ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:州別 > リグーリア州

ここには、
「美味しい店があるから食べに行こう!」とピエモンテはカネッリの、馴染みのアグリトゥーリズモのご主人G氏が連れて行ってくれたのです。
3.のアンドーラのところに書きましたが、アグリに行く時間の余裕はないと言った私のために、海の方へときてくれたのでした。

チェルヴォはとってもカワイイまちなんですって、と友人に聞いていたので、
ワクワクでしたが、G氏は、何と言っても食べること、食べさせることが好きなので
まずは、奥様の運転でG氏と私たち3人、合計5人で食べに行きました。
その時に食べた海老のフリットの美味しかったこと!!!
イタリアでこれまでに食べた海老の中で一番美味しかったかも~

このどっさりの海老を5人で食べました。

G氏に言わせると、インペリアからサンレモのあたりにかけて獲れる海老が一番美味しいのだそうで、キロ50€(あれ?60だったかな?)もするのだそうです。
でも漁船から直接買うと10€ぐらいは安くなるのだとか。

揚げ方が本当に上手で、頭や殻はカリッと揚っているのに、身はしっとりで芯の部分はまだ透き通っているぐらい。
多分私は6匹ぐらい食べました。
頭を外して、外側の硬い部分を取り(これは食べない)、その他の部分を全部食べ、
アシを外してこれも食べ(パリパリして美味しい)、
殻を剥き(これは食べない)、尻尾を食べ、そして身を食べて。
ああ、こんなに美味しい海老は初めて!と思えるほど美味しかったです〜。

その後、奥様が車でチェルボのまちのてっぺんまで連れて行ってくれて、
そこから歩いて下りました。











坂道や階段を下っていると時おり海が見えます。











時々立ち止まって見たり撮ったり、そしてまた下り。

散歩が終わると、奥様が車を下に回して待っていてくださいました。
何とも楽しく、楽チンなまち散歩でした。

ヴェンティミッリアから出かけた鷲ノ巣村巡り、
アプリカーレの次は、さらに奥にあるトリオーラに行きたいと思っていましたが、
もう1つぐらい行ける時間がありそうなので、
持参した「旅名人ブックス」という本の1部分のコピーに
チェリアーナというまちが魅力的に書かれていたので、行ってみることにしたのでした。

そこまでの道のりは、それまで以上のくねくね&細々&ヘアピンカーブ多出。
これは日本であっても運転するのが大変な道でした。(私は助手席でしたが)
思った以上に時間がかかって、ようやく到着。

車を停めた地点からだと、高いところに建物があるでけでなく、
谷に向かっても続いています。



いったん車に乗って、反対側のまち外れの方まで行ってみることにしました。



このチェリアーナのいう名前、以前読んだ坂東眞砂子さんの「サンタントニオの舌」という本に登場していました。
出版社の解説によれば
「暗黒イタリア中世の息吹が甦る!知られざるイタリアのもう一つの顔とは?
聖人アントニオの舌が残るパドヴァ。魔女が棲んでいたトリオラ。むち打ち苦行の儀式が今も残るチェリアーナ...。直木賞作家がたどる、イタリア中世の神秘と謎。知的興奮あふれる幻想紀行エッセイ!」
(実際全くその通りの本です)

チェリアーナでは毎年パスクア(復活祭)の前の木曜日に、「鞭打ち修行僧の行列」という祭りのようなものが行われるそうで、
坂東さんは、それを見に行った時の様子を書いていらっしゃいます。

まちの入り口近くで車を停めて写真を撮ったところに、
小さな飼育小屋がありました。

中をのぞくと鶏さん山羊さんたちが。

車を停めてまちの中へと歩いてみました。







小さな小さな映画館がありました。名前は中央映画館(CINEMA CENTRALE)

老シニョーレが運転してきて降りていったこの車、ドアもなければナンバープレートもなし。

この水道、下に甕やボトルを安定して置けるようになっているところが面白い。

通りから少し入ったところにドゥオーモがありました。

このまちの建物は、山にへばりつくというより、谷からにょきにょきと生えているようです。

建物の上の階から坂道の上に出られるようにプライベートの橋がありました。

訪れたのは、な~んと’00年の夏1泊のみ。

’94年に西地中海クルーズをしたのがイタリアのコスタ・クルーズで、
ジェノヴァ発だったので、それまで世界のあちこちをフリーで旅行していたのに
イタリアをちゃんと観光したことがないから回ってみることにしたのでした。
ローマ(ここだけはそれ以前にトランジットのついでに1泊していました)、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノと訪れて、その後にクルーズに参加したのですが、
クルーズ船の中で見たイタリアの人々の様子が面白かったり魅力的だったりで、
それがイタリアにはまるきっかけになりました。

それでも、’95年夏はスイス~南仏~北イタリアとイタリアはちょっとだけ、
’96年夏は東欧、北欧、冬はNZ
’97年夏は東南アラスカ、カナダ西海岸と他国を訪れて、冬にやっとミラノ、ヴェローナなどに行き、
それ以降は、’19年までイタリアには毎年行くようになったのでした。

すっかりイタリアにはまったようでいて、実は’00年はアイルランドに行き、
それでもやっぱりイタリアには行かないと、と言う感じでアイルランドからロンドン、そしてミラノに飛び、コモ・サンレモ・パヴィアを訪れたのでした。
ミラノから行きやすいところで
コモはなんとなく当時有名だったので、
パヴィアを選んだのは、テレビで視たリゾットの店に行きたかったから、
そしてサンレモを選んだのは、夏だから海辺に行きたい&子どもの頃にブームだったカンツォーネの聖地(?)に行ってみたかったからという
とってもミーハーな理由でした。

サンレモには、夏と言うのに1泊だけ。
写真もまだフィルムで撮っていた時代なので、少ししかありません。

海辺に行ったのに、水着を持って行かなかった途中合流の友人…

1泊だけだったので、ちょっといいホテルしか予約できず、
でもお陰でプールもあってくつろげました。

そして、ホテルのラウンジバー

ビアノの弾き語りの人が、何かリクエストはありますか?と訊いてくれたので、
エロス・ラマッツォッティの歌をリクエストしたら、喜んで歌ってくれたのでした。

サンレモのまち写真は無しです。
そのうち再訪してみたいと思います。

ここも、’08年暮れにカモッリに滞在したときに、
ポルトフィーノに行くための経由地として立ち寄りました。


電車でまずはサンタ・マルゲリータ・リグレへ。
ポルトフィーノまではここからバスか船で行きます。
この時期船はないはずなのでバスの切符を買おうと思ったら、
売り場のシニョーレが、あっちへ行けと指差すのでその方向へ行けば、船の乗り場。
見に行ってみると、冬場でもクリスマスから1月6日のエピファニアの日までは運航しているとの表示がありました。
出発時刻まで、海岸をちょっと歩きました。

コロンブスの像

ところが出航の時刻少し前に行き、待ってみたけど、定刻になっても船は来ず。
船どころか切符売り場も開かないし、乗客も来ない...
掲示板の時刻表を見ると、昨日は臨時に運休したことが書かれているけれど、今日のことは何も...

ま、イタリアだものねぇ...ということでバスで行くことにしました。幸いバスの本数は多くて、すぐに乗ることができました。

ポルトフィーノから戻って、少しだけまち散歩。



子供達が紙皿に描いた絵をツリーの飾りにしています。アイディアいただき。

昼食に行った店は、IL FRANTIO(搾油所)と言う名前のリストランテ。
昔、搾油所だったそうで、古い道具がそのまま置いてありました。

この旅行で、ここまで結構パスタはたくさん食べているので、
この日はアンティパストとセコンドのみにしました。
アンティパストは、ハムサラミ盛り合わせと鰯のマリネ。



セコンドは、魚介のai ferri(筋付き鉄板で焼いたもの)盛り合わせ。

特別ひねったものなく、新鮮な素材をシンプルに食べるだけの料理ですが、素材がいいのでとっても美味しかったです。
特にスカンピはなかなか立派で、取り出した身がとても大きくて大満足でした。

まちと呼んでいいのか、分かりません。

’09年年末にカモッリに滞在していた宿のレセプションでまちの地図を見せてくれて
見に行ける観光スポットを教えてくれました。
「ここがサンタマルゲリータで、こっちがポルトフィーノ。サンフルットゥオーゾには美しい修道院があって、船で行けるよ。それから...」

船で行ける?この季節でも船が運航しているの?
この修道院のことは知ってはいましたが、
船で行くか、2時間半歩くかしか方法はないと書いてあったので、
冬に船はまずないと思い、諦めていたのです。

オジサマが、地図にある時刻表のページを開いてくれました。
なんと日曜(この日)は、本数が多い!行くべし!!!ということで出かけました。

14時の船に乗りました。
美しい崖の景色を見ながら、途中1箇所に寄り、30分ほどで入り江に入っていく船。見えてきました...

サンフルットゥオーゾは、住人が十数人しかいない小さな集落だそうで、木々に囲まれてひっそりと修道院が建っている...という感じです。
海からのアプローチがとても素敵なところでした。



7世紀だか8世紀だかに建てられて少しずつ増築され、13世紀にメインのゴシック建築部分が完成したようです。
そして15世紀にドーリア家のものとなったのだそうです。
何でも海底17メートルに沈んでいるキリスト像とドーリアの墓があることで有名なのだとか。
1983年にドーリア家からFAIと言う、文化財や環境を保護する財団に寄贈され、今はFAIが管理しています。
修道院は、以外に簡素なつくりでした。

キリストの磔刑像が、何だか可愛らしくて気に入りました。

小さな回廊が素敵でした。





2階の海側は、展示室になっていました。

外に出て、周りを散歩しました。



住人が十数人というこの集落の、それも1週間に何人通りかかるのかしら、というようなところにポストがありました。

少し上ったところから、別な角度の修道院が見えました。

修道院から搭へ続く道を歩いて行きましたが、搭には入れないようになっていました。
何とかと煙は...の、何とかと同じなので高いところが大好きで、上りたかったのでちょっと残念。
そこから向こう側の入り江に下りていけるようになっていました。修道院のビーチよりもさらに小さなビーチがありました。



搭に続く道を小さな入り江と反対の、山の方に行ってみました。
なんと、山羊さんたちが大勢。
皆、忙しそうに草を食んでいました。



16時の船で帰りました。
岸壁に、サンフルットゥオーゾの絵がありました。

ジェノヴァとアルベンガの間ぐらいにある、クルーズ船も出入りするような大きな港のあるまちです。

’07年3月にピエモンテの馴染みのアグリトゥーリズモに滞在中にご主人に連れて行ってもらったのが最初。
そのときは、美味しい店で食べるのが目的でしたので、まちは見ていません。

2度目は’09年の夏。
アルベンガに滞在中に、’07年に食べた店に食べに行ったのでした。
でもその時はイプさん、リトルさんと一緒に電車で行ったので、まちを歩く時間もありました。

夏とは言え、この日は雨だったので寂しいビーチ

城があったのかどうかはよく分かりませんが、城壁がありました。

行ってみました。

城壁から見たまち。結構大きなまちです。







ちょうどクルーズ船が来ていました。

ポルティコ(柱廊、アーケード)のある大きな通り



美味しい魚介をどっさりいただきました。









ふふふ、この店も盛り付けは適当ですね。

海辺







普通の生活感があるまち









とっても美味しかったカジュアルな店



市の立つ広場もありました。

キアーバリはなかなか居心地のよいまちでした。

’08年冬に、リオマッジョーレに滞在してチンクエテッレのまち巡りをした後に2泊だけしました。

カモッリはジェノヴァから列車で東へ1時間ほど。
リオマッジョーレまでが2時間ほどなので、
ちょうど中間点の辺りにあります。
有名な超高級リゾート地ポルトフィーノも近いです。

カモッリも、チンクエテッレ同様、元は漁港なのですが、何せリグーリアですから、リゾート地になってしまうわけで。砂浜もありますし。

私にここを教えてくれた友人の知人が、
カモッリは東リビエラで「いちばん可愛いまち」と言ったそうですが、
それから想像するよりは大きなまちでした。
そしてこのまちには、なかなかのレベルの宿が多く、
バカンスシーズン中は高くて、私など泊まれないぐらいなのです。
冬は安くしているのでちょっと奮発、ぐらいの気持ちで泊まりました。

このまちは海沿いに広がっていて(山の方にも住宅はあるけど)、
メインの通りは、海岸通りと少し上にある線路と平行してある商店街の通りの2つです。
宿からはどちらの通りにも行けるので、上の道に出て少し歩くと、もうまち外れの方まで着きました。そこからは港が見えます。
ランダムに写真を載せます。









人気のフォカッチャ屋さん

この辺りReccoのフォカッチャは、私の知る一般的なものとは違っていました。

最後の朝に買って食べました。

夕暮れどき









そして海辺のまちには美味しい魚介料理



ここには、また別な季節に行ってみたいと思います。

モナコやニースに向かう鉄道のイタリア側最西端の駅のあるまちです。

初回は、'09年の夏、アルベンガに滞在中にモナコに日帰り観光に行き、
30分ほど乗り換え時間があったので、ほんの束の間だけ、散歩してきました。
2回目は、'10年冬にイタリアの鷲ノ巣村巡りに行く拠点として2泊しました。

駅構内の表示は、イタリア語とフランス語、
駅の中で一番大きな店は、イタリア土産屋でした。
売っているのは、ITALIAと文字が刷り込まれたいろいろなものや、サッカーチームのグッズなど。
フランス側から来た人達が買うのでしょうか。

市場があるとついつい覘いてしまいます。

海辺の方

山の方

冬に行った時の方が2泊した分写真もたくさんあります。
歩道にもナターレの飾りがありました。



宿は駅から離れたところで、そこまでの途中はなかなかいい感じでした。





朝の散歩





大聖堂は、丘の上の方にあります。

丘の上から見下ろす景色。橋を渡ると市場や駅の方へと向かいます。

このまちの宿は、この季節なのにどこも結構高くて、泊まったホテルも決して安くなかったのに、
入った途端芳香剤の強烈な匂いが鼻をつき、鄙びた雰囲気がインテリアにもスタッフにも漂っていましたし、
初日の夕食をいただいた店は、デッラ・カーサのヴィーノを0.5Lオーダーしたら、
それに満たない量が出てきたので、それを指摘すると、見事に線ぴったりのところまで継ぎ足してきたし、
翌日行った店は、前菜盛り合わせがずらっと並んでいる写真を見て入ったのですが、
前菜のブッフェが20€もするのに、これいつ切ったの?これはいつ作ったの?というようなものが結構あり、
周りを見回せば、この時期とは言え20時半過ぎても客は誰もいない店だったのでした。

というわけで、このまちにはもう行かなくてもいいかなと思っています。
イタリアでそんなふうに感じたのは初めてのことです。
(イタリアじゃない感じ)
'09年に立ち寄ったときに、ちょっといい雰囲気があって滞在してみたいと思いましたが、立ち寄るだけにしておけばよかったのかも。

アンドーラよりもさらに西の海辺にあります。
’07年3月に行きました。

ここは、素敵な街だと聞いていたのですが、
何よりも、同行の友人が、オリーブの博物館があることを見つけ、行くことになったのです。
カネッリのアグリトゥーリズモ滞在中に車で連れて行ってもらいました。

そういうわけで、まちの写真と言うよりは、オリーブ博物館のことばかりになってしまいます。

Fratelli Carliというオリーブオイルなどを作っている大きな会社が設置しているものです。



建物を入ってすぐのところにあるステンドグラスです。

オリーブは、もともと地中海の東、トルコの東南からアフリカの東北沿岸にかけて、ごく一部の地域に自生していたと考えられているそうです。
すでに6000年前のクレタ、キプロス、シリアで盛んにオリーブオイルが生産されていたことが記録に残っているのだとか。
フェニキア人が、地中海の東部で始まったオリーブ栽培を西へ伝え、ギリシャ本土・ゴール地方(現在の南フランス)・イタリア半島からシチリア・南スペインへと伝えられたのだそうです。

そのような流れが、文章や、モザイク、当時の船への積み込みの様子などの展示から理解できるようにしてありました。









外には立派な幹のオリーブの木

ちなみに、最近知ったことなのですが、オリーブはギリシャにオリーブ栽培が伝わった時に、ギリシャ人が品種を改良し(紀元前のことなのです!びっくりですね)、実が大きく油がたくさん搾れる種に改良というか接ぎ木の方法を見出して、それが古代ローマにも伝わったのだそうです。

まちの様子はほとんど撮っていませんが、少しだけ。

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