ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:ジャンル別 > 移動とその他トラブル

バスの乗り場が分からずに困ることはよくありますが、
こんなことで困って右往左往するのは日本人だけなのでしょうか。
現地の人たちは困らない???謎ですね。

バスの乗り場が分からなくで困ったことは何度もあるのです。
今日は、ターラントからガッリーポリに移動するときのことです。

ネット検索してこの路線のバスがあることを事前に見つけていました。
乗る前日にバスターミナルに確認に行きました。
1日3便あるはずなのに、どこにもその時刻表がありません。
そのバス会社の乗り場らしき小さな表示は立っているけど、
そこにも時刻表は貼っていないし・・・

バスターミナルには、ぼろい小屋のような待合室が2つあり、
1つは乗客用、1つは乗務員用と言う感じだったので、
乗務員用の待合室に失礼します、と入り、聞いてみました。
「ガッリーポリ?確かバスはあったけど、どこの会社?」
「うーん時刻はわからないなあ」・・・
とみんなで顔を見合わせて、どうよ、みたいな雰囲気のときに、
どうみても乗務員ではなさそうなオッサンが、
「3本あるよ、朝の7時台と15時台と23時台だ」と確信に満ちた顔でいいます。
私も鸚鵡返しに確認し、御礼を言って出ました。

15時台があると思ってバス乗り場で待って来なかったら
その後の23時台まで待つのはとんでもないことなので、
心配だから7時台で移動しようかとも考えたけど、
(それだとバスが来なくても、別の移動手段を講じることができるので)
ひとまず、あの確信に満ちたオッサンを信じることにしました。

20分ぐらい余裕をもってバスターミナル行き、
しばらくは涼しい待合室で気をつけて外を見ていました。
(真夏の昼下がり、ぼろい小屋のようでも冷房があるのはエライ!)

10分前には、バス会社の停留所の表示が立っているところへスタンバイ。
ところが、そこに違う会社のローマ行きのバスがやってきてしまいました。
ローマに行く人たちが大荷物を積み込み、乗車しています。
でもすぐには発車せず。

ターラントのバスターミナルは、そこそこ広くてたくさんのバスが停車できるけど
機能的に整理されてはいなくて混沌としています。
かなり向こうに、私たちが乗りたい会社のバスが見えたので、
私がちょっと偵察に走り、ガッリーポリ行きか訊いたらNo。
すごすごと戻って、そこらへんに並んでいる人に、
同じガッリーポリ行きを待っている人がいないか聞いてみることに。

そうこうしているうちに、さっきガッリーポリ行きかを訊いたバスが動き始め、
その運転手が、私に向かって手を振っていて、
私が彼を見ると、後ろ後ろ!と手振りしています。
よく分からないので、そのバスのところへ走って行ったら、
運転手がドアを開け、すぐ後ろに来ているバスがガッリーポリ行きだよと教えてくれました。
(つまり、さっきかなり向こうまで訊きに行ったのは無駄ではなかった!)

なんとそのバス、動き始めているではないですか!!!
私とペコさんは、スーツケースを転がしながらバス目掛けてダッシュ!!!
バスの前に立ちはだかって、手を振り、やっとのことで乗ることができました。

バスがのそのそと動いていたので、轢かれるとは思いませんでしたが、
体を張って通過を阻止した感あり。
プーリアのバス旅は、シチリア同様になかなかハードルが高いと感じました。

ターラントに行ったのは、トロペーアからガッリーポリに行くのに、
1日の移動では無理そうだったので、経由地として1泊しただけなのですが、
意外や意外、この日の夕食(魚介の前菜いろいろ)が美味し過ぎて&安くて
この後’18年にも訪れたのでした。

この時は、とにかくバスを乗り逃してはいけないと気を張っていたのでしょうね、
バスターミナルや付近の写真は撮っていませんでした。
今日は’12年に訪れた時の写真を少し載せます。
トロペーアからターラントまで、7時間ほどの大移動だったので、
バスターミナルを下見し終えると、もう夕暮れ時になっていました。
すごい前菜の数々の一部
翌日のまち散歩
ここには軍港があり、跳ね橋があります。
ペコさんに真ん中に立ってもらって撮りました。
城があり、現在は軍事利用されていて、見学はできるけど要予約でしたが、
ちょうど予約して入って行ったグループに混ぜてすぐに入れてもらえました。
市が立って、もう片付けが終わりそうな頃に通りかかりました。
スイカ、相当あったまっていそうでしたが、
冷やして食べたら美味しいだろうなあと思いました。
また魚介を食べに行きたいまちです。

’16年夏のモンテファルコでのことです。
(すでに’16年の旅報告で書いていますが、違う形でまとめます)
翌朝、比較的早い時刻のバスに乗って出発するので、
まずは事前にバスの切符を買い(日本にいたらこういう感覚ってないですけどね)
バスの乗り場がどこなのか確認しておこうと思いました。

通りがかりのタバッキに入って切符を買い、乗り場を訊こうと思ったら
バス停は門の外にあり、そのそばのタバッキでしか切符を売っていないとのこと。

門の外まで行き、切符は無事に買えました。
でも... タバッキで聞くと、バス停は、いつもは門の前なのだけど、
明日は牛追い祭りに関連した市が立つので、駐車場の方になるのではないか、
というのです。
うーん、ほんとかなあ。

門の近くで工事の指揮をしている赤十字の人に訊いたら、
ここだよ、この市の立つすぐ前だと教えてくれました。
信用できる感じの言い方に、一安心して宿に戻りました。

翌朝、朝食は8時からだというのでパスして7時半に宿を出ました。
門の前の広場へ。
近くのバールでヌテッラのコルネットとカップッチーノの朝食。
広場には市が立ち始めていました。
警察も出動して、交通整理に当たっています。
とりあえず、警察官なら知っているだろうと思い、
バスがどこにくるか訊いてみたら、なーんと知らないんです。
(日本の巡査ならたいてい知っていますよね。
日本とイタリアでは職域が違うし、
イタリアでは職域外のことは知らないしやらないけど
日本だと職域以外のことも結構知っているし、やる。)


男性警官の方に訊いてみたら、多分駐車場の方だよっていうのです。
ほんとかなあ。
とりあえず駐車場は向こうなんだけど...
ほんとにそんなに離れたところに停まるのかなあ...

と思っていたら、昨日教えてくれた赤十字のオジサン登場。
違うよ、バスはここ、この柵の前に停まるんだよ、市の立つ日は!
と私に言い、警察官にも教えてあげています。
そうこうしているうちに、そこにバスがやって来ました!!!
オジサンの勝ち~
ここが終点で、乗せてきた客を降ろし、向きを変えて乗車開始。
無事乗って、ほっと一息ついたのでした。

何しろ1本乗り逃すと、次は昼だったりするので、
バス停ははっきりと示しておいてほしいと思うのだけど、
そんなこと思うのは日本人だけなのかも。


モンテファルコの街角写真を少し。
一瞬、犬人間?と思った犬&男性
博物館の同じ建物の一角が、
このまちのヴィーノやオイルのテイスティングを行っているのもよかったです。

今日は困ったというより、やられた!の悔しい話です。
皆様にも気を付けてほしいので書きます。
今までのイタリアでの経験で一番馬鹿だった経験です。

’10年末のとです。
この時は同行のMさんの運転でヴェンティミッリアから北上し、
一部フランス領を通ったのでせっかくだからちょこっとまち歩きも楽しみ、
途中で昼食もしっかりと美味しいものをいただいて
トリノまでのドライブを楽しんだ後だったので、
Mさんはもちろんですが、私も疲れていたようです。

最初に市内のバスに乗り間違えて逆の方向に行ってしまって戻るという失敗をし、
その日の目当ての店に辿り着いたのは、21時ごろになっていました。

テレビで見たすっごい大盛りアペリティーヴォの店で
以前荒川静香さんが出たピエモンテ取材の番組に登場した店です。

店もそろそろ終わりに近づいている気配がありましたが、まだ大丈夫ということで入りました。
飲み物1杯に大量のおつまみがついてくる店で、私たちは乾杯用にスプマンテをオーダー。

待っている間に、盛り付けているあたりを見に行きました。
(この時点では、まだウキウキ)そしてやってきました、テレビで観た巨大サイズのトレイ!
うわあ・・・って感じで感激して、飲み始め食べ始め、
すぐに1杯目のグラスは空いて、ヴィーノのボトルを注文することに。
飲み物リストをもらおうとしたら、給仕がここにはない、と言うのです。
バルベーラ?ドルチェット?バローロやバルバレスコもあるよ、なんていうので、
バルベーラをオーダー。(高いわけがないと思っていました。)

そうしたら、ヴィーノのボトルと共に、
生ハムやサルシッチャやモルタデッラなどが山ほど出てきたではありませんか。
見るだけでお腹一杯。店ももう片付けに入っています。
食べられるだけ食べ、ヴィーノを全部飲んで、届いていた伝票をレジに持参。
(といっても粗末なレシートのようなもの。トータルだけ書かれていて、明細なし)

伝票は最初のものとボトルをオーダーしたときの2枚あり、
初めのものには36€、後のものには50€と書かれていました。
私は、1回目のものにヴィーノ代を足した金額が50€だろうと思っていました。
そうしたら、給仕(店は片付けに入っていたので、この時点で下っの給仕2名しかいなかった)が、86€だというのです。
え、86€!!!と訊き返しましたが、そうだと言われ、
ヴィーノのボトル代金を確認しなかった私たちの負けだと思って
仕方なく払おうとクレジットカードを出すと、
カードは使えないといわれ、キャッシュで支払いました。

店を出て、外の貼り紙を見ると、
飲み物1杯に食べ物の大トレイが付いて10€(シャンパンは別料金)と書いてありました。
つまり、1回目で、私たちはスプマンテをオーダーしたのに、それをシャンパンということにされて36€にされていたのです。

宿に帰ってもう一度レシートを見ると、なんといつのまにかレシートが摩り替えられ、
1回目の36€は2回目に含められて、1回目の金額が0€、
2回目のが50€になっていました。
これなら、ボトルが14€と妥当な価格です。
つまり、1回目の36ユーロは、カメリエーレ2人の懐に入ったのですね。
だから、飲み物リストも本当はあるのに無いと言い、
クレジットカードを使わせなかったのでしょう。
下っ端のカメリエーレたちはこうやって小遣い稼ぎをしているのですね。

教訓:
〇オーダーする前に値段はきちんと確認する。
〇飲み物リストがない、などと言うことはあり得ないので、
 無いと言われたら追加の飲み物は注文しない。
〇支払う前に伝票の明細を確認する。

この店、今もあるかどうかは知りません。
食べ放題ではないですが、こんなとんでもない量のおつまみが出る店には
くれぐれもお気を付けくださいね。
タイトルに法外なと書いたほどの法外な金額ではありませんが、
この程度の食べ物と飲み物に、しかも安くて面白そうだと思って入った店に
思ってもいない金額を払わされてので、気分的に法外なものだったのです。

コマッキオにからフェッラーラにバスで移動し、
列車で次の目的地モデナへと向かうことにしていました。

コマッキオからのバスがなぜか遅れ(この辺のバスが遅れたことはあまりないのに)
列車に間に合うかどうか、ぎりぎりのタイミングで着きました。
自販機で切符を買ったのですが、
画面の変わり方と焦る私のタッチの速度が合わなかったようで、
なんと1等車の切符が、しかも2枚も出てきたのです。
2等1枚のつもりだったのに… もちろん代金も2枚分。
ありえな~い!

時間指定の無い、普通列車の切符だったので
モデナに着いてから払い戻そうと思ったのですが、
こんなときに限ってドンピシャの定刻発車で、タッチの差で間に合わず・・・

次の列車まで30分あるので、駅の窓口に、余計な1枚を払い戻しに行きました。
そうしたら、びっくり!クレジットカードで2枚一緒に買ったので、
2枚を払い戻して、1枚新たに購入しないといけないと言われ。
しかも払い戻し手数料20%!2枚分の20%ですから、
私は1枚の40%の無駄遣いをさせられてしまったのです!!!
何なのこれ・・・ 機械がおかしいのに・・・

イタリアの鉄道の切符のシステムって(鉄道には限らないのかな)日本とは違い、
乗り越しという概念がないようです。
例えば、ボローニャからモデナまでの切符を買って、
気が変わってその先のパルマまで行くことにすると、
ボローニャ~モデナの料金とボローニャ~パルマの料金の差額を払うのではなく、
モデナ~パルマの料金の切符を買わされるのです。
客の便宜を図るより、自分たちの仕事がやりやすいように、と言う感じ。

懐かしのコマッキオ。
鰻の名産地として知られているようです。
私は、トスカーナの知子さんに穴子のリゾットが美味しかったと聞いて
それを食べるために行ったのですが、穴子は見つけられませんでした。
これが鰻のリゾット
お出汁が本当に美味しかった!
コマッキオは運河のまちでした。
充実の魚市場があって。
フェッラーラの駅を見ると、この切符の自販機の損を思い出します。

これも、日本ではまずありえないことです。
’08年夏、オローパへ行くための乗換のビエッラでの駅でのことです。
駅に着いたのが、15:30。
昼はアレッサンドリアの駅バールでパニーノを1個食べていたのですが、
小腹が空いてバールへ行くと、あまり食べたいものがない。
それで、駅でよくみかけるようになったセルフサービス・バール(自販機)でサンドイッチを買うことにしたのです。

お金を入れ、好きな商品の番号を押せば、その商品は下に落ちて取り出し口から手元へ。
のはずなのに、私のサンドイッチは下には落ちたものの、取り出し口のところまで出てこない...

取り出し口のところが2段構えになっていて、その最初のところが開かず、下まで落ちない...ようなのです。
手をこじ入れて、そこをなんとかいじって...と思っても全然動かず。
写真の下の方の白い物体が私のサンドイッチです。
まずは、バールに行って話すと、それはうちとは関係ない...
新聞雑誌などの売店に行って聞いても、うちとは無関係...
駅員に聞いても、知らぬ存ぜぬ...
自販機に貼ってあるシールの連絡先は、トリノ…

もう一度、手を入れてチャレンジ。
通りがかりの人に、取り出せないんだけど...と協力を求めてみると
数回試み、他の人をも巻き込んで試してくれたものの、取り出せず。

ある人が、こういいました。
「もう1回お金を入れて、もう1つ買ってみれば?2つ手に入るよ。」
私「2つ分の損はしたくないわ。」
その方「じゃあ、一番安いものを買えばいいじゃない。」
・・・・・・・

もちろん何も買いませんでした。
みすみすお金を捨てることになるような気がしたからです。
そして、バスの発車時間ぎりぎりまで、誰か買う人がいないかずっと見ていました。
一緒に取り出せるかもしれないと。


結局自販機を利用する人はゼロ・・・ 諦めました。
ま、こんなものでしょう。イタリアだもの。

これには後日談があります。
オローパに2泊し、またビエッラを通った時に見ていたら、
まだ私のあのサンドイッチがひっかかったまま!!!
どのぐらいの頻度で商品の追加や入れ替えをするのでしょう!?

そして見ていたら、若い女性がお菓子を買おうとお金を入れ、ボタンを押しました。
・・・・・・ 彼女も、やはり取り出せなかったのでありました。

こんな機械を作る意味があるのだろうか…と思えるイタリア。
こんな機械にお金をかけて設置しても、
これじゃあ信用する人がいなくて絶対に商売にならないですよね...


外国人が日本に来ると自販機の多さに驚くと言いますが、
それだけあっても、自販機の不具合って聞いたことがありません。

イタリアにいると、人間しか信じられない気がしてくる...

オローパをご存じない方のために書くと、
オローパは、「ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ」というくくりで
世界遺産に登録されているうちの1つのサクロ・モンテ(聖山)があるところです。


山の中に複数の建物を作り、聖書の物語を絵や彫刻で順に再現し、
これを巡って行くことにより信心を深めるという目的があるのだそうです。
ここのサクロ・モンテには、12の礼拝堂があり、マリアの生涯が描かれています。

小ぶりのラ・キエーザ・ヴェッキア(古い教会)と
大きなラ・キエーザ・ヌオーヴァ(新しい教会)があり、

それらを含めてサントゥアリオ・ディ・オローパ(聖地・オローパ)と言うのだそう。

山の中にあるので、夏は涼しくていいかも、ということと
お天気がよければ、山の景色も美しいかも、という2つの理由で出かけることに決めたのでした。
写真には撮れませんでしたが、星空がそれはそれはきれいでした。
撮れるのはせいぜいこのぐらいまで。

’06年3月末にルッカ郊外に滞在したときのことです。

ルッカの北にバーニ・ディ・ルッカと言う、温泉地があり、
そこからさらに北東に行ったところにモンテフェガテージと言う古い小さな城塞都市があって、
是非訪れてみたいと思っていました。


滞在中のアグリトゥーリズモから日帰りで出かける予定で、
まずはバー二・ディ・ルッカまで早い時間の列車に乗って行くことにし、
タクシーを予約してもらっていました。

その時間に合わせて起きたところで、
ドアをドンドンと叩かれ、どうしたのかと思ったら、お宿のお父さんが
「今日から夏時間だった!
1時間間違えていたよ。もうタクシーが来ているから急いで出かけてくれ。」
というではないですか。

夏時間のことは知っていましたが、いつもは年末年始か7~8月に旅しているので
いつ切り替わるのかなんて全然気にしていませんでした。

大急ぎで支度して、宿を出ました。
お父さん、列車の中で食べなさいと小さなパニーニを持たせてくれて。

駅に着いたのが、列車の出発時刻。
日帰りですから大きな荷物はありません。
とにかくタクシーに支払いを済ませて走ると、列車が動き出しています。
待って~~~~~ と叫びながらなおも走ると、
なんと、列車が止まってくれたのです!!!

駅員さんが、にこやかに急いで乗りなさいと言ってくれたので、
切符を持っていないのだけど…と言うと、列車の中で買いなさいと言ってくれて。
無事列車に乗り込むと、車掌さんが来て切符を売ってくれました。
今日から夏時間だからねえ、ときどき間違える人がいるんだよ、と言いながら。

ところで、モンテフェガテージにはたどり着けませんでした。
その日は日曜日で(夏時間⇔冬時間の切り替えは土日で行うと知りました)、
バスが運行していないことは知っていたので
バー二・ディ・ルッカからタクシーに乗るつもりだったのですが、

バールの方にタクシーを呼ぶ電話をしてもらったら、
まちには1台しかタクシーが無くて、遠出しているのでその日は無理とのことでした。

せっかくなので、バー二・ディ・ルッカからルッカ方面に向かって2駅分ほど散歩しました。
その時の写真です。
この辺を歩いているときは、思わず「は~るの小川はさらさら行くよ~」と口ずさんでいました。
この駅には、2度と行くことがないだろうと思います。
いまだにモンテフェガテージには行くことができていません。
機会があれば訪れてみたいところです。

それにしても、動き出した列車を止めたのは後にも先にもこの時だけです。

これも、’05年と古い話です。

この年は4人でマルタ共和国に3泊した後に、船でカターニアに渡り、
レンタカーでカルタジローネ、ピアッツァ・アルメリーナを見てアグリジェントまで移動して泊まり、
アグリジェントはそれ以前に観光していたので、
翌日は朝からパラッツォ・アドリアーノを見て(私とよねちゃんは2度目、他の二人は初)
昼食もまちの人に紹介してもらった店でゆっくりといただき、
トラーパニの郊外にある料理自慢の宿に3泊しました。
その、トラーパニ向かう時のことです。

パレルモへ出て高速に乗るのがいちばん早く着きそうなのですが、
都会は車が多く混み合う上に、運転も過激で、道も分かり難そうなので
アグリジェントまでもどり、一般自動車道を海沿いに行くことにしました。

ところが、まちからまちへ走っているときはすいすいと進むのですが、
まちに入るあたりから渋滞して、抜けるまでに時間がかかります。
夕方だったからかもしれません。
まちへ入ると案内表示が分かりにくく、道に迷いもして。
これを数回繰り返しているうちに、すっかり夜になってしまいました。

ようやく、トラーパニの1つ手前のまちマルサーラに入ったところで、
案内表示にしたがって右に曲がったら、その先で道が2つに分かれ、
両方に向けて矢印があり、両方にトラーパニと書いてあるのです。

適当に選んで進みましたが、その後道路の表示は一向に出て来ず、
もう22時を回って、人影も無い道で、通りがかりの車を止め、道を訊きました。
その道をずうっと行けばトラーパニだよ、と教えてもらいました。

進んで行くと、トラーパニに入る前に宿の方へ向かう通りが出てくるはずなのに、
それを見つけられないまま、トラーパニの市街に入ってしまっていました。
(私たちが通った道は、持参の地図を見て予定していた道の裏道だったようで、
まちの終わりや始まりの表示もなかったのです)

地図を見たり、通りがかりの人(この町にはまだいました)に聞いたりして
やっと自分たちの位置を把握し、引き返そうとしたその道は、
8月第1金曜日の夜、バカンスに向かう車がフェリーに乗る順番待ちで大渋滞。

相当な辛抱をし、やっと渋滞を抜け、宿へ向かう通りを見つけて
この辺だ... と思われる場所まで行きついたのに、
探しても探しても宿が見つかりません... 
宿は、アグリトゥーリズモ。
市街地ではありません。
郊外で23時半とあっては、人通りはおろか、車すら通りません。

最悪、車の中で一晩寝ることになるか???
いやいや、それはやはり避けたい。
幸い道沿いに家はあり、郊外なので皆一軒家でしたので、最終手段を決意しました。

灯りがともっている人家のインターホンを押しました。
犬が門の中でワンワン吠える中、
2階のベランダから家の人が何事かと顔を出してきました。
事情を話すと、もっと奥だよと教えてくれたので、お礼を言って先に進みましたが、
それでもまだ見つかりません。
再び、人家をピンポン。
犬が吠えるので、ご近所の人まで顔を出し、
みんなでワイワイと寄ってたかって、もっと先だよと教えてくれました。

やっと見つけてチェックインし、部屋に荷物を置いたら、0時を回っていました。
やれやれ。

この時は本当に大変でした。
今なら、スマフォの地図サイトを見ながら行くこともできるのでしょうが、
それでもgoogleマップは、変な道を教えることが多々あるので、
辿り着くのは大変かもしれません。
少なくとも、夜中に見知らぬ家をピンポンしなくても済むかもしれませんけど。

けっこう大きな宿で、テニスコートやフットサルコートもありました。
(それらの写真は撮っていません)
何しろ塩田を見に行ったり、エリチェに行ったり、ファヴィニャーナへ日帰りしたり
結構忙しかったので、せっかく広くて施設の充実した宿なのにもったいないことをしました。

'11年の夏のこと。ナポリに2泊。
この時は、食べることを目的に行ったのであれこれとかなり満足するほど食べ、
最後に昼食をゆっくりたっぷり摂ってローマに向かおうとした時のことです。

食べることにはそれなりにお金を使うけれども、交通費はけちりたいというか
できれば公共交通を使いたい、ましてやナポリでは。
そんな私ですから、スーツケースを持ってバスに乗って中央駅に向かいました。

そこそこ混み合うバスに乗り込み、切符に打刻、
どこか席があるかな、と見まわすと、シニョーラが、私に向かって
「シニョーラ、ここが空いているわよ。」と声をかけてくれたので、座りました。
駅に着いてローマまでの切符を買うために財布を出そうとしたら、あら?
あらあらあら...いつも入れているところも、ほかのところにもありません。

やられた...

ナポリに慣れてきて、油断していました、私は大丈夫って。
旅行の時は財布は2つ持っていて、
メインの財布には当日の行動分以外のユーロ札(つまり私にとってはそこそこ大きな金額)を入れ、
旅行中の行動用財布には100€以下の現金とクレジットカードを入れています。
このときは前回の旅行の残りを全部入れていました。
まあ、いくらか使ったので、多分120€程度だと思います。
他に、クレジットカードを1枚入れていました。

それにしても、スリはいつすったのでしょう。
バスに乗り込み、切符に打刻して、座るまでせいぜい3~40秒だったと思うのです。
座った後は、ショルダーバッグを膝の上に乗せ、手を置いていました。
財布を入れていた場所もいけませんでした。
ショルダーバッグの前のベルクロ留めのポケットです。
しかもベルクロが古くなってきて開けてもベリベリッと音がしなくなっていて。
食事をして満足してうきうき、ぼうっとしている私の隙をすりは見逃さず、
切符の打刻の数秒間ですったものと思われます。

授業料は少々高くつきましたが、
不幸中の幸いで、サブのカードや日本円を分けていたのはよかったです。
でも、財布をバッグの外ポケットに入れてしまったのは失敗でした。

このとき、メインの財布にはお金を入れていませんでしたが、
腰に巻く貴重品入れに、数万の日本円と予備カード、
万が一の時の連絡先電話番号を書いた紙を入れていましたので、

まずクレジットカード会社に電話して、カードを止めてもらい、
それから貴重品入れからサブのクレジットカードを出してキャッシングをしました。
メインの財布は行動用財布に降格し、旅の終わりまで使用。
後は、ちょっと大きな金額のユーロ(と言ったってせいぜい200€程度ですが)と日本円とクレジットカードを貴重品入れに入れて腰に巻いて旅行を続けました。

本当にマヌケでした。

教訓:
〇油断しない
〇行動用財布には50€程度しか入れない。
〇行動用財布でも取り出しやすいポケットに入れない。

以来財布には、紐を付けてバッグと繋いでおくことにしています。
国内でも、交通系カードのケースにはスルスルッと伸びる紐付けてバッグに繋いていますし、
スマホのケースにも紐を付けて、パンツのベルト通しのところと繋いでいます。


その昼に食べた美味しいものの数々。
その店の壁のプルチネッラ
ああ、すりに120€を盗られるなら、この店でもっと高い料理を食べて、
うんといいボトルのヴィーノを飲めるんだったのに…。


皆様もすりにはお気をつけて。

それは’06年夏のシチリアでのこと。
この頃は、どんどんとユーロ高が進んでいて、クレジットカードのレートで
1€が160円近くしていたと思います(今よりも高い!)。
ラグーザで泊まりたかった宿が高くて、
本当はラグーザに2泊してモディカに日帰りしたかったところを、1泊にし
ちょっと遠くなるのにノートから日帰りにしたのでした。
ノートの宿は高くなかったので。

その、ラグーザからノートへ行くバスが来なかったのです。
悪名高きASTです。
ホテルはイブラの方にあり、
バスターミナル(と呼べるほどのものではない)は離れたところにあるのでタクシーで行きました。


このターミナルには、1人だけ入れるボックス型のチケット売り場が1つだけあって、
それは複数のバス会社のチケットを扱っているのに、
ASTのチケットは売っていませんでした。
近くにあるバールで売っているというので、そこまで買いに行き、
バスを待ちました。
確か2時間に1本ぐらい運行していたと思います。
定刻になっても来ません。
イタリアだものね…と思いながら待ちました。
15分待っても来ません…シチリアだものね…待ちました。
20分経った辺りで切符売り場の人に訊きに行きました。
「ここはASTの切符を扱っていないから、運行についても何も分からないわ。」

このバスターミナル、今はどうか知りませんが、
当時は椅子もなければ屋根もなく。
炎天下で待たないといけません。
他にも同じバスを待つ地元の人がいましたが、1時間近く経っても来ないので、
諦めたのかどこかに行ってしまいました。
それを見て、私とイプさんも諦めて、近くのバールへ。

バスの時刻表を見ると、次のバスまでは1時間ほど。
そのバールで時間をつぶしてまたターミナルへ行くと、
5分足らずの遅れでバスがやってきました。
結局、何だか分からないけれど
最初に乗ろうとしたバスは運休になったか何かだったのでしょう。


シチリアには、SAIS、Inter BUSもありますが、
ASTは、州内の小さなコムーネにもネットワークを持っているバス会社です。
大好きなパラッツォ・アドリアーノに行くのも、カステルブオーノに行くのも、
ASTしか路線を持っていません。
そしてそうしたまちに行くときに何度も痛い目に合っているのです。
私だけではないことでしょう。
以前Nさんもやられたと言っていました。

’06年夏のことですが、
シチリアのASTの運行に関しては、
17年経った今でもおそらく変わっていないのではないかと思います。

さて今なら、こんなだったんだよーと伝えられるように
バスターミナルなどの写真を撮ると思いますが、
当時はそんな心の余裕がなかったのかターミナルもバールも写真を撮っていません。
(その割に、あの時の様子は鮮やかに思い出せます)

それなので、これまでに載せて来なかったラグーザの写真を少し載せますね。
ちょっと奮発して泊まったホテル
ちょうど満月の夜でした。
余談ですが、この年はイタリア滞在を少し短くし、
モンゴルで友人の結婚式に参列するため
(と言うより、結婚式に招待されるほど親しい間柄でもないのに行ってみたくて、
呼んで!とお願いしたのでした)

中国航空で成田⇔北京⇔ローマと、
別な国内の航空会社の北京⇔フフホトのチケットを取っていました。


北京の空港で信じられないことが起こりました。
乗り継ぎに山ほど時間があったので、食事をし、
それでも相当な余裕をもってチェックインカウンターに行ったところ、
飛行機はもう飛び立ったというのです…
え? ええーっ!!!
定刻になっていないのに飛び立つ?
1時間半も前に??
予約客が全員乗ったわけでもないのに???
国内便のカウンターの担当の人には英語がほとんど通じなくて、
別のカウンターに連れていかれ、そこで話をすると、
その航空会社の同じ便は1週間後だと言うではないですか…
ハハハ…結婚式は明日です。そんな馬鹿な。
同じ便に乗るために日本から来ていたビジネスマン風の男性も一緒に怒りの抗議。
結果的には別の航空会社のその日の便に振り替えてもらったのでしたが。

困ったり呆れたりするのは、何もイタリアでのことばかりではないのでした。

この時は本当に困りました。
昨日書いたフライト変更でばたばたした旅行のリオマッジョーレの宿でのことです。

丁度予約サイトがどんどんでき始め、
大手も今ほど世界中にネットワークを広げていなかったような時代だったと思います。


冬のチンクエ・テッレは休んでいる宿も多く、私達に合った宿を探して探して、
ここがいいかしらと思った宿を見つけて宿にメールを入れました。
お返事が来ないので、別の、あまりメジャーとは思えない予約サイトにその宿を見つけ、
予約を入れました。

そこは全額前払いということだったので、
クレジットカードで2泊分、180€の支払いを済ませていました。


チェックアウトの時に140€だよ、と言われたので、
え、全額支払い済みよ、ほら、
と予約確認書とクレジットカード会社から届いている支払い明細書を見せました。
(念のため持参していました)


でも、宿の人はそんなの知らないと言うのです。
そして宿で保管している、この宿のサイトに入ったと言う私の予約申し込みを見せられたのです。
(返信よこさなかったくせに、それだけはちゃんと保存していた)
え?私は、あなたのところから返信をもらっていないわよ。
だからこちらのサイトから予約を入れたのに、と話しても、
そんなサイトは知らないし、そちらからの予約は入っていないと。


うへぇ...。すったもんだの論争。こちらも引くわけには行きませんから...
仕舞いには、払わないなら警察を呼ぶとまで言われてしまって仕方なく払いました。
何かの手違いがあったことは間違いないようです。
カードだったら、二重支払いになったことを証明できれば、
支払い拒否をカード会社に申請できる可能性があると思ったのでそこで引いたのです。


支払いを済ませたら、宿の人も冷静になって、
うちは余計に貰うつもりはないから、もしそのサイトからの入金があったら返金するよ
と言ってくれました。


帰国後、予約を入れたサイトにメールを書き、ことの顛末を説明し、
手数料分の40€はいいから、私達が支払ってきた140€を返金しないといけないと伝えました。
あまり期待していませんでしたが、すぐに返信が来ました。
おかしいなぁ、確かにうちでは予約をちゃんと入れているよ、
まあそれはともかく、そういうことなら140€は返金するので、
送金先を教えなさいということでした。

銀行口座の番号を教えても、円の口座だし、
銀行の送金で€→¥にするのに面倒、そして損になる可能性が高いので
クレジットカードのマイナス決済で払ってくれればよいと返信しましたが
そんなことはうちはできないから、口座番号を教えろと。

2~3回やり取りしてもこちらの意図は理解してもらえなかったので、
クレジットカード会社に事情を説明して手続きしてもらうことにしました。
クレジットカード会社は、さすがでした。
きちんとこちらの状況を理解し、
メールでのやり取りや宿に支払った領収証のコピーなどを証明書類として、
てきぱきと返金手続きをしてくれました。


140€ですから、どうしても戻ってこないときは諦めがつく金額ではありますが、
ちゃんとした食事に行ける金額ですもの、やはり戻ってきてすっきりしました。
予約は、メジャーなサイトからか、宿に直接というのがいいと思ったのでした。

当時は、予約確認書と宿の地図をプリントアウトして持参していましたが、
今は、予約確認書はスマフォで出せますし、
地図もオフラインでも見られるものがあるので、それもスマフォを見ながら歩けます。

あれからもう、というのかわずかというのか、14年ほど経って、隔世の感がありますね。

リオマッジョーレの断崖の道から海を見下ろすとこんな風に、真下に海と言う感じ。
冬でも晴れると気分はうきうきでした。
途中から、駅が見下ろせました。
チンクエテッレの駅は、ほとんどが一部トンネルの中にあります。
すごい坂道なので、有料ですがエレベーターがありました。
愛の小径(Via dell' amore)に入るゲート。
'98年に一人で行った時にはゲートはありませんでした。
料金を徴収するようになってから、つくったのでしょうね。

歩き始めたら、いいお天気になりました。
風は冷たいけれど、海が青くていい気持ちです。
ここには、今でも錠前を付けるカップルがたくさんいるのでしょうね。

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