ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:ジャンル別 > 移動とその他トラブル

今日は短い更新です。

サレルノの駅では、今年(’12年)開業した新鉄道、Italoのスタッフが、案内をしていました。
サレルノ発13:15の列車は、ESなのに20分遅れの表示。
向こうのホームにも遅れの列車を待つ人々。
20分遅れを覚悟したら、珍しく実際には17分ぐらいの遅れでやってきて、
乗換駅のラメツィア・テルメには、なんと2〜3分の遅れで到着しました。
こんなこと初めて!
やればできるじゃないかTrenitalia!(まあいつもやってないんですけどね)

続きは各駅停車の列車。2両編成です。
予定通り16:48にトロペーア到着。
いよいよ、トロペーアの海で遊べるのです!
続きは明日。

駅にエレベーターがあるかないかは、
大きな荷物を持っている旅行者にとっては大きなポイント。
事前に分かっていると乗り換えの時など安心ですね。

今回ルッカに行くときに乗り換えたプラートにはありました。
ルッカからジェノヴァに向かった時は、2か所で乗り継いだのですが、
1つは、Aulla Lunigianaと言う駅。
初めて名前を耳にした小さなまちの駅で、エレベーターはありませんでしたが、
こんなものがありました。
なんと、スロープです!
ここはリグーリア州のまちで、この後通った駅も、注意深く見ていると
ほとんどの駅にスロープがあるようでした。
リグーリアは皆そうしているのでしょうか?

エレベーターがなくても、スロープがあれば荷物持ち上げなくていいので
階段に比べれば格段に楽です。
イタリア中の駅にスロープが付くことを切に願いたいものです。

今日は、驚いたし腹が立ったし、そんなものかもと後で思った話

'17年3月にNさんと二人で行った時のことで、
以前このブログにも書いたので記憶に残っている方も多いかと思います。

ルーフィナと言うフィレンツェ郊外のまちに、食べるためだけに1泊で行きました。
本当に何もない住宅だけのまちで、夜着いて店に食べに行き、
翌日フィレンツェに戻るのにちょっと時間があったので散歩しました。


Nさんと二人、カメラだけ手に持って出たのですが、
私が八百屋で買いたい野菜を見つけてしまい、宿に財布を取りに戻ったので
ここから別行動をしたのでした。

買いものを済ませ、宿の入り口まで戻ると
先に戻った尚さんが、鍵を持っている私を待っていました。
「聞いて聞いて、すっごく嫌なことがあったのよ。」
と次のような話をするのでした。

散歩をしながら写真を撮っていると、車に乗ったお婆さんがやってきて、
婆「あなた、こんなところで何をしているの?」
N「散歩をしているだけです。」
婆「でも、写真を撮っていたでしょ。こんなところで写真を撮ってどうする気?」
N「私は旅行者で、風景写真を撮っているだけですよ。」
N「そんなのおかしいじゃない、バッグももたずに。警察を呼ぶわよ。」
と言う感じの会話が交わされ、
宿の前まで車で追いかけてきたそうなのです。

それは嫌な出来事だったねえ、なんて言いながら荷物を持って駅に向かうと、
本当にパトカーがやってきて(もちろんサイレンは鳴らしてないですけど)
呼び止められ、いわゆる職質をされてしまったのです。
このまちに何をしに来たか訊かれ、
私たちは日本からの観光客で、このまちのリストランテで食べるために来て、
貸し部屋に泊ったことを話しました。

警官が、
「写真を撮っていたというけど何を撮っていたの?」
と訊くので、
Nさんが、カメラの画像を見せました。
どう見ても観光客が撮るような、街角の風景や教会の塔などで、
「おお、いい写真だねえ」
などと警官。
ここでとりあえず疑いは晴れたようですが、
パスポートを出せと言われ、名前やデータを控えられてしまいました。
彼らの仕事として仕方のないことなのでしょうけど。

時間がかかり、電車に乗り遅れるじゃないの!と言っても、彼らはどこ吹く風。
終わってから、電車に遅れるからパトカーで駅まで送ってほしいと言ったけど
「それはできないよ。」と行ってしまいました。(ちぇっ)

イタリア在住の日本人の友人に言わせれば、
「実は田舎の町では結構あります。
私自身はないですが、結構日本人から聞いたことあります。
イタリアは全国的に観光客には慣れていますが、
やはり田舎の町では結構閉鎖的なところが多いんですよ。
ぐら姐さんの場合、本当に今までとてもラッキーだったんじゃないかと思います。
それに今はテロや、田舎町では強盗&泥棒事件が本当に多いんです。
うちの近所の人たちも見慣れない人たちがいるとすぐにカラビニエーリを呼ぶので、
割とイタリアでは普通なんですよ。」
とのこと。

教訓:
〇何にも見どころの無い田舎のまちには行かない。
〇万が一行くことがあったら、バッグを持ち、観光客っぽい格好で出歩く。

ルーフィナでは、私はほとんど写真を撮っていないので、
その前日のフィレンツェ散歩の写真を載せます。
さて、だらだらと書き綴ってきたイタリアで困った話ですが、
この辺りで閉じることにします。
これからイタリアを旅行される方に少しでも参考になれば嬉しいです。
全然役に立たないおバカなことで困ったこともたくさん書きましたが。

今日の困った話は、下調べ不足だった私だけのことかもしれません。
「イタリア古寺巡礼」に載っている
チヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂に行った時のことです。

ここがどんな場所にあるのかきちんと調べるべきでした。

著者のモモ先生は、車で登山口まで行けたから良かったのですね、
そんなことに後から気が付きました。

チヴァーテの駅で降りたのは私一人でした。
駅舎の扉はすべて閉まっていて中には全く入れません。
そして外の壁のどこにも、時刻表や切符を買える店の名前など貼ってないのです。
帰りは何時発の電車があるのでしょう???
切符はレッコからここまでの往復を買ってきたから大丈夫。
時刻表はなくてもなんとかなるでしょう、ということで歩き始めました。

目の前の細い道をちょっと歩いたところで、足が止まってしまいました。
どう進めばいいかわからないのです。
上の写真で言うと、私が立っている砂利道はここで終わりで
目の前は片側2車線の自動車道とそれに合流するための1車線の道。
その上に交差する別の自動車道。
まちはこれらすべての向こう側。

うそー、どうやって歩けというの?思わず日本語で声に出して言ってしまいました。
どうして駅がこんな場所にあるのでしょう?
乗客は皆どうしているのでしょう?

写真に写っていますが、少し高くなっている自動車道のところに階段がありました。
階段があるということは、車ではなく人間が通れるということだよね?と行ってみることにしました。

これが階段。
階段から見た道路。
どうしたって人間が歩く道ではないでしょう?
自動車道の奥、右に見えている黄色い建物が駅舎です。
手前の草の右側がこの車道に合流する道でそのさらに右に見えるのが駅に通じている道です。

階段を上がったら、交差している陸橋の部分にだけ、
1人がやっと歩ける幅の歩道がありました。
そこを下りると、もう歩道は無くて、車に気をつけながら5、60mほど歩いて
やっと横断歩道のあるところに出ました。
少し歩くと、標識の一番下に歩く人はこちら、の表示が。
その表示にしたがって歩いて行きました。
でもこれでちゃんと行きつけたわけではありません。

そのまま歩いて行くと、2箇所ほど案内表示がありましたが
肝心な分かれ道のところに表示が無いのです。真っ直ぐか、曲がるのか。

ひとまず真っ直ぐ行ったら、ぜんぜんそれらしい雰囲気が無くて
ごみ出しに出てきたシニョーラにきいたら、サン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂なんて知らないわ、と言うので、引き返して曲がる方の道へ。

少し行くと工場(「こうじょう」というより、「こうば」という感じの所)の小さなガラス張りのオフィスに人がいるのが見えました。
その人に聞いてみると、この坂を上ってずうっとまっすぐ行くといいよと教えてくれました。

その後、
こんなところを通って、やっと登り口に辿り着いたのでした。
駅から登山口までが意外に遠かったこと、
登山口までの道が、途中で分からなくなり、余計に歩いたこと、
膝の調子があまりよくなかったのでゆっくり登ったこと
などがあって、思っていたよりも時間がかかりました。
聖堂に着いたのは、12時半頃だったのでした。
そして、やっと辿り着いたのに、これです。
まず目に入ったのが、板に書かれている開堂時間。
9時~12時、13時半~16時。
ああ、遅かった・・・1時間待たなくちゃ、と思うと同時に、
その上の紙に目が行きました。
「修復のため閉堂」(CHIUSAのIが抜けていますけど)
ガーン!ここまでこんなに苦労してやってきたのに修復で閉めているなんて・・・

でも、その下の「横の入り口はあちら→」 というのが気になり、行ってみました。
門扉が閉められ、その横にベルがありました。
この聖堂は、チヴァーテの人々が共同管理しているとかで、
管理人用の家があると本に書いてありました。
奥にあるのは、きっとその家なのでしょう。
なんとなく人のいる気配があります。

この時、私は弁当やおやつどころか水すらも持って行っていませんでした。
行って戻って、13時ぐらいにはチヴァーテの駅に戻れると甘く考えていたし、
チヴァーテの駅周辺には食べるところがないとも思っていなかったし。

お腹が空いたし喉も乾いたけれど、真夏ではなかったので我慢もできて、
中の人の食事が終わるころまで待って、無事に中を見ることができたのでした。

教訓:
〇古寺巡礼に出ているような教会は、簡単に行けるところばかりではない。
 行き方を丁寧に調べるべし。
(車では無理で、トレッキングでしか登れないところは初めてでした。)
〇もしここに行ってみようという方は、レッコから登山口までタクシーで行くのがよい。
〇昼過ぎまでに往復できると思っても、水とおやつぐらいは持つべし。

この辺りのトレッキングコースを調べて、
またお天気に恵まれたら、ちゃんとお弁当やおやつ、水持参の上、
1日がかりのトレッキングを楽しみたいと思います。

そのときは、一人ではなく複数がいいなあと思います。
きれいな景色を見てきれい~~~と共感できる人が欲しいので。

’13年夏、過去に2度食べに行き感動した店で食べるためにだけ行った
ポルティチェッロからエリチェに移動したときのことです。


宿の人にタクシーを読んでくれるようお願いしたら
サンタ・フラヴィア駅は止まる列車が少ないのでバゲリーア駅までがよいといわれ、
そこまでタクシーで行きました。

ところが、駅の窓口は閉鎖中。
探してみたら、自動券売機がありました。
いつも見かけるBIGLIETTO VELOCEとちょっと違って
BIGIETTO REGIONELE VELOCEというものです。
州内の行き先への切符が買えるものです。

やるじゃん、なかなか
と思ったのも束の間、モニター画面には、SOLO INFORMAZIONE
(案内のみで切符は買えない!)と書かれています。
窓口には、切符を買える場所がガラスに貼ってありました。
住所を見ても、それがどこだか全く分からず、駅前にはそんな店は全く見当たらず。
やれやれ困ったなあと思っていたところやはり切符を買いたい人がやってきて、
ちょうど犬の散歩で通りかかった人に訊いていたので、
私たちも便乗して一緒に聞きました。(ラッキー!)
こんなところを通って、ちょっと離れたバールまで。
このバールまで行って切符を買うことができました。
このピンクの帽子の女性が切符を買いたい人。
南イタリアで困るのは、冬のナターレの時期と夏に公共交通機関の窓口も閉まってしまうこと。
その場合バールで買えるようにはなっていますが、
そのバールがこの時のように駅のそばにあるとは限らないし、
時間帯によってはバールが閉まっている(昼休みなど)場合もあって。
幸い、この時は切符を買いたい人がほかにいて、
たまたま通りかかった人に訊くことができて、
バールが開いている時間だったから何とかなりましたが。


この時のポルティチェッロの写真を少し載せます。

困った話、2つ前、予約の部屋に先客が入っていたカルタジローネの話の続き。
部屋も無事に確保してスカーラ・イッルミナータも楽しんだ翌朝。

イプさんとリトルさんは、カターニアから午後の便でローマに飛ぶのでもう少しゆっくりし、
G夫妻と私は、早くに出発です。
インターネットで検索したところでは、8:30のカターニア行きのバスがあるはずでした。
それに乗るつもりだったのです。
前日、宿の主ガエターノにバスの時刻を確認したのだけど、彼は何も知っちゃいなくて、
ネット上に出ているんなら、あるんでしょという感じ。

前日、朝早く出るといったら、それに間に合うように朝食を出してくれました。
そこまでは良かったのだけど、
タクシーは休みだというので、宿の車を出してもらえないかお願いすると
うちの車は小さいから3人を乗せるのは無理、
荷物だけ運んであげるから君たちは歩きなさい、と言ってくれました。

朝食を済ませて、では荷物を車に...と私たちが言うと、
妻が海に行くのに車に乗って行ったから、生憎車はないんだよ、と。
それなら安請け合いはしないでほしかった…

バカヤロ〜〜〜〜 前日のことと言い、本当にこの夫婦はボケです!!!

結局、荷物をゴロゴロ、ガラガラと駅までの遥かな道のりを
バスに乗り遅れないよう、汗だくでせっせせっせと歩くこと30分。


駅には、暇なオヤジ連がたむろして、バールで茶飲み話をし、私たちを見かけると、
今日はバスはないよ、と。
ニヤニヤして言うので、ちょっと信じがたく、
それでも駅側のバスターミナルに行ってみれば、誰もいないし、バスもない。
切符売り場は、駅のバール。そこで聞くと、やはりバスは全面運休。

ああ、こんなに汗だくで荷物を転がしてきたのに〜〜〜

駅なので電車の時刻を見てみました。
やはり午前中は動かず昼過ぎにならないとダメ。


タクシーを呼べば?ここに番号が書いてあるよ、と世話好きなオヤジが教えてくれました。
(どうやらその番号のところはやっているらしい。やはり宿の人の情報不足、というか気持ちがない)

電話してみると、シチリア弁がぜんぜん聞き取れない!
世話焼きオヤジに、電話を渡して代わりに話してもらうと、
カターニアまでは80€(’07年のことです)だと言うので、とりあえず3人ならいいかと了承しました。

ところが、そのタクシーがなかなか来ない…
私の携帯にタクシーから電話がかかってきて、少し遅れるとのこと。
世話好きオヤジが、もう待てないから、こいつの車を出させるよ、
と友だちのジイサンに車を出すように言ったのでした。(白タクじゃん!)

それでも仕方なしとその車に荷物を積み乗り込むと、
運転手の無口なジイサンは、心細かったのでしょうね。
世話焼きオヤジを道連れに乗り込ませたのでした。

カターニアまでの道すがら、オヤジは、歌うか喋るかを延々と。
私が子どもの頃に、姉が聴いていたような古いカンツォーネを次々と歌います。
思わず、懐かしくなって、ジャンニ・モランディーだ、ボビー・ソロだと私が名前を挙げれば、
オヤジは嬉しがってまた歌い...

あっという間に、カターニアに着き、請求された金額は、
オヤジが余計に乗ってきていても、タクシーと同じ80€でした。

教訓:
フェッラゴストを田舎で迎えるときは、移動を考えてはいけない。
でなければ、レンタカーを利用する。(車を運転できない私は、無理ですが)

宿から見下ろした夜の階段とまち。
上から見た階段とまち
’16年に行った時と2度行った魚介の店のショーケース
右下の渦巻きは、カジキマグロのサルシッチャです。
アンティパスト・ミストに出ました。
これは後にも先にもこの店でした見たことがないのですが、
それはそれは美味しくて、これのためだけにでも再訪したいと思える料理でした。

これは、全くの私のミスで困ったことです。

'11年5月上旬、リヴォルノからカネッリまで移動したときのことです。
アレッサンドリアで乗換え、カネッリまで向かうレジョナーレの列車に乗り、
あ、カネッリだと思った駅は駅舎の工事中。
駅の名前が見えません。

まちの中心部はそこそこ賑わっているのですが、
駅は、日本の超田舎の駅のようにポツンと駅舎が建っているだけ。

何度かおりている駅なので、カネッリに違いないと思って降りました。
駅に着いたら電話してねと言われていたのでかけてみたのですが、不在のよう。
ひとまず、現金が不足してきていたので、キャッシングしようと、
駅の近くに銀行かATMがないかと探したらありました。
普通のお家のようですが、銀行です。
無事にキャッシングして、駅に戻りどれどれもう一度電話してみようというところで
駅舎は外壁を囲われてはいましたが、中には入れるので腰掛けようと入ってみると
あら、あらあらあら…
この駅はカネッリではありませんでした。
一つ手前の駅です。

次の電車まで待つか。
そう思って時刻表を見ると次は3時間近く後…
どうしましょう…
お天気も良かったし、一駅だし、歩こう!
と決めて、スーツケースを転がしながら歩き始めました。

歩道はありませんが、車がそれほどビュンビュン通るわけでもなく、
途中で長閑な景色を写真に撮りながら歩いていきました。
ポピーも咲いていました。
ところが、歩いているうちに交差点が現れて、その辺りは結構な車の通りがあり、
スーツケースを転がして歩くのは、ちょっと怖い感じになってしまい、

できるだけ端っこを気を付けて歩いていました。

そうしたら、1台の車が停まって、
こんなところを歩くのは、危ないよ、どこまで行くんだい?
と声を掛けられたのです。

50代~60代のシニョーレで、雰囲気が「紅の豚」のポルコロッソのよう。
カネッリまでですと言うと、乗せてあげるよと、スーツケースを車に積み込んでくれて。
その車、なんとポルシェのスポーツカー。
写真を撮っている余裕なんてなかったので、この写真はイメージです。
こんな感じだけど、屋根がオープンの白い車でした。
こんなバアサンに下心があるとも思えないし、金品を盗る人でもなさそうだし、
親切そうな人だったので乗せてもらうことにしました。

走っている途中でカネッリに何の用があるの?と訊かれ、
アグリトゥーリズモに行くのだとその名前を言ったら、
ああ、あそこねと知っていて、結局アグリの玄関前まで送り届けてくれたのでした。
オープンルーフなので、風を切って走るのはとてもいい気持でした。

知らない人の車に乗るなんてあるまじきことかもしれませんが
いい人に拾ってもらえて幸運でした。
ポルシェに乗ったのも初めてでしたし。

教訓:
慣れたところだからと気を緩めず、駅に停まる手前には必ず、
青地に白の文字で駅名が表示してあるので、
停車する前から窓の外を注意して見て、駅名を確認すべし。

こんなことを書きましたが、その後どうやらこの路線は廃線になったらしく、
今ではアスティまで迎えに来てもらうようになってしまいました。
アスティだと、流石にどこの駅か分からない状態にはならないですね。

5月にイタリアに行ったのは3回ぐらいぐらいぐらいで、
カネッリには初めて。

道端にはアカシアの木に花が咲き
この花のフリットが美味しいのよ、と教えてもらいました。
(まだ食べたことがない…)

葡萄にも小さな蕾がたくさん。
サクランボもまだ青いけど、膨らんでいました。
懐かしいアグリトゥーリズモの周りの風景。
10月に行くときには是非とも何度目かの再訪を果たしたいものです。

シチリアのカルタジローネにスカーラ・イッルミナータを初めて見に行った時のことです。
この時は私がイプさんリトルさんと3人、
そこにG夫妻が部分合流することことになり、3人と2人の2室を予約していました。

ネット検索して見つけたTRE METRI SOPRA IL CIELO(空の上3メートル)という素敵な名前のB&Bです。

宿にたどり着き、ドアをピンポーン!誰も出てきません。
もう一度、ピンポーン… 答え無し。
ようくあたりを見回すと「予約はこちらへ」の看板に携帯電話番号が出ていたので、
電話をするとしばらくしてやってきました。


ご主人が、怪訝な顔で私たちを見ます。
予約を入れた私と友人Gさんが名乗ると、ますます怪訝な顔。
「さっき、4人で来た日本人がいるのだけど。」
と。
「え? でも私たちが、予約を入れたGとぐら姐よ。
それに私達の予約は、2人と3人で、全部で5人だし。」
・・・ご主人、どうやら自分たちが間違えて、
予約していない客を部屋に通してしまったことに気付いたのでした。


ともかく、上がってください、と
ご自慢のテラスのあるダイニング&リビングのようなところに通され、
素晴らしい眺めに感嘆。

先に部屋に入って、荷物を置いてまち歩きに出た日本人のパスポートを見て、
やはり全然違う名前であることを改めて確認。
「女房が、間違えた...」

そこへやってきた奥さんに、主人のガエターノが怒りまくって。
「お前は、何やってんだ!日本人だから予約の客だと勘違いするなんて。
予約は、5人なのに〜〜〜 パスポートの名前を見てみろ!
〇〇…に△△... どこにぐら姐とあるか〜!! どこにGとあるか〜!!!」

早く私たちを部屋に入れてよ... と言葉をかけようにも凄い剣幕。
奥さんは、綺麗でスタイルも抜群なのだけど、どうやら頭を使う仕事は苦手な様子。

一頻り怒鳴り散らしたら、少し冷静になったようで、
やっと先に入れた日本人の宿を探さなきゃモードになって、電話をかけ始めました。
幸い、代わりの宿が見つかったらしく、ガエターノ夫妻は彼らの荷物を撤去し、
奥さんが部屋の準備をして、やっと通されました。

結果的には、私たちが困ったというより、宿の人が困った話ですね。

部屋からの眺めはこれ!
この年のスカーラ・イッルミナータの図柄はこれ。
灯りをともす前
このイベント、7月24・25日と8月14・15日に行われます。
私は、1回目は’07年の8月14日、2回目は’16年の8月15日に見ました。

15日がフェッラゴスト(聖母被昇天祭の日)で、
この日はカターニア~カルタジローネのバスが運休のため、

14日に夜に見ると、翌日の移動が困難で、
15日に見ることにすると、当日の移動が困難。
実際2回とも苦労しました。

7月の25日が、カルタジローネの町の守護聖人のお祭り「サン・ジャコモ祭」と重なり、
一番盛り上がるそうなので、

当時は仕事の都合でその日に行くのは無理でしたが、
次に行くとしたら、そこを狙って行こうかなと思います。
移動のストレスがないですしね。
(と思うと思わぬトラブルに遭うのが南イタリアの常ではありますが。)

これは、だれに責任があるわけでもない、イタリアだからと言うのでもない、
どうしようもないことなのですが、困ったことは事実。

スポレートの駅からホテルに行くために乗ったバス。
降りる直前に急に雨が降り出したのです。
しかもいきなりドシャ降り。

私はバッグの中に折り畳みの傘を入れていたのですが、
何しろ振り出したのが下車する直前だったので、車内にいるうちに傘を出すことができず、
それでも何とか下車してすぐに出しました。
でも同行のイプさんは、リュックの中から出さないといけなくて
その間せめて頭だけでも濡れないように自分とイプさんの頭部に傘を差しました。

彼女は、私よりも寒がりで(というか私が暑さ寒さに強すぎるのかも)
列車やバスの冷房で冷えないように、夏でも上着が必要なので、
移動の際ショルダーバッグのほかにちょっと大きめのリュックを背負うのです。
そのリュックから傘を出すのに手間取り、その間に二人とも頭以外の部分はずぶ濡れに。

その時は短距離の移動だったので、白の麻のハーフパンツをはいていたのですが、
濡れて張り付いて下着が透ける状態。
でもそんなことにかまってはいられません。
とにかくホテルまで急ぎました。
夏の旅行にはとりあえずと言う感じで小さい折りたたみ傘しか持参しないので、
バス停からホテルまでの100mほどの間に、頭以外は靴の中まで全身濡れ鼠の状態。

ホテルにチェックインするときに新聞紙を多めに貰い部屋で靴に詰め、
交代でシャワーを浴びて着替えたのでした。

スポレートは、この時より前に2度ほど訪れていましたが
昼下がりに2度とも結構な雨が降りました。
時間的には長くなくて、1時間ほどで上がってまた晴れました。
多分山間の地形の関係で、それがこの地の気候の特徴なのでしょう。

できれば訪れる土地の気候の特徴を調べて、
それなりの雨が降るところを訪れる予定の時は、
折り畳みでも大きめのサイズのしっかりした傘を持って行くべきだと実感しました。

夕食の頃には雨も上がりクリアではないものの夕焼けが。
ところが、この時一番困っていたのは、この日合流することになっていた西南さんなのでした。

この日の雨は、スポレートだけのことではなく、
中部イタリアのあちこちで日本のゲリラ豪雨のような降り方をしたらしく、
なんとローマから乗った列車が途中で止まってしまったとメールが来ました。
結局列車が動く見通しが立たず、
止まっている駅からタクシーに乗って、違う路線の駅まで移動、
そこからスポレートまで来たそうで、
なんとタクシー代を100€も払ったそう。
21時半頃にやっとホテルに着いたのでした。
こういうトラブルは避けようがありませんね。
ひとまず今の時代は他の行き方を調べられるようになっただけありがたいことですが。

その時のスポレートの写真を少し載せます。
この年は翌日もやはりあまり良い天気ではありませんでした。
でも以前は修復中か何かで渡ることのできなかった水道橋を渡ることができました。

このタイトル、今日の内容の一部なのですが、他にどう名付ければいいか分からず
とりあえずこれで。

初めて、パラッツォ・アドリアーノを訪れた’03年の時のことです。
パレルモから行くにはバスが1日2便出ていて
6:30発の1便で行って13:00発だったかぐらいの2便が折り返すのに乗って帰れば
日帰りが可能なのですが、

私とよねちゃんがローマで合流しパレルモに飛ぶのが6時半ごろの便だったので、
それは無理で、翌日にはイプさん、リトルさんとパレルモで合流する予定だったし、
パラッツォ・アドリアーノには、ホテルが1つ星のしかなくて、
それはどんなものかと心配もあったので日帰りしたいとあれこれ模索したのでした。

途中のまち(と思い込んでいた)まで行くバスは10時半ごろのがあったので、
それで終点まで行き、あとはタクシーを利用しようと決定。

そのバスは、途中のまあまあの大きさのまち(名を忘れたので仮にAとします)から細い道に入り、
とても小さなまち(Bとします)で止まりました。

それが終点でした。
終点は小さな泉のある小さな広場で、人影は皆無。
え?近くにバールすらもない…

運転手氏に、この辺でタクシーを呼ぶことはできないのか訊くと
ここにはタクシーは無いよ、との返事。
パラッツォ・アドリアーノに行きたいのだけど…と言うと
ここからパラッツォ・アドリアーノまで行くには、
Aまで戻らないといけないと言い、
これから折り返してそこまで行くから乗りなさいと言ってくれて。

Aまで戻り、バールでタクシーを呼んでもらおうとしたら、
なんとバールはすべて昼休み!
ああ、バールも昼の時間は閉めるのね…この時初めて知りました。

運転手氏曰く、このまちもタクシーはあってもせいぜい1台だよ、
次のバス(つまりパレルモ発の第2便)で行くのが一番確実だよ、と。
仕方なく、そのバスに乗ることに決めましたが、
バールが閉まっているので、切符が買えません。
(切符はBまでのものだったので、Aまでの折り返しは、運転手氏がタダで乗せてくれたのです。)

そうしたら、
「僕はもう仕事は終わりなので、アグリジェントに帰るのだけど
君たちもアグリジェントに遊びに行かない?いいまちだよ。」
と言うのです。
もちろんお断りしました。
彼も半分以上は冗談だったようです。
そして私たちの乗るバスが来るまで、バス停に一緒にいてくれて、
そのバスの運転手氏に、
「この人たちは、切符を買い間違えて、ここからパラッツォ・アドリアーノまでの切符は無いんだけど、乗せてやってくれないかな。」
と頼んでくれたのでした。

つまり、タダ乗りです。
無事にパラッツォ・アドリアーノに到着し、そのバスが折り返すまでの1時間ほどでしたが、
念願の広場に立つことができたのでした。

ちなみに、到着の10分ぐらい前だったでしょうか、
降りる人も乗る人もいないバス停で止まったと思ったら、
運転手氏が席を立ち、別のお友達らしき男性が運転席に。
え?と思っているうちに彼がバスを運転して終点まで。
どうやら、バスの運転の練習をしたようです。
客は私たち二人だけ、しかも切符を持っていないタダ乗り客。
ちょっとはらはらしたけど、文句の言いようもなく。
イタリアは、本当に何でもありの国だわ…と思ったのでした。

その後’05年に、レンタカーで4人で訪れた時の写真を少し載せます。
イベントがあるのか、ステージを作っていました。
あの映画の博物館の中です。

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