の旅、スポレート・ローマで中休み、その後ソレント半島バカンス、さらに移動してシチリアのメッシーナ、カルタジローネの階段祭りという結構な移動する旅でした)

アクイレイアに行くために滞在するまちとしてネット検索で選んだのがグラードでした。

第1次大戦までオーストリアの領地でした。
その昔、海を持たないオーストリア人がイタリアから略奪したのだとか。
ローマ司教の夏の保養地として栄え、またオーストリア皇帝 Francesco Giuseppe も訪れていたそうです。

ヴェネツィアと同じような、ラグーナ(潟)にできた島々です。
町の中心はイーゾラ・ドーロ (Isola d'oro) という大きな島にあり、夏はリゾート地として賑わいますが、素敵な旧市街もあるのでした。

宿の窓からの眺め。

島の中まで入り込んでいる運河にある、漁船などが停泊する古い港です。

巨大ワインボトル看板が、道の両側に立っていました。
Vino Della Pace(平和のワイン)〜年と記されていて、各年の分があります。

旧市街

ドゥオーモ(サンテウフェミア教会)の側面

ファサード

鐘楼

ファサード前の広場が狭くて全体を一緒に撮るのは無理でした。
4〜5世紀の初期ロマネスク様式(別の本だと初期キリスト教様式)で、鐘楼は15世紀のものなのだとか。古い床モザイクが残っていて、モザイク好きにはたまりません。





現床下からモザイクが現れたのだとか。
聖堂の跡地の上に建てられた際、その以前の聖堂のモザイクの床に気付くことなく、建てられ隠れていた状態だったらしいです。
一部分、ガラス張りになっていて見られるようになっていました。

旧市街のまち歩き















↑こんな景色を眺めながら、のんびり昼飲み。



思いのほかいいところで、時間があるならここは1週間ぐらいのんびりしたい感じのまちでした。

グラードからアクイレイアに向かうバスからの景色。
確か、この道のことも須賀作品に登場したはず。

'19年に訪れました。
アクイレイアを訪れてから実に12年もの時を経てのことです。
須賀敦子さんの作品が好きで、トリエステとアクイレイアには行きたいと思いながら
当時ウーディネの魅力的な情報はなかったので、行こうとも思わなかったのですが、
その後ウーディネに行かれた方の写真を見て興味が湧き、行くことにしたのでした。

11月のことです。
駅舎です。

13世紀から建立されたゴシック様式のドゥオーモ。

入ってみましたが暗くてあまりよく見えませんでした。

リベルタ広場です。
雨の中何枚か写真を撮りました。
サンジョバンニ教会の時計台と柱廊(ポルティコ)



市庁舎(リオネッロのロッジア)

ヴェネツィアの建物のような窓

時計塔横の階段を上り、カステッロの方に向かいます。

柱廊になっている坂道&階段を上って行きました。
ただの通路とは違い、壁にはフレスコ画もあります。

雨が本降りになったのでカステッロに入館しました。
2階が古典美術館、3階が考古学博物館に別れています。
古典美術館にはティエポロの表示のある作品が4点あるのだそうですが、
それは後で知ったことで、特に内部を見たいと思っていたわけではなかったので適当に切り上げました。

今度は柱廊ではなく、出てすぐのところの階段を下りました。
雨はしとしと降りに変わっていました。





上の写真の建物にはトリノやトリエステで見たようなお洒落な雰囲気のカフェがありました。

小さなカフェの美しいスクリーン。

この建物にさしかかった時に、物悲しいメロディーが聞こえてきました。

アコーディオンを演奏している人がいるのでした。

そそられる感じの食品店。

プロシュットをスライスしていました。

ジャコモ・マッテオッティ広場

きれいなまちですが、長く滞在したいと思うような街ではありませんでした。
雨だったからでしょうか。

フリウリ・ヴェネツィア・ジュ―リアは、北イタリアの東、スロベニアと国境を接している州です。
ここもトレンティーノ・アルト・アディジェ州などと同様、イタリアに5つある特別自治州のひとつです。
州都はトリエステ。訪れたまちはわずか6つです。

1.アクイレイア
2.ウーディネ
3.グラード
4.サン・ダニエーレ
5.チヴィダーレ・デル・フリウリ
6.トリエステ

では、早速1.のアクイレイアから書き始めます。
’07年に行きました。
この掲示板でも何度も書いていますが、私は須賀敦子さんの作品のファンでして、
彼女の作品を読んで、いつか見に行かなくてはと思っていましたが、
岡本太郎さんの「須賀敦子のトリエステと記憶の町」(写真付き)を見て、いつかではなくすぐに行かなくちゃ!と決めたのでした。

彼女は新婚旅行でここを訪れているのです。
「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」は、世界遺産に登録されています。
(須賀さんの若かった頃は世界遺産というものはなかったでしょうけど)

アクイレイア大聖堂は、ローマ帝国初期に大司教が置かれたことで繁栄した教会です。
その後1031年に総大司教のポッポーネがロマネスク様式のアクイレイア大聖堂を建設し、1379年に総大司教マルカドによりゴシック様式に改修されました。

古代都市アクイレイアの遺跡は、何世紀にもわたって「採石場」として使われ、石材は持ち去られたため、地上には古代ローマ時代の建造物は一つも残っていないのだそうです。
でも発掘(まだ途上だそうですが)によって古代ローマの遺跡が次々に見つかり、見学できるようになっています。

グラードに滞在してバスに乗って日帰り遠足という感じで出かけました。

須賀さんが、帆をいっぱいにあげた船のようだと感じた大聖堂

鐘楼

鐘楼の前にはローマを建国したとされる伝説の双子ロームルスとレムスの像

中に入ると、今の聖堂の床面(剥がしてある)より一段低いところに、4世紀に描かれたバシリカの床モザイク画があります。
モザイク画には宗教的な意味合いが強く、初期キリスト教で「永遠の命」を意味する孔雀や光の世界に住むニワトリや闇に住むカメなども描かれています。





海の生き物たちのモザイクが鮮やかに床を泳いでいるようです。



強化ガラスの通路が造られていて、足もとのモザイクもとてもよく見られるようになっています。









広い範囲に、伸びやかに大らかに描かれていて、まるで古代の海を泳いでいるような気分になります。
どんな文章より、どんな写真より、ここへ来てこの空間に身を置いて感じるすごさ。
本当に来てよかった... しみじみと思ったのでした。

聖堂を後にして、ローマの遺跡を通過し

国立考古学博物館へ。ここにも美しいモザイクの数々があります。

とりわけ、このリボン!



行った頃より今の方がもう少し分かっているので、もっとたっぷりと時間をとって再訪したいと思っています。

これがアブルッツォの最終です。
モンテジルヴァーノは、’14年夏、アドリア海側で夏のバカンスを過ごすのに良さそうなところを探していて見つけたぴったりの宿のあるまちで、ペスカーラのちょっと北にあるまちです。

夜に着いて、翌朝部屋から撮った写真です。

こういう、プールやスポーツ施設、ギア、などのあるバカンスの宿に泊まったのは、アルベンガ(リグーリア)、マザーラ・デル・ヴァッロ(シチリア)とここの3回です。
そこそこの食材も施設内や近所で調達できて、のんびりと海場のバカンスを楽しめます。
今日は、施設での写真をメインに載せますね。
施設の敷地と同じ幅のプライベートビーチ。
ビーチベッドの料金も別途払う必要は無しです。

プールには滑り台も付いています。

海は、南イタリアのような美しさはありません。

そう言えば、ローマでホームステイさせてもらったところのマンマは、その後リミニに行く話をしたら、海はbrutto(美しくない、醜い)だけど魚はbuonoだよと言っていましたっけ。
アドリア海の北から中部にかけてはそんな感じなのだと思います。
でも、汚れているわけではないのです。

夜になるとステージでイベントがあり

ビーチに下りて行くところにはバールもあり

飲み物は有料ですが、アペリティーヴォタイムにはおつまみ付きです。

海遊び用のあれこれも無料で使え、

エアロビクスやストレッチ、ダンスタイムもありました。

キッチン付きなので、好きなものを好きなだけ食べられます。財布にも優しいし。

7月下旬から滞在しようと思うと4月には予約を入れていました。
せっせと探すと、日本よりこの手の宿は安いと思いました。
今はユーロが高いので、割高感は否めないでしょうが。

まちは普通ですがいい感じだったので、次回はまち歩き写真を載せます。
(3日ほど間が空くと思いますけど)

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