ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:州別 > ウンブリア州

素敵なライトの巨大クリスマスツリーを見た後は、もう暗くなった道を街へと戻りました。
Yukoさんが、食べ物を買って部屋で飲みませんか?と誘ってくださったのですが、
私とペコさんは、せっかくトリュフが名物だというグッビオに来たので、
トリュフをかけたパスタだけでも食べたいねと話し合い、
その後にお部屋で飲みましょうと言ったら、結局Yukoさんもお付き合いくださることになりました。

パスタだけなのにまち一番だという店へ。
まだイタリアの食事には早い時間なので、私たちが最初の客です。
なかなか雰囲気のよい店で、パスタだけなのですが・・・と言う私たちを、
笑顔で席に案内してくれたカメリエーレ氏は、丁寧で感じのよい方でした。
パン
そしてストゥッツィキーノ(つきだし)が出てきました。
ワインは、カメリエーレに選んでもらいました。
パスタがやってきました。私のは、トロフィエみたいな手打ちパスタ。
生ハムの端っこを刻んで使っているようです。
他の2人は、ラビオリ
小食のYukoさんが、私にラビオリをいくつかくださいました。
さっぱりしていて、トリュフの香りが引き立ちました。
私のパスタは、生ハムの塩分と味がクリームにほどよく出ていて
クリームはくどくなく、さらっと使われていたので、
これまたトリュフとぴったり合って、美味しくいただけました。

そう言えば、所ジョージさんの番組「笑ってこらえて」のローマ支局長コマツバーラさんは
ウンブリアの白トリュフを紹介していましたね。
肉には黒が合うと言っていましたが、この私たちが食べたパスタにも少し肉が使われていて、
黒トリュフの香りとよく合っていました。

白の香りは格別なので、本当にシンプルな料理がトリュフを引き立てます。
サンセポルクロで食べたパスタは、まさにそれでしたっけ。

こういう店だとドルチェが絶対に美味しいはずなので、いただくことに。
私の、あったかいチョコの焼き菓子。
切ると、中からトローリとチョコソースが出てきます。
ペコさんのミルフィーユ
予想通り、どちらも美味しい!
やはりこういうところではドルチェをはずしてはいけませんね。

満足して宿に帰ります。
そしてYukoさんのお部屋に行って、続きの飲み食いをしたのでした。

等身大プレゼーピのエリアを見終えて、もう少し街散歩をしました。
小さな川が流れていました。
下へ下へとおりてきて、バスの発着所のある広場まで来ました。
向こうに、サンフランチェスコ教会が見えます。
ここのプレゼーピは別棟につくってありました。
グッビオのまちのプレゼーピで、建物に明かりが灯っているのがきれいでした。
さてそろそろ日も沈み大文字焼き風クリスマスツリーに灯った明かりが、
きれいに見える時間帯になってきたようです。
街からは、部分部分が見えるだけだったり、形がきれいに見えなかったりするので
ビューポイントへと向かいます。
それほど遠いわけではないのに、あっという間に暗くなり、
そこに着いたときには、明かりがきれいに見えるようになっていました。
見えました!
この写真を撮って、私&ツリーの写真も撮って、しばらく見て、帰ります。
帰りがけのどこかの店の駐車場からだと、建物の明かり無しに、電飾だけが見えました。
さて、街へと戻ります。(つづく)

Yukoさんの言うサプライズとはこれのことでした。
この通りと、交差している通り全部に等身大のプレゼーピが展示されているのです。
けっこう楽しいつくりのものあれば、不細工なのもあるのですけど、
いろいろあって、なかなか面白い。
ちゃんと食べ物屋のエリア、繊維のエリアなど職業別になっていて、
糸屋のコーナーがきれいでした。
こちらでイエスが誕生しました。
東方三博士とラクダ
病気や怪我をしている人たちがたくさんいるコーナーがあり、
ちょっと怖い・・・と思っていたら、そこにはサンフランチェスコがいて、
小鳥とお話しているのでした。
彼らは、サンフランチェスコに直してもらいたい人々だったのですね。
大勢の人が見物して、それぞれ気に入ったプレゼーピのところで自分が入って写真を撮っていました。
もちろん私たちも。

もう少し街歩きを続けたのですが、それはまた次回。

下界に戻って、ホテルに向かいます。
本当に坂のまち
グッビオは陶器のまちでもあるそうで、こんな感じの土産屋がけっこうありました。
チェーリの祭の様子を描いた絵皿がありました。
イタリアに留学していた友人がこれを見たことがあるそうで、
だんじりと山笠を合わせたような迫力があるとのこと。
リタイアしたら・・・の楽しみがまた増えました。

グランデ広場
その真ん前にあるこの建物に、私たちのホテルがあります。
このホテル、入り口は別な通りに面していて、この建物の正面には、ホテルのカフェがあるだけでした。
初めに到着したときに知らずにとりあえずカフェに入っていくと、
カフェのスタッフがレセプションに電話をしてくれ、
すぐに男性が下りてきて、私と友人の2つのスーツケースをひょいと持ち、
トントントンと階段を2階分上がって行きました。
1つ上まで上がるとエレベーターがあったのに。

そしてレセプションのところにスーツケースを置いて出かけたのですが、
山から戻ってレセプションへ行くと、部屋は別棟なのでした。
こちらが、レセプションのある棟
不思議な感じがしませんか。
広場からみたあの大きな建物に入ったのに、2つ階を上がるとこの建物って。

部屋はなかなかいい感じで、
友人と「バスタブがある!」とか「きれいな部屋じゃないの」なんて話していたら、
ドアをノックする音。
出ると、そこにはYukoさんが立っていたのでした。

前日からここに泊まっているYukoさんの部屋は向かいでした。
「昨年泊まってよかったので、今年も泊まりたい。今年は、是非眺めのよい部屋にしてください。」
とホテルにメールを送っていらしたそうで、窓を開けると、素敵な眺め。
そしてこの写真を見ると、さっきのレセプション棟の謎が解けた気がしました。
ね。
教会で、ファサードだけが立派で建物自体は小ぶりというのがよくありますが、
このお宿の建物もそんな感じなのですね。
広場側から見て想像する奥行きの広さを、この斜面のまちに確保することは無理なのです、多分。

さて、Yukoさんと一緒に3人でまち歩きにでかけます。
途中で見かけた水道。
中の部分にも素敵な建物のミニチュアがあります。
是非見せたいものがあるのよ、案内するわ、とサプライズ(いったいなんでしょう)のある方向へと連れて行ってもらいました。
そのサプライズは、また次回載せますね。

聖ウバルド教会に着きました。
中に入ると、まるで本物の人がそこにいるような、等身大の人形が。
プレゼーピの1部です。
これはチーズ作りの人で、少し離れたところにはパンを焼いているシニョーラの人形もありました。
手の部分やパン、チーズは焼成粘土で作られていました。

そして中央の祭壇の前には、マリアとヨゼフがやはり等身大で、
まさに生まれたばかりの赤ちゃんを抱いてほほえんでいます。
そしてそれとは別に幼子イエスが、たいていどこでも見かける両腕を広げたポーズではなく、
掌を合わせて右頬の横にもっていっている珍しいポーズで置かれていました。
グッビオでは、守護聖人ウバルドの命日である5月15日に
チェーリの祭(ろうそく祭)というのを行うのだそうです。

Ceriというのは燭台をかたどったみこしのようなものだそうで、
チェーリの上には、まちの守護聖人である
聖ウバルド、聖アントニオ、聖ジョルジオの人形がまつられます。

人々はそれぞれの聖人を意味する黄色、青、黒いずれかのシャツをまとい、
このチェーリをこんなに高い場所にある聖ウバルド教会まで、
まるでだんじりのように運ぶのだそうです。

競うように見えて、実は毎回聖ウバルドのものが一番に到着することになっているのだとか。

その3つのチェーリが教会の中に置かれていました。
結構な高さがありますが、この上に聖人の像を乗せるのでさらに高くなるのですね。

教会を後にして、もっと上を目指すことにします。
(ナントカと煙のナントカなので、高いところに行きたくなるのですね)

アレッツォに3泊した後、列車でペルージャまで行き、
そこからバスに乗ってグッビオへ向かいました。

お天気がよかったので、眺めも最高によくて、
車だったらあちこちで泊まって写真を撮れるのに、とちょっぴり残念。


グッビオのバス発着所からホテルまでは距離がすごくあるわけではないのですが、ずっと上り坂。
ガラガラとスーツケースを転がして上り続けました。
階段を避けて迂回したので、それほどきつくもなかったです。

そして、まだチェックインできないと言われたので荷物を預けてフニヴィーアへ。
小高い場所にあるグッビオの旧市街ですが、
さらに山の方に名物の巨大クリスマスツリー(ツリー型に設置されたライトに明かりが灯る)があり、
それが設置されている山のてっぺんまでフニヴィーア(ロープウェイ)で行けると聞いていたのです。
しかも車両ではなく鳥かごのような乗り物だと言うのでもうわくわく。
この日も快晴で、風もない穏やかな日だったので、「鳥かご」の上り下りには絶好の日。
早速乗り込むと、ぐんぐんと乗り場が遠くなっていきます。
左側に無人の「鳥かご」が見えます。こんなのに立って乗るのです。
ジェットコースター大好き人間なので、友人のペコさんと2人上りから楽しくてはしゃいでいました。
町全体が統一された色でとても美しい。

そして降りたところの近くのピクニックテーブルでお弁当を食べました。
食後は、近くの教会を覘いたあと、本当の山頂まで上りました。
本当に素晴らしい天気。
その後は、その上にある聖ウバルド教会に向かいます。
途中の道はハイキング気分。
こんなところにレストランがありました!最高の眺めでしょうね〜
あちこちに裸の木があり、コードが巻きつけられています。
これは、山肌全体に描かれる電飾のクリスマスツリーのための電源コードなのですね。
聖ウバルド教会については、また次回。

これは、だれに責任があるわけでもない、イタリアだからと言うのでもない、
どうしようもないことなのですが、困ったことは事実。

スポレートの駅からホテルに行くために乗ったバス。
降りる直前に急に雨が降り出したのです。
しかもいきなりドシャ降り。

私はバッグの中に折り畳みの傘を入れていたのですが、
何しろ振り出したのが下車する直前だったので、車内にいるうちに傘を出すことができず、
それでも何とか下車してすぐに出しました。
でも同行のイプさんは、リュックの中から出さないといけなくて
その間せめて頭だけでも濡れないように自分とイプさんの頭部に傘を差しました。

彼女は、私よりも寒がりで(というか私が暑さ寒さに強すぎるのかも)
列車やバスの冷房で冷えないように、夏でも上着が必要なので、
移動の際ショルダーバッグのほかにちょっと大きめのリュックを背負うのです。
そのリュックから傘を出すのに手間取り、その間に二人とも頭以外の部分はずぶ濡れに。

その時は短距離の移動だったので、白の麻のハーフパンツをはいていたのですが、
濡れて張り付いて下着が透ける状態。
でもそんなことにかまってはいられません。
とにかくホテルまで急ぎました。
夏の旅行にはとりあえずと言う感じで小さい折りたたみ傘しか持参しないので、
バス停からホテルまでの100mほどの間に、頭以外は靴の中まで全身濡れ鼠の状態。

ホテルにチェックインするときに新聞紙を多めに貰い部屋で靴に詰め、
交代でシャワーを浴びて着替えたのでした。

スポレートは、この時より前に2度ほど訪れていましたが
昼下がりに2度とも結構な雨が降りました。
時間的には長くなくて、1時間ほどで上がってまた晴れました。
多分山間の地形の関係で、それがこの地の気候の特徴なのでしょう。

できれば訪れる土地の気候の特徴を調べて、
それなりの雨が降るところを訪れる予定の時は、
折り畳みでも大きめのサイズのしっかりした傘を持って行くべきだと実感しました。

夕食の頃には雨も上がりクリアではないものの夕焼けが。
ところが、この時一番困っていたのは、この日合流することになっていた西南さんなのでした。

この日の雨は、スポレートだけのことではなく、
中部イタリアのあちこちで日本のゲリラ豪雨のような降り方をしたらしく、
なんとローマから乗った列車が途中で止まってしまったとメールが来ました。
結局列車が動く見通しが立たず、
止まっている駅からタクシーに乗って、違う路線の駅まで移動、
そこからスポレートまで来たそうで、
なんとタクシー代を100€も払ったそう。
21時半頃にやっとホテルに着いたのでした。
こういうトラブルは避けようがありませんね。
ひとまず今の時代は他の行き方を調べられるようになっただけありがたいことですが。

その時のスポレートの写真を少し載せます。
この年は翌日もやはりあまり良い天気ではありませんでした。
でも以前は修復中か何かで渡ることのできなかった水道橋を渡ることができました。

’16年夏のモンテファルコでのことです。
(すでに’16年の旅報告で書いていますが、違う形でまとめます)
翌朝、比較的早い時刻のバスに乗って出発するので、
まずは事前にバスの切符を買い(日本にいたらこういう感覚ってないですけどね)
バスの乗り場がどこなのか確認しておこうと思いました。

通りがかりのタバッキに入って切符を買い、乗り場を訊こうと思ったら
バス停は門の外にあり、そのそばのタバッキでしか切符を売っていないとのこと。

門の外まで行き、切符は無事に買えました。
でも... タバッキで聞くと、バス停は、いつもは門の前なのだけど、
明日は牛追い祭りに関連した市が立つので、駐車場の方になるのではないか、
というのです。
うーん、ほんとかなあ。

門の近くで工事の指揮をしている赤十字の人に訊いたら、
ここだよ、この市の立つすぐ前だと教えてくれました。
信用できる感じの言い方に、一安心して宿に戻りました。

翌朝、朝食は8時からだというのでパスして7時半に宿を出ました。
門の前の広場へ。
近くのバールでヌテッラのコルネットとカップッチーノの朝食。
広場には市が立ち始めていました。
警察も出動して、交通整理に当たっています。
とりあえず、警察官なら知っているだろうと思い、
バスがどこにくるか訊いてみたら、なーんと知らないんです。
(日本の巡査ならたいてい知っていますよね。
日本とイタリアでは職域が違うし、
イタリアでは職域外のことは知らないしやらないけど
日本だと職域以外のことも結構知っているし、やる。)


男性警官の方に訊いてみたら、多分駐車場の方だよっていうのです。
ほんとかなあ。
とりあえず駐車場は向こうなんだけど...
ほんとにそんなに離れたところに停まるのかなあ...

と思っていたら、昨日教えてくれた赤十字のオジサン登場。
違うよ、バスはここ、この柵の前に停まるんだよ、市の立つ日は!
と私に言い、警察官にも教えてあげています。
そうこうしているうちに、そこにバスがやって来ました!!!
オジサンの勝ち~
ここが終点で、乗せてきた客を降ろし、向きを変えて乗車開始。
無事乗って、ほっと一息ついたのでした。

何しろ1本乗り逃すと、次は昼だったりするので、
バス停ははっきりと示しておいてほしいと思うのだけど、
そんなこと思うのは日本人だけなのかも。


モンテファルコの街角写真を少し。
一瞬、犬人間?と思った犬&男性
博物館の同じ建物の一角が、
このまちのヴィーノやオイルのテイスティングを行っているのもよかったです。

坂道を上って宿に戻ります。
その前に、昼食を摂らないと。
ちょうど通りがかりでもあったので、前日、Kさん夫妻と一緒に食事をした店に行ってみました。
残念!
予約でいっぱいで1人分の席も無し!!
人気店って、ほんとに予約しないと厳しいのですね。
特にこの時期、開いている店が少ないこともあるのでしょうが。

この店、ヴィーノの販売もしているので、Kさんが前夜お薦めしてくれたものなど、
2本を買うことにしました。包んでもらっています。
まだ早い時間なので店には客の姿は見えませんが、それでも予約でいっぱいだなんて…
本当に残念。
前日Kさん夫妻と一緒だった客だと分かっているのでしょう、ヴィーノのお代を少しおまけしてくださいました。

時間もそれほどあるわけではないので、その近くの、ツーリストメニューのある店に入りました。
私は、もちろんプリモ+セコンド+コントルノ+水+カッフェで10エウロのものを選びました。
プリモのラディッキオとゴルゴンゾーラのトロフィエ。
ヴィーノは、時間もないので4分の1Lいただきました。
水は、店でガスを添加するタイプでした。
ゴルゴンゾーラの風味が、ヴィーノ・ロッソにぴったり。満足です。
セコンドとコントルノは一緒盛り。
セコンドは鶏のタリアータ、ルーコラとパキーノトマト添えワインヴィネガーのクレマ掛け。
コントルノはポテトのローストです。
出てきたものは、ルーコラではなく、レタス添えでしたが、
野菜がたっぷりで、嬉しい食事となりました。
期待しないで入った店でも、イタリアって本当に外れない!
もう時間がないので、カッフェは諦めて会計しようとしたら、
レジのところで立ち飲みさせてくれました。
ヴィーノもいただいたので、これで12€。なかなか優秀です。

ホテルで荷物をピックアップし、タクシーを読んでもらって駅へ。
フィレンツェに向かいました。

1980年に地下から初期キリスト教時代の教会跡が発見されたそうですが、
現在のサン・ピエトロ聖堂は10世紀に着工されたものだそうで、
高く特徴的な鐘楼は、1464年に建設されたものだそうです。
入り口には、旧ファサードのフレスコ画が残されています。
中は絵画館のような感じ。
身廊の左右の壁面には11枚の油絵が飾られ、
新訳と旧約の主題が対応して描かれているのだそうです。

写真撮影禁止とあったのでそれらの絵は撮りませんでした。
ところが、iPhoneの撮影音をパシャパシャとかなり響かせながら
写真撮りまくりの女性がいて、全然お咎めなしだったので、
側廊部や後陣の合唱隊席などは撮ってしまいました。
地下のクリプタの方にプレゼーピが飾ってあると表示があったので行ってみました。
日本の折り紙が使われているのが面白いですね。
以前トリノの街の展示場でも巨大な折り紙がたくさんあるのを載せましたが、
日本の折り紙は、着実に世界に広がっていますね。
これは、地下ではなく聖堂入り口近くのものです。
ここは庭も自慢の1つなのでしょうか。
でも12月ですから、見に行きませんでした。チラッとだけ写真に撮って。
ここへ来る途中の国立ウンブリア考古学博物館が、
月曜にもかかわらず開館しているのを確認していたので、入ってみることにしました。
サンドメニコ教会の旧修道院を利用して設立され、
先史時代部門とエトルリア・ローマ部門に分かれています。

国立ウンブリア美術館をじっくり観るつもりだったので
ここには入ろうと思っていなかったですが、
入ってみればなかなか楽しくて、ついついゆっくり観てしまいました。
エトルリアの石棺
タルクィーニアなどで見たものと似ていますが、随分小さい・・・と思ったら、
遺体を横たえたのではなく、日本の骨壷のように遺骨をまとめて入れるのでした。
さて、そろそろチェントロに戻って昼食をとり、移動しないといけない時間になりました。
どんどん降りてきた坂を今度は上って行きます。

またまたチンクエチェント

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