さて、ビッレリアでの話の続きです。
テオの話では、ピオッツォでビールを細々と作り始めてから数年後に、
イタリアのクラフトビールに関する法律が変わって
小さなところも作りやすくなったこと、
ちょうどその年に叔父様が仕事をリタイアして、
その退職金を彼の仕事に出資してくれたことなどがあり、
事業を拡大することができるようになったのだそうです。
続きは、また場所を変えて、最初の工場のあったところへ。
みんなでぞろぞろ歩いての移動です。
そこは、今はカンティーナとして、
シャオユーというデザートワインのようなビールを熟成させるのに使っています。

これが最初のバラデンを製造した仕込みのタンク(?)
入口付近は、ご両親がかつて生活していたキッチンの様子がそのまま展示してあります。



そして、ここでグラスを1つずつ手に取りました。
奥には樽がずらり。
ここでは、ビールの樽熟成についての話をひとしきり。
(よく分かりませんでした)
そしてテオが、樽から自分のグラスに注いだものを、
みんなのグラスに少しずつ分けて、テイスティングをさせてくれました。

マルサラ酒とかシェリー酒のような味わいでした。



この後は、また場所を変えるのですが、新工場はさすがに村の中ではなく
郊外にあるので、それぞれが自分の車で向かうのでした。
テオが先導し、それに見学者のくるまが続々と連なります。
車がない人はテオに相談して、誰かの車に乗せてもらうようにしていました。
テオの話では、ピオッツォでビールを細々と作り始めてから数年後に、
イタリアのクラフトビールに関する法律が変わって
小さなところも作りやすくなったこと、
ちょうどその年に叔父様が仕事をリタイアして、
その退職金を彼の仕事に出資してくれたことなどがあり、
事業を拡大することができるようになったのだそうです。
続きは、また場所を変えて、最初の工場のあったところへ。
みんなでぞろぞろ歩いての移動です。

シャオユーというデザートワインのようなビールを熟成させるのに使っています。









(よく分かりませんでした)

みんなのグラスに少しずつ分けて、テイスティングをさせてくれました。






郊外にあるので、それぞれが自分の車で向かうのでした。
テオが先導し、それに見学者のくるまが続々と連なります。
車がない人はテオに相談して、誰かの車に乗せてもらうようにしていました。

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