宿で、市場などで買ったものを冷蔵庫にしまい、
10時半ごろに出かけて、ナヴォーナ広場の方に行く914番のバスに乗るべく、
バス停に行って待ちました。

10分も待たずにやってきたバスはFUORI SERVIZIO(回送)、
それからまた7、8分たってやってきたバスも、またFUORI SERVIZIO、
ふう…その後は全然バスがやってこなくて…
結局30分ほど経っても来なくて諦め、地下鉄でスパーニャまで行って歩くことに。

駅に向かう途中の、お宿のすぐ近くの階段の道、
「ローマ美食散歩」の裏表紙の写真は、ここで撮ったものなのでした。
地下鉄に乗ってスパーニャで降りて、スペイン広場の泉は水が出ていることを確認。
(なにせ、この年は水不足で、ローマの泉はほとんど断水していたので)

サンタゴスティーノ聖堂に行ったら、なんと午前の部は12時までで、
ちょうど閉めるところでした。
まだもうちょっと時間がありそうなのに…
4時からまた開けるから後でおいで、と言われてパタン。

仕方なく、2つめに予定していたサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会へ。
コンタレッリ礼拝堂の馴染みの聖マタイの3点シリーズ。

聖マタイの召命
聖マタイと天使
聖マタイの殉教
聖マタイは、エチオピアに宣教したときに
王エギプスの娘エピゲネイアを死から蘇らせ神に使えるものとしましたが、
次の王ヒルタコス彼女と結婚しようとするのを反対したために
王は刺客を放ってマタイが教会内で説教をしているところを暗殺させたのだそう。

この礼拝堂の天井にはダルピーノによってエピゲネイアを蘇らせる場面が描かれています。
ダルピーノは当時売れっ子の画家で、
この礼拝堂すべてに描くことを依頼されたのだそうですが
忙しいので、天井画だけしか描かなかったのだとか。

宮下規久朗さんによれば、こうした群像を描く腕はさすがで、
カラヴァッジョが最初に書いた聖マタイの殉教は、
これに比べればまとまりのないものだったそうです。
(カラヴァッジョが描き変えたこと、
そして最初に書いた絵がどのようなものであったのかは、
研究者の間で分かっているのです)

宮下さんは、カラヴァッジョは、最初に聖マタイの殉教の絵を描き、
その後聖マタイの召命を完成させてから、
殉教の方を描き変えたのではないかと推測しています。

描き変える前の絵は、もっと多くの群像を描いていたのですが、
斜めから差す光の効果を聖マタイの召命で会得し、
聖マタイの殉教にも生かすことにしたのではないかと。

そして、それがダルピーノの天井画の群像のよさとは異なり、
画面がすっきりと整理され、テーマが効果的に描かれているのだいうのです。

そんなこんなを、本の記述と絵の細部を比較しながら、
西南さんと二人でけっこう時間をかけてじっくりと見ることができました。
思ったよりずっと空いていて、他の客をあまり気にせずに観ることができました。

さて、外に出て、宿の方まで戻ります。
その前に西南さんが「本の泉」というのが近くにあるはずで、
それを見てみたいというので、地図検索して行ってみました。
イタリア人建築家ピエトロ・ロンバルディに依るもので、
学問の象徴である本と地区の紋章にある鹿の頭部を組み合わせたもの、とのこと。
ありました!
とても小さな泉で、知らなければ通り過ぎてしまいそうです。
それからナヴォーナ広場をちょっと見て、
こちらの泉は水が止められていましたが、
中央の泉は、控えめながら出ていました。
それからパンテオンの方まで行ってサン・クリスピーノでジェラートタイム。
そしてまたスパーニャの駅まで行って、地下鉄に乗り、昼食の店へと向かいました。
(つづく)