ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

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モーレアントネッリアーナの展望台から下りて、映画博物館に入場しました。
4年ぶりぐらいに入ったのですが、展示は少し変わっていて、
2度目でも楽しめました。

映像が誕生する前段階の古いものも展示してあるのですが、
この影絵シリーズは、自分でもやってみたいと思って、全部写真を撮りました。
少しだけ載せます。
走馬灯のようなものが展示してあるそばにあった図柄。
灯りを通すときれい。そしてユーモラス。
姉も気に入ったようで、結構ゆっくり見ていたら、もう1時半を回っていました。

ミラノやナポリなどのガッレリアほど大きくないのですが、トリノにもガッレリアがあります。
サン・カルロ広場から王宮に向かってローマ通りを歩き始めるとすぐ、
左に入る道を覗くと、ついふらふららと入って行きたくなる一角がそれ。
ガッレリーア・サン・フェデリーコです。
ここは映画館になっているようです。
このお店、とてもきれいな色の商品を並べていて、あまり高くないのが素敵でした。
(今回は、ユーヴェのものをいろいろ買ったので、ここでは買いませんでしたけど)
前日に1時間待ちで入場を諦めたモーレアントネッリアーナのエレベーターに乗りに行きました。
前日ほどではなかったけれど、エレベーターには1度に8〜10人ほどしか乗れなくて、
30分以上待ってやっと乗れました。
上からの眺め
何の工事をしているのでしょうね。
下に降りてモーレアントネッリアーナ内の映画博物館にも入ることにしました。

初日の宿は、キッチン付きで、朝食は付いていません。
お湯を沸かしてコーヒーだけ淹れて飲み、
イタリア人の朝食を姉に楽しんでもらおうと思って
メトロで2駅のところにある
老舗カフェの1つ、プラッティに行きました。
クレマのコルネットを1個ずつと、カップッチーノです。
老舗カフェの風格はありますが、バンコ(カウンター)で飲めば安いです。

それから宿に戻ってチェックアウトし、この日と翌日の2泊するホテルへ引越し。
2月にインテルが泊まっていたホテルですが、今回はアタランタもユーヴェも泊まっていませんでした。

すぐに部屋に入れたので、荷物を入れて街へ。
宿からサン・カルロ広場が近いので、まずはそちらへ。
土曜だからか、子どもが楽しめる足漕ぎ自動車のコースが作られていて、
たくさんの親子や子どもが乗って遊んでいました。
そして老舗カフェ巡り第2弾、カフェ・サン・カルロ。
エスプレッソをいただいたら、昨年のイタリア統一150年記念のカップで出てきました。

再びクレマリエーラでサッシまで下り、
さらにバスでヴィットリオ・ヴェネト広場まで行くと、
すでに7時を回っていたので、アペリティーヴォに行きました。

この店、小さな店なのですが、サッシへいくときにトラムでばったりお遭いした
知人Mさんの家のご近所にあり、彼女は頻繁に行っている店なのだそう。

アペリティーヴォの時間は料理が美味しくて、飲み物はすべて5€、
と聞いていたので、是非行ってみたかったのです。

Mさんは、すでに2人の娘さんを連れて来ていました。
(だんな様が出張で、ここで3人の夕食が摂れるそう)

この日は、8時から貸切の客が入っているので、手抜きをして料理の数は少ないのよ、
ということでしたが、それでも美味しそうなお料理が並んでいます。
オーナーのマニュエルさんは、日本が大好きで、
まだ行ったことはないけど、沖縄でこんな店をやるのが夢なのだとか。
本日のヴィーノが5~6本並んでいて、どれでも1杯5€。
白は冷やしてあるので並んでいません。
ビールやその他も5€。いいですねぇ。
1杯目はプロセッコをいただきました。
1回目に盛ってきたお皿に茄子とトマトとチーズの料理が乗っているのが見えるでしょうか。
ここの一番の自慢のつまみらしく、日々変わる料理の中で、これだけはいつも置いてあるそうです。
茄子とトマトとチーズの味のハーモニーと塩分控えめの加減がいい感じで
火の通し加減もちょうどよく、抜群に美味しかったです。

ほかのお料理も、すごく美味しいです!
野菜がたっぷり。
おつまみをお替りして(というかセルフサービスなので自分で行きました)
2杯目は、Mさんが、これはまだ日本に入っていない種類のヴィーノよというので、
このヴィーノをいただきました。
お昼に食べ過ぎているので、ここで食べて飲んだら、
それだけでもう満足してしまい、宿に帰ることに。
宿は、3月に泊まったポルタ・スーザの宿だったので、
その時に見つけたジェラート屋に寄って、〆のジェラートを食べて帰りました。
同じに見えますが、私のはヘーゼルナッツとピスタチオ、
姉のは、マロングラッセとピスタチオです。
毎度のことですが、飲み食い>観光の初日でした。

スーペルガ聖堂は、クレマリエーラの上の駅から歩いてすぐ。
18世紀初め。フランスが勢力を拡大し、
トリノもフランス軍によって攻撃を受け、占領されていた頃のこと。
オーストリアにいたエウジェニオ王子がトリノ入りし、
王子はまず、フランス軍がどこを占領しているか
全体像をつかもうとこの山に登り、当時ここにあった小さな教会に勝利を祈願。
そして歴史に残る大戦の後、フランス軍を撃退。
その記念に新たにこのスーペルガ聖堂が建築されたのだそうです。
ですから、スーペルガはトリネーゼにとって、またイタリア人にとって
フランス軍に勝った勝利のシンボルなのだとか。

そしてこの聖堂にはサヴォイア家の墓があり、そのガイデッド・ツアーがあるのですが、
残念ながら時間が合わなくて、見ませんでした。

ここは、標高700mの高台にあるので、眺めが素晴らしいと聞いていました。
せっかくなので一番高いところ、クーポラから見ることに。
狭い螺旋階段を上って、上って、上って。
うわあ、素晴らしい眺めです。(でも残念、逆光)
せっかくなので、聖堂の中の写真も。
1949年5月4日視界の悪い中をポルトガルから飛んできた航空機が
この聖堂に激突し、乗員・乗客31名全員が死亡するという事故がありました。
その乗客に含まれていたプロサッカークラブ、
ACトリノの選手18名と監督以下スタッフ5名の墓が裏手にありました。

私が行った11日が、命日から1週間後だからでしょうか、たくさんの花が供えられていました。

ウェールズの旗(赤いドラゴンが描かれています)があります。
ちょっと調べたところでは、監督がイギリス人だったとあります。
彼がウェールズ出身なのでしょうか。

彼らの写真と名前なども置かれていました。
この時のACトリノのメンバーの大半はイタリア代表にも名を連ねる選手達であり、
彼らを失ったことはイタリアサッカー界全体にとっても大きな損失だったそうで、
クラブの犠牲者全員を国葬で悼んだそうです。

優勝目前でトップチームを丸ごと失ったACトリノは、
リーグ戦の残りの4試合をユースチームで戦うことになり、
"Grande Torino" に敬意を表した相手クラブも同様にユースチームで対抗し、
結局このシーズンはそのままACトリノがスクデットを獲得したのだそうです。

ACトリノはその後、クラブの建て直しが上手くいかず、セリエB降格も経験し、
次のスクデット獲得までに実に27年を要したそうです。

30歳でこの世を去った "Grande Torino" のエース、ヴァレンティーノ・マッツォーラには、
事故当時まだ6歳の幼い息子・アレッサンドロがいました。
息子は、その後父と同じ道を歩んでインテルに入団。
それが1960〜70年代のイタリアを代表するスタープレイヤー、サンドロ・マッツォーラなのだそうです(愛称でサンドロと呼ばれていたそう)。
彼は、今69歳だそうです。(’14年当時)
まだ63年前のことですから、遺族がたくさん生きていて、命日に訪れる人も少なくないのでしょうね。

昼食をとった店の写真、1枚載せ忘れていました。
店のドアに、漢字が書かれている紙が、なんと横にして貼られていました。
彼らの感覚で見ると、横書きが当然なのでしょうけれど。
ひらがなは書かれていないようだったので、中国のものでしょうか?
店の人に、これはなにかと聞いてみたら、なんだかよく分からないけれど、
コピーしたものなんだよ、と言っていました。

さて、昼食後は王宮に行ってみました。
姉の観光にお付き合い。
それから、モーレアントネッリアーナに行ってみたら、
展望エレベーターに乗る列に1時間待ちと書いてあったので、止めにして、
3月に行き損ねたスーペルガ聖堂に行くことにしました。


モーレアントネッリアーナの近くで見かけた、小学生の遠足グループ。
スーペルガ聖堂に行くためのサッシ行きのトラムに乗ったら、
奇跡的偶然!
前回の旅行で朝カフェを共にしたトリノ在住の知人にバッタリ出くわしました。

彼女は、下の娘さんを連れて、サッシにある学校に娘さんを迎えに行くところでした。
お互いびっくり。
20分ほど楽しく話し、後で彼女のブログに出ていた店にアペリティーヴォに行くつもりだと話したら、
彼女も付き合ってくれることになりました。

サッシで降りて、クレマリエーラの駅へ。
クレマリエーラcremaglieraを辞書で引くと、
回転運動を直線運動に変えるのに用いる平板に歯をつけたもの。歯竿。英語のrack。

ferrovia a cremagliera でラック鉄道とあります。
とりあえず、この鉄道のことをクレマリエーラと呼ぶことにします。

時刻表を見ると、1時間も待たないといけません。
でもここまで来て他に行くのもばかばかしいので、待つことにしました。
駅に併設されているレストランは、どうも休みらしいけれど
入り口が開いていて、自由に入れるようにしてありました。

昔の馬車が展示してあります。
この日は最高気温が30℃にも達した暑い日で、
待ち時間の間にバールに行って、冷たい飲み物をいただきました。
そして駅に戻り、いよいよ乗り込み、出発しました。

遠くにスーペルガ聖堂が見えたのでズームで撮ってみました。
クレマリエーラは、ごとごととゆっくりのんびり進んでいきます。
子ども達が大喜びではしゃいでいました。
「お客様、皆様ご乗車くださーい!」みたいなことを言って、
すっかり運転手や車掌を気取っていました。
ゆっくり進むので、窓からの風がやさしく、さわやかです。
そして20分ほどで上の駅に着きました。
つづく。

このブログは私の記録のために、某所に書いてきた私のイタリア旅行を
最後に行った’19年晩秋からずっと遡ってきましたが、
この’12年の3月と5月の旅に関しては、順序よく書いています。
その方がこのときのユーヴェ観戦にかけた思いが伝わると思うので。

今回は長姉を誘っての旅でした。

姉は、イタリアはローマとナポリ界隈しか行ったことがないので、
今回は姉の案内係として、それなりに観光&カフェ巡りをしてきました。

羽田発の深夜便でフランクフルト経由でトリノへ。
フランクフルトからのアルプス越えの景色。
観光のため、トリノ・ピエモンテ・カードを購入しました。
2日間25€、3日間29€でしたが、1日の考え方が使い始めた時間から24時間ということだったので、
ユーヴェの試合を観るときは関係ないので2日間のカードを購入しました。

ガイドブックには、交通網利用し放題と書いてありますが、
内容が変更されていて、今は普通のバスやトラム、メトロには使えません。
ポー川の船やスーペルガ聖堂に行く電車には乗れました。
モーレアントネッリアーナのエレベーターにも使えました。

というわけで、初日の宿のあるポルタ・スーザの駅に着いてすぐに、
今回はトリノ・ピエモンテ・カードとは別に3日間乗車券を買いました。

前回はちゃんと調べていなくて1日乗車券で満足していましたが、
1日は5€なのに、3日は10€なのです。

宿にはまだチェックインできなかったので、荷物を預け、早速昼食をとりに出かけました。

前回お昼を食べに行って気に入った店に姉を連れて行きました。
12:15頃だったでしょうか。お昼にはまだ早く、お茶を飲んでいる人が少しいるだけ。
店のおねえさんが、客にメニューを知らせるために、黒板を見ながらメモを書いていました。
今回も前菜盛り合わせ2人前
ヴェテッロ・トンナートなど前回と同じものもありますが、
今回はこの金属容器の中はどちらも野菜たっぷり。
これだけでも満足できる1皿でした。
あ、盛り合わせだと、本当にメニューのアンティパスティ欄に書いてある全種が入っているんですよ。
そしてプリモはズッキーニ、バジリコ、ミントのペーストのタヤリン
もう1つのプリモは、ブラのサルシッチャ(ソーセージ)のネッビオーロ(ネッビオーロ種の赤ワイン)煮込みソース、ぺペロンチーノ入りタヤリン
これ、どちらもすっごく美味しくて、それぞれが違った美味しさで、
姉は感動していました。

セコンドの1つは、ブレザオラ(牛肉の生ハムのようなもの)の削ったトミーノチーズ添え。
野菜も付いていました。
もう1つは、仔羊の赤ワイン煮込み
骨付きだからと油断していたら、骨はちょっとで肉がたっぷり。
肉好きの人にはたまらない1品だと思います。
とても美味しいのですが、ボリュームありすぎ。

というかこんなにフルコースでがっつりと食べる人は、
近頃イタリアでもそう多くはないでしょうね。
これに2分の1リットルの赤ワインを2つ(つまり1リットル)。
もうお腹い〜〜〜〜〜っぱいでした。

腹ごなしにちょっと観光に出かけます。続く。

昼食の後は、ドゥオーモ方面に2人で散歩。
ポルタ・ヴェネツィアからドゥオーモ方面にかけての大きな立派な建物は、
結構個人所有のものもあって、すっごいお金持ちが住んでいるのだそう。
そのうちの1つには、中庭でフラミンゴを飼っている方がいるのだそうです。

彼女は、ちょっと気持ち的に疲れたなと思うときにフラミンゴを見に来て門の外からしばらく眺めているのだそうです。
あ、いました、いました。
すごいですね。
ミラノの1等地に、こんな広い中庭を持つ大邸宅が個人の所有だなんて・・・
どんな生活をしているのでしょう。

ドゥオーモの横にある老舗デパート、ラ・リナシェンテの上階のカフェでお茶を飲んでおしゃべりの続きをすることに。
私は紅茶をいただきました。
付いてきた砂糖のスティックが面白い。
これでかき混ぜると、少しずつスティックがやせ細っていくのでした。

この日の夜は、チャンピオンズリーグのミランvsバルセロナの試合があるので、
バルセロナのユニフォームを着たスペイン人のグループをあちこちで見かけたのですが、
このカフェにも来ていて、ビールを飲んで昼から盛り上がっていました。

彼女の話で、面白かったのが、
やはりイタリアに生活していると、どうしようもなく困ることがあって、
いい加減な奴に適当な奴、意地悪な奴らに、もう腹は立つわ、手の打ちようはないわ、
もう嫌だ・・・、日本に帰ろう・・・
と思うと、何故か不思議なことに、神様のような人が現れ、
その人の力で、すべてのことがスーッと解決してしまって、
ああ、イタリアも捨てたものじゃない、こんな素晴らしい人に出会えたし、
と思うことの繰り返しでイタリアに留まり続け、8年にもなってしまい、
もう日本では生活できない体質になってしまったということでした。

それから、イタリア人から見ると日傘を差す習慣がないので、
それだけでも奇異に映るのに、チンクエ・テッレあたりで、
つば広の帽子を目深にかぶり、手の甲まで隠す腕カバーを着け、

完全UVカットで歩いている日本人を見ると、
そんなことするぐらいなら、海辺には来ないで!と言いたくなると。
私にも、あそこまでしている人の感覚と言うのは理解できないのですが、
イタリア人から見ると、本当に奇異で、現実に生きている人々ではなく、
アニメの世界を見ているように思えるのだそうです。

お茶1杯で延々とおしゃべりをし、気が付いたら7時近く。
この店に4時間以上いたことになります。
それでも店の人は追い立てるようなことを何もしないのが素晴らしいです。
テラス席から見えるドゥオーモの横っちょも翳ってきました。
店を出て、彼女と別れ、久々にドゥオーモの正面を見て、
トラムに乗って宿に戻りました。

ミラノにはいつも1泊か2泊しかしないので、宿は中央駅近くに取るのですが、
この日の宿料金は、見本市でもあるのでしょうか、ミラノの宿全般がとても高かったのと、
翌日はマルペンサではなくリナーテからのフライトなので、
リナーテに近い、ポルタ・ヴィットリアのエリアに初めて泊まってみました。

私の乗ったトリノからの列車は、ポルタ・ガリバルディ駅に着きました。
ミラノには、3〜4年ぶりだと思うのですが、
その間にS線と言うのが出来たのか、はたまた私が知らなかっただけなのか、
そのあたりは良く分からないのですが、そのS線というのが、途中の駅が多くなくて
ポルタ・ヴィットリアまでけっこう早く行けるのでした。

地図で見ると、駅から歩いて15分ぐらいかな、という感じでしたが、
道が石畳ではなく舗装だし、広いので、散歩がてら歩くことにしました。

ホテルの近く。
3月29日でしたが、すっかり春でした。
その後寒さがぶり返したなんて信じられないようなお天気と気温です。

お宿は2ツ星。
でもスタッフはフレンドリーで、なかなかいい感じでした。
この宿でもらった地図がなかなか優れもので、
観光客が見て歩く中央のエリアだけでなく、その外側のエリアも出ていて、
道の名前もしっかりと入っているのです。

宿のすぐ近くがトラムやバスの停留所だったので、
そこから中心部へ向かい、通りの名前を見ながら行くと、
路線図がなくても適当になんとかなるエライ地図なのでした。

近くのタバッキで1日乗車券を買い(4.50€になっていました。3〜4年前は3€だったのに)
早速、ワグネルの市場へ行きました。

以前ここのチーズ屋さんで、ゴルゴンゾーラの入ったチョコレートを買ったことがあって、
もしあれば、買いたいと思ったのです。
でも、残念。ありませんでした。

ちょっと魚屋を覘き、
八百屋を覘きました。
この市場はそれほど大きくはないのですが、品物は結構いいように思います。
でもお値段もけっこういいのです。
ちょっと高級な市場と言う感じでしょうか。

その後、ミラノ在住の知人との待ち合わせ場所に行きました。
ネット上で知り合って、もう4年ほどになるのですが、お会いするのは初めてです。

彼女は、私よりずっと年下で、やはりイタリアに何度も旅をするうちに住み着きたくなり、
仕事を辞めて、イタリアに来てしまった方です。
今は、ミラノで日本文化を伝える仕事や、通訳、翻訳などの仕事をしているとのこと。
イタリア人の恋人と2人暮らしをしているそうです。
とても素敵な美意識をお持ちの方で、ミラノに行く機会があれば是非お会いしたいと思っていたのです。

外食するとしたら、たいてい和食か中華なのだそうですが、
この日は、私のために以前食べに行って美味しかったというサルデーニャ料理の店に案内してくださいました。

前菜1つを2人で分けていただきました。これで1人前。
それからパスタも2種類を1皿ずつ。全部分けていただきました。
シーフードとボッタルガ(カラスミ)のフェットゥッチーネ。
ボッタルガならボッタルガだけの方が美味しいのでは?と思ったのですが、
いやいやそんなことはなくて、すっごく美味しくいただけました。
ボンゴレや海老の出汁を吸わせたパスタに、それ以上余計な味を余りつけていないから、
ボッタルガの味の邪魔をしないのですね。

もう1つは、ウニのリングィーネ。
これは、大好きな島、プローチダの店「ゴルゴーニア」のウニスパに似ている味で、
これまた文句なしに美味しかったです。

こうした昔ながらの、気取らず美味しい、そして高くない店が、
(東京で言えば新橋辺りにあるようなオジサン好みの店)
ミラノでは減ってきていて、若者はおしゃれな店へと流れて行っているよ、
この店がまだ残っていてよかった、と彼女が言っていました。

彼女はお酒を飲まない人なので、私はグラスで2杯ほどいただき、
お会計をお願いしたら、リモンチェッロをボトルでドンと置いてくれて、
2〜3杯いただいて、のんびり話をしてから出ました。

この日は、部屋で昼食を摂って、しばらく休んだ後で、トラムとバスを乗り継ぎ、
トリノ市街を見下ろすスーペルガ聖堂に行こうと思いました。
ヴィットリオ・ヴェネトまでトラムで行って、その後61番のバスに乗り換えようとしばらく待ちました。
他のバスやトラムは来るのに、61番だけが来ません。

同じ61番でも、逆方向のバスは来るのですが・・・
待てども待てども(って、20分ぐらいだと思うのですが)61番バスは来ません。

もしかすると・・・
と思って、バスの行き先案内板の近くなどを見てみたら、時刻表の近くにこんな紙が。
3月19日の朝7時から31日まで、61番バスの市街から郊外方向へ向かう方は
下記の「通り」の運行はありません、の表示。

通りの名前は良く知らないし、詳しい地図も路線図も持っていないので、
道路工事ならば、その場所の通りを抜けて、手前のバス停まで行けば、
迂回して走る61番バスに乗れるだろうと思い、
バス停を遡るように歩いてみました。
ほどなく、工事の箇所は見つかりました。
でも2つ、3つ、とバス停を遡って歩いてもこの貼り紙がしてあります。

ヴィットリオ・エマヌエーレⅡの通りまで出て、
その通り沿いと交差する通りのバス停を見てみましたが、

61番はどこ?の状態になってしまい、
もう日が傾いてきたのでここでスーペルガ聖堂行きは断念。

そこからポルタ・ヌオーヴァに向かうバスがあったのでとりあえず乗りました。

そのバス、妙に混んでいるというか、
人がすごくたくさん乗っているわけでもないのに
入り口付近が混んでいて、

中に人が入っていけません。
バスを降りるときになって、理由がわかりました。
なんと、ベビーバギーが3台も乗っていたのです!

おまけに、そのうちの1台がこれ。
2人乗りのバギーです。
乗っていた人の7割ぐらいがここで降り、
その降りたおじ(い)ちゃんおば(あ)ちゃんたちが、

皆この双子のママに、
「まあなんて可愛いの!見せてね」なんて声をかけ、
子ども達の顔を覗き込んでいました。

日本だったら、こんなでかいバギーを持ち込んで迷惑だわ、
なんて顔をされそうですけど、断然イタリア人の温かさの方がいいです。


残り時間も少なくなってきたので、買い物を少しして一旦部屋に荷物を置きに行き、
昼は、ご主人が不在だったディヴィツィアに夕食を食べに行きました。
ところが、やっぱりまたご主人はジョルジョは出かけていて、会えず。
メールのやりとりをしていたのですが、店を改装したばかりで忙しいようで。

娘さんがいて、応対してくれました。
この店、昼食時がものすごく混むみたいで、夜はおまけの営業のようです。
私が9時ごろに行ったら、パスタはもうなくなっていました。
(多分、お湯を落としたのでしょう。)
ほかの料理もかなり終わっていて、あるものを出してもらいました。
ヴィーノが超大盛り。
野菜のスフォルマート
牛肉のロースト、ポテト添え
ドルチェは、何だったか名前を忘れました。
パンナコッタではないけど、そんなようなもののチョコレートソースがけ。
私のところに運んでくるカメリエーラが、とても愛想のよいブラジル人の女の子。
客はもう私だけだったので、私が退屈しないように、
いろいろと話しかけてくれました。
24歳のシングルマザーで、恋人がソレントにいるのだとか。
3月いっぱいでここを辞めて、ソレントに行くのだそうです。

さて、ヴィーノもお替りし、お腹が一杯になってお会計をしようと思ったら、
別のところの片付けをしていた娘さんがが出てきて、
パパに電話したら、今立て込んでいて店に戻れないから、
ぐら姐には食事はおごりだから、お金はもらうなと言われているとのこと。
申し訳ないけど、そういうことなら、今度来た時にまた食事に寄るね、
ご主人にによろしく伝えてね、と言って出てきました。

また次回行ったときに、がっつり食べて、
お土産も(自分のところの製品を売っているので)買おうと決めました。


さて、翌朝は、ミラノへの移動です。
早めに起きて朝食を用意して食べました。
市場で買ったパンに生ハムをはさみ、
残っていたマッシュルームなどで野菜スープを作り、
タロッコを絞りました。

タロッコの断面です。
これにてトリノともお別れ。
すぐそばのポルタ・スーザの駅からミラノに向かいました。

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