ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:州別 > ヴェネト州

これがヴェネトの最終です。
’04年春にバッサーノに向かうバスが停車した広場が素敵で、
ここはなんというまち?と思って見たらマロースティカという名前でした。
帰国後調べたら、チェスの駒を作るまちで、人間チェスのイベントがあるとのこと。
私の故郷、山形県の天童市みたいだなあと思いました。
天童市は将棋の駒を作るまちで、人間将棋のまつりがあるのです。
生まれ育ったまちとは離れているので、見たことはありませんが。

それから10年以上が経った’15年冬に日帰りで訪れました。
パドヴァ滞在中に1日でバッサーノとマロースティカを訪れたのです。
この辺りは、バス便もそれほど悪くはないので、こんなことも可能なのです。
バスは、11年前に停まった広場ではなく、城壁の外に着きました。
山上の城へと続く城壁が見えました。
この日は市が立っていて、本来バスが停まる広場も店が立ち並び、
バス停が城壁外になっていたのでした。
上の写真の下の方にはお店の移動販売車やタープ(テント)が見えていますね。
イタリアでは、市が立つためにバス停の位置が変わることはよくあることなので、
バスに乗る時は要注意です。

このまちには、上の城と下の城と2つの城があるのでした。
降りてすぐに市を覘きます。
門をくぐってまちの中へ
城の前の広場の名前は、スカッキ(=チェス)広場。店は出ていませんでした。
城の前の木の囲いは、特設スケートリンクです。
広場の手前や両側には店がいっぱい。
途中にあったカフェテリア
花屋
別の門から出て、城壁沿いに上の城を目指します。
ユニークな顔のニャンコ
北側にはまったく日が差さず、そこを過ぎて門から陽射しが見えた時にはなんだか嬉しくなりました。
でもここは、建物だけが残っていて、中を見ることはできませんでした。
マロースティカの城は、
この地を統治していたヴェローナのスカーラ家が14世紀に建てたもので、
カステッロ・インフェリオーレ(Castello inferiore=低い城)と、
カステッロ・スーペリオーレ(Castello superiore高い城)と呼ばれています。
上の城にはリストランテがあるだけなのでした。
でも眺めは抜群。
来ている人は皆車か自転車でしたけど。

また同じ道を下り、まちのリストランテで昼食。
この店、地元の客でいっぱいでした。
中には、作業着姿の人たちも。
お仕事の人たちがランチを食べに来ているような店なのです。

お昼のメニュー構成が
A-プリモ、水、ヴィーノ、カッフェ・・・10€
B-プリモ、コントルノ(付け合せ)、水、ヴィーノ、カッフェ・・・13€
C-セコンド、コントルノ、水、ヴィーノ、カッフェ・・・13€
D-フルコース(プリモ、セコンド、コントルノ、水、ヴィーノ、カッフェ)
  ・・・17€
食いしん坊の私には素晴らしい店なのでした。
ヴィーノは、1/4Lなのに1/2Lの容器の4/5ぐらい入っていました。
こういう気前のいいお店、大好き。
プリモの、仔牛のラグーのヴィーゴリ(うどんみたいに太いパスタ)
なかなかいい食感に仔牛のさっぱり感のあるラグーが絡んでなかなかいけました。
すっごいボリュームのセコンド、牛肉のボッコンチーニ(一口サイズ)
ポレンタがコントルノ?と思ったら、コントルノは別皿でした。
この煮込みソースには、地元の特産のラディッキオが入っていて、
牛肉を食べ、このソースとポレンタを一緒に食べすると口いっぱいに美味しさが広がりました。
そしてこれがコントルノ。
ズッキーニ、ポテト、カリフラワーがまるで一品料理のような量。
州ごとのまち紹介なのに食事がメインのようになってしまい、すみません。
私のマロースティカの思い出は、この昼食が一番になっているのです。

一杯になったお腹をかかえて外に出ると、もう市は跡形もなく消えていました。
下の城がよく見えます。
人間チェスは9月に開催されるようです。
まちのインフォメーションがありました。
城のチケットも売っています。
お腹が一杯で、城の内部を見る気力もなくなり、
まちをちょっと歩いたのですが、
チェスの駒を作ったり、売ったりしているかと思ったのに
それらしきものを何も見ませんでした。

唯一ここだけが、チェス会館のようなもので、
まちの人も、観光客も自由に入って、チェスの試合をすることができるのでした。
立派なサイズのチェス盤と駒で、
チェスを少しでも知っていたら挑戦してみたかったです。
(知識ゼロなので、無理でした。)

日帰りでまち歩きを楽しみ、食事をするのにちょうどいいまちだと思いました。

’07年夏に訪れました。
ヴェネツィアからトリエステまでの移動の途中に、
ポルトグルアーロという、中世の街並みが残る素敵な町があるときき、
ちょっと立ち寄ることにしたのです。

11時ごろにポルトグルアーロに着き、
この駅には荷物預けがないのは分かっていたので、
駅バールにお願いして預かっていただこうと思っていたのに、駅にバールは無し。
でも駅前にバール兼トラットリアがありました!
お願いしてみると、「うーん、荷物を預かることはしないだけど...」と言うので
2時間でいいからお願いします、と押しの一手。
「その辺の開いている場所に置いていいわよ。誰も盗らないから。」
と言っていただきました。
戻ったら、ここでランチをいただこうと決めて、まちへ出かけたのでした。
(全く図々しいですね、毎度のことながら)

少し歩くと、それっぽい雰囲気の街並みになってきました。
ドゥオーモ近くの広場に着きました。高いとんがり屋根が、ドゥオーモの鐘楼です。
中に入ってみましたが、内部はどうということもない感じ。
このまちは、散歩して街並みを楽しむのがいいようです。
小さな運河があり、トレヴィーゾにも似た雰囲気の街でした。
広場の奥の角の方がなんだかいい感じだったので、
そこにある小さな通りを入っていってみました。
突き当たりは、水辺。比較的大きな運河があり、途中に堰もあるのでした。
この水辺のテラスのようなところに、小さな祠がありました。
特別古いものではないのでしょうし、中の絵(マリアが幼子を抱いている定番の絵)もありきたりのものですが、とっても素敵な雰囲気がありました。
近所の方たちに大切にされているような感じで。
運河の横にあったカフェ。
散歩の後にお茶でも...と思って、後から行ったら満席でした。残念。
魚屋さんがありました。
内部は、とってもモダンな感じ。
メインストリートに戻ればこんな建物たちが。
ドゥオーモの近くの広場も、見る角度が違うとちょっと違った印象。
この小さな噴水は、まちの人たちに愛されているもののようで、荷物を預かってくれたバールに、これを模した小さな手作りの置物がありました。
荷物を預かっていただいた店で、遅い昼食をいただいて
お礼を言ってトリエステに向かったのでした。

初めて行ったのは行くつもりもなく辿り着いてしまった’95年夏。
コルティーナ・ダンペッツォに行った時のことです。
まだイタリアのことを何も知らなくて、バカンス地のハイシーズンがどのようなものかも知らず、バスの時刻表の見方も分からなくて、雨の中バスが来なくて来なくて、方向は逆だったけどええい、乗っちゃえ!と乗ったバスの終点がベッルーノだったのです。
幸い宿を見つけることもできて1泊してからミラノに戻ったのでした。

ちゃんと見に行ってみたくなって訪れたのが’15年冬のことで、その時の報告はこちらです。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100202088631?sortList%5BsortType%5D=2

ベッルーノはイタリアンアルプスのヴェネト州側からの入り口のまちです。
列車で向かったのですが、冬なのに最高の天気に恵まれてこの景色!

駅から宿、宿からまちまではちょっと歩きます。苦になる距離ではありません。

宿からまちまでこんなに素敵な山の景色なのに、

まちに入ると、なかなか素敵な洒落たまちなのです。









初めて訳も分からずに訪れた時に、適当に夕食に入った店でゴルゴンゾーラのニョッキを始めて食べて食べて、その美味しさに感動した記憶は今も残っています。

次に行くなら夏かな。
ここから日帰りで山の方に行くのもいいかもしれないなあと思っています。

パドヴァの続きです。
世界遺産に指定されている8件に含まれるサンタントニオ・ディ・パドヴァ聖堂
ここは、そのフレスコ画とは別に、イタリアの大巡礼地の1つのようで
日本でいうとお伊勢さんのように、本国イタリア人も一度は参りたいと憧れる聖地なのだそうです。

ここには、聖アントニオの遺物(舌や声帯など)が祀られています。
坂東眞砂子さんの「サンタントニオの舌」という本に書かれていますが、
当時パドヴァに暮らした修道士アントニオは、
人智を超えた不思議な力で数多くの奇蹟を起こし、人々を病苦・死から救い出したのだそうです。
見事な演説をした人だそうで、その声を聞いてみたかったと思う私です。
(イタリアで教会に入った時にミサが行われていると、説経の声にうっとりすることがありませんか?
日本でも、お坊さんのお経を読む声の美しさに聴き入ることもあり。)

’14年5月に訪れた時の写真
巡礼旅のバスが着き、ぞろぞろと人々が聖堂に向かう姿。
ドナテッロによるガッタメラータ騎馬像
内部は撮影禁止だったようですが、よく知らずに撮ってしまいました。
干からびた舌はガラスのケースに入れられ、次々と祈りの人々が来ていました。
本当にご利益があるようで(信じる者は救われる…)、
願い事が叶ったとお礼参りに来る人々も多いようで、
お礼の言葉と写真、そしてろうそくなどが置かれていました。

サン ジョルジョ礼拝堂は、サンタントニオ聖堂のすぐ近くなのに、観に行ったことがありません。
サン・ミケーレ小礼拝堂もまだ。
今度行ったら是非見に行かなくちゃ。

このまちには1222年に創設されたイタリアで2番目に古いパドヴァ大学もあります。
ガリレオ・ガリレイ、ダンテ、ペトラルカが教授を務めのだそうです。
見に行っていると思うのですが、写真が見つかりません…
見つかったら載せることにしますね。

老舗カフェ・ペドロッキ
内部
街角写真を少し
市場

'04年春、'06年冬、'14年初夏、'15年冬と4回訪れています。
まちに見所がけっこうあること、まち歩きも楽しめること、近くに日帰りで行きやすいまちがいくつもあるので、'04年は1泊でしたが、それ以降は連泊しています。

日帰りで行きやすいまちとしては、
ヴェネツィア
トレヴィーゾ
ヴィチェンツァ
バッサーノ・デル・グラッパ
カステルフランコ・ヴェネト
チッタデッラ
マロースティカ
などが挙げられます。
ヴェネツィアは、本島に数泊するのがお薦めですが、
2度目以降に、観たいところ(もの)があってちょこっと行けばいいのであれば、
宿代の高いヴェネツィアを避けてパドヴァに泊まるのも結構いいです。

パドヴァの見どころと言えば何と言ってもスクローヴェーニ礼拝堂。
イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家ジョットのフレスコ画で埋め尽くされているのです。
と、ここまで書いてちょっと検索してみたら、
いつの間にか、'21年に「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」として世界遺産に登録されていました。

「フレスコ作品群」に含まれているのは
スクロヴェーニ礼拝堂のほかに
14世紀に描かれたジョッテスキ(ジョット派)の画家による作品群を有する8件、
エレミターニ教会、ラジョーネ宮殿、カッラレージ宮殿礼拝堂、パドヴァ大聖堂(ドゥオモ)洗礼堂、サンタントニオ・ディ・パドヴァ聖堂および修道院、サン・ジョルジョ小礼拝堂、サン・ミケーレ小礼拝堂が含まれているのだそうです。

ということで、今日は「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」の、
私が訪れたところの写真を載せたいと思います。

一番載せたいスクロヴェーニ礼拝堂は、
予約制で、15分間の入れ替え制になっています。
小さな礼拝堂の内部は、西洋美術史上もっとも重要な作品とも言われる
ジョットの一連のフレスコ画で埋め尽くされています。
天井も壁面も青、そこに順にマリアの生涯が描かれています。
初回は、その空間に身を置いてうっとりし、うわあ…と思っているうちに15分が過ぎてしまい、
持参した解説書を見ながら順に見て行くと、途中で時間切れになってしまい、
2度目のパドヴァ以降、訪れるたびに見ているのですが、
十分に見ました、と満足したことがありません。
また訪れたらまたここには入ります。

残念ながら内部が撮影禁止なので外側の写真だけ載せます。
エレミターニ教会
スクロヴェーニ礼拝堂から比較的近いところにあります。
’15年冬に行った時に初めて入りました。
ここにはマンテーニャのフレスコ画があります。

1944年米軍の爆撃により、完全に破壊されたのだそうです。
その時、瓦礫の山と化した教会跡から、このフレスコ画をいつか修復しようと、
できる限りの破片を集めて、箱に詰めて保存しておいたとのこと。
不幸中の幸いが2つあり、
1つは、戦前の、白黒ではあるものの全体の写真が残っていたこと、
もう1つは、礼拝堂向かって右壁、「聖クリストフォロ物語」のうち1番下の場面は、
当時、修復のためにそこから剥がされ、別の場所に保管されていたため、
爆撃による粉砕を免れたことだそうです。
少しずつ、少しずつパズルのコマを埋めるように「修復」作業の続けてできたというフレスコ画、
何も知らずにただ、きれい~、でも傷みが激しいわ…なんて見るのはもったいなと思えます。
この教会は、ほかにも思いのほか見応えがあります。
ラジョーネ宮殿は、建物1階(地上階)が市場になっています。
その前の広場にも市が立つので、ラジョーネ宮の見学のついでに市場を楽しめます。
1219年に着工され1306年に完成しました。
縦80m、横27m、高さは40mあるそうです。
以前はジョットのフレスコ画もあったそうですが、1420年の火災で焼失してしまい、
現在見られるフレスコ画は、1425~1440年ごろに、
Pietro d'Abnoという哲学者・医学教授でもあった人の占術論をもとに
Nicola' MirettoやStefano da Ferrara等の画家によって描かれたものとのこと。
占星術、日常生活、宗教関連の絵が描かれています。
カッラレージ宮殿礼拝堂には、行ったことがありません。
パドヴァ大聖堂(ドゥオモ)洗礼堂
’06年冬に滞在したときに行きました。
世界遺産に指定された建物の3カ所だけでたくさん写真を載せてしまいました。
訪れた回数もそれなりなので、あっちもこっちも載せたくなります。
ひとまず、今日はここまでにしておきます。

3回訪れました。

最初は、'04年5月。
その年のGWのカレンダーを見ていて、
後半の航空運賃が高くなくなる出発日を選んで弾丸で行けるかも、と閃いたのです。
5月に行くなんてそうそうできるわけではないから、
この時期ならではの行き先は??と考えたら、
白アスパラガスだ!!!!!と思いつき。
白アスパラガスで有名なバッサーノ・デル・グラッパに行くことにしたのでした。
バスを降りて、プリントアウトして行った地図を見ながら宿に向かいました。
今ならスマフォの地図を見ながら行きますから、隔世の感がありますね。
屋根付きの木造橋がまちが象徴のようになっています。
橋からの眺め(湯けむり温泉風?)
目当ての白アスパラガス尽くしの料理は2回食べました。
1軒目はまち中のお店で(ピンボケですみません)
前菜(上に乗っていたのは何だったのか思い出せません)
アスパラガスソースのパスタ
そして「白アスパラガスのバッサーノ風」
カメリエーレがテーブルの横にワゴンで運んできて、茹で卵をナイフ、フォークで細かく切って、塩やオリーブオイルなどと混ぜてさらに乗せてくれました。
これは、ドルチェ(苺ソースに白いものは何だったのか記憶にありません)
2軒目は、ちゃんとグルメガイド本で探したちょっと郊外の店。
ホテルのリストランテでした。
前菜は薄く切った生の白アスパラガスにスライスしたパルミジャーノを削り、
バルサミコ酢とオリーブオイルをかけただけですがとても美味しかったです。
プリモは、リゾットでした。
おそらく白アスパラガスのゆで汁を使っていたと思います。
セコンドは前日と同じ、バッサーノ風。
すみません、食べかけてから写真を撮らなくてはと思い出したので美しくないですね。
ドルチェは苺のジェラート
写真を見返して、また食べに行きたくなりました。

まち中のお店に並ぶ、美しい白アスパラガス。
2度目に行ったのは、'06年12月。
パドヴァに滞在して、カステルフランコやチッタデッラに日帰りで行った時と同じ時の旅行です。
やはりここにも日帰りで行きました。
3度目は、'15年これも立ち寄りでした。
それらの写真はまた、次回。
このまちには、あの橋の袂に趣のあるグラッパ屋があるのです。

2度訪れました。
最初は'02年。
川クルーズの出発前にトレヴィーゾ郊外にちょっと良さそうなホテルを見つけ、
3泊の予定だったのに、国鉄のショーペロ(スト)でミラノから動けず、
宿に連絡して2泊にしてもらいました。
キャンセル料も請求されず、ありがたかったです。

トレヴィーゾは、ヴェネツィアとはまた違った水の都だと聞いていましたが、
ホテルが良いホテルで、リゾート気分が盛り上がり、プールに入ってのんびり過ごしてしまい、ほとんどまちを見ていません。
駅からホテルまではタクシーで行きましたし。
お部屋
ロビー
この日は結婚パーティーを庭でやっていました。
夜遅くまで音楽やおしゃべりのざわめきが聞こえていたので
泊まった人も多かったようです。

私たちはプールに入ったり、プールサイドで寝そべったり。
2度目に行ったのは、’06年の冬です。
パドヴァに滞在していた時に、日帰りで行きました。
まち歩きの写真を何枚か。
水の都と言われるのが分かる写真も少しだけありました。
本当は駅前のところが一番分かりそうな感じなのに、写真が無くて…
低い城壁があり、幅が広くて歩けるようになっています。
適当に歩いたので、もっとちゃんと調べて(今は、ネット検索でかなりなことが分かりますからね)1泊ぐらいで見に行くとよいかも知れません。

トレヴィーゾは、ティラミス発祥のまちだと聞きました。
こんな大きなものを売っていました。

カステル・フランコ・ヴェネトと同じ年に、やはりパドヴァから出かけました。
チッタデッラは、イタリア語で城砦とか要塞という意味で、
その名の通り、パドヴァがつくった小さな城砦都市です。
カステルフランコ・ヴェネトはヴェネツィアの城塞都市で、
双方睨みをきかせていたというわけです。

訪れた日は、滞在中で一番寒かった日で、木々の枝が凍り、お濠も凍っていました。
と言っても氷点下3度ぐらいだったと思いますが。

円形の城壁には4つの城門があり、
向かい合う城門を結ぶように十字の道があります。
城門から反対の城門まで、300mぐらいでしょうか。
あっという間に歩けてしまいます。
それでも美味しそうなレストランや、よさそうなホテルがありました。
このまちで一番楽しかったことは、城壁の上を歩いたことです。
城壁の上を歩けるところは、今までにもルッカやトレヴィーゾで経験していますが、
この2つの城壁は、幅が広く、市民の憩いの場になっているのに対し、
チッタデッラの城門は、1人しか歩ける幅がなくて、
高さは、外の道路のレベルから見ると17〜8mぐらいありそうなのです。

城壁を歩いてところどころ怖いことがありました。
高さのせいではなく、凍っていたためです。
この日は前述のように、寒かったので陽の当たらないところがまだ凍っていたのです。

手すりにつかまりながら慎重に歩きました。だってところどころにこんな看板があったのですもの。「落下危険」
その城壁、入り口からちょうど半周歩いたところの門までたどり着いたところで、
門の上の鐘が、逆光で素敵に見えました。
門からのまちの外の景色です。
チッタデッラの城壁は、一部破損しているところを
鉄と板を用いて渡り廊下のようなもので繋いであり、
その部分が、高所恐怖症の方には辛いかも、と思います。
写真に見えている黒い手すりの付いている部分です。
ドゥオーモ
街角写真です。
この辺りを歩いている時に、自転車にのった女性が、
私たちにSignore!と呼びかけてきて、1枚のパンフレットを手渡されました。

見てみるとチッタデッラの観光案内のようなもの。
私たちは、チッタデッラのことはほとんど分からずに行きましたから、助かりました。
観光案内所の人だったのでしょうか。
お陰様で、城壁の上を歩けることも分かったのでした。

パドヴァでちょっと時間がある時は、こういう小さなまちに日帰りで出かけてみるのはいかがですか。

なぜかまちの中の写真がありません。
なんと28年も前の’95年夏に行ったのですが、
アルプスをスイス側、イタリア側から眺め、歩く、というのその旅のテーマでした。

パート1:
スイスを東から西に移動して
サンモリッツに泊まってベルニナ鉄道に乗り、トレッキングを楽しみ、
ツェルマットに泊まってマッターホルンを眺めながらのトレッキングを楽しみ

それからフランスに抜けて

パート2:
エクサンプロヴァンスに泊まってプロヴァンスの村々を巡るバスツアーに参加、
ニースに移動してまち散歩を楽しみ、シャガール美術館を見学、マルセイユにも寄って
イタリアに移動

パート3:コルティーナ・ダンペッツォに滞在して山歩きを楽しむ

という旅でした。
スイスアルプスとイタリアアルプスを眺めながらのトレッキングが主目的で、
フランスはおまけ。

で、コルティーナからバスでトレッキングコースのスタート地点(レストハウスのようなものがありました)まで行って、
トゥレ・チーメの周辺を歩いた写真だけはあります。
その写真を少し。
(ネガフィルムをデータ化したので、色あせて、ピンも甘いのですがご容赦を)
朝はまあまあの天気で、トゥレ・チーメ(3つのピーク)がはっきりと見えていました。
ぐるりと周りを歩くコースの途中で、
持参のバーナーとコッフェルでインスタントラーメンを作って食べ、
お湯を沸かしてコーヒーを淹れて飲みました。
山で食べると、インスタントラーメンでもとても美味しいのです。
そして後半のルートを歩いているうちに雨が降ってきました。
大雨ではなかったので、レインハットとカッパで大丈夫でしたが、
スタート地点に戻ると、バスでやってきてレストハウスからトゥレ・チーメを眺めるだけのツアーの人たちがやってきました。
その時は、もうトゥレ・チーメは雲の中で全く見えなくて、
ツアーに参加の方と話したのですが、とても残念がっていました。
山は、やはり朝がいいのです。

さて、コルティーナの宿ですが、夏は予約必須と聞いていたので
(当時は予約もせず全くフリーで行き当たりばったりの旅をしていました)
イタリア政府観光局で宿のリストをコピーしてもらって、
片っ端から予約のファクスを入れたのですが、
3ツ星以下の宿はこの時期の宿泊は1週間単位でしか受けていないと断られました。
酷いところは、返信もくれませんでした。
4ツ星のホテルだと3連泊で受け入れてくれました。
残念ながら宿の写真もまちの写真もないのですが…

'02の夏、ヴェネツィア発でクレモナまで1週間かけて行くポー川クルーズの時に立ち寄りました。
でも、写真がありません。
この年の夏の写真のネガはデータ化したのにそれでもありません。
多分3時間かそこらの停泊で、まちまで結構歩いて、
途中でマンダリーナ・ダック(旅行用のバッグ等の店)を見つけて入り、
船に戻って終わりだったのだと思います。
それにしても1枚や2枚は撮った気になっていたのにありません。

写真は無いのですが、機会があれば行きたいまちの一つなので、少し書きます。
キオッジャは、ヴェネツィアのあるラグーナの南端に位置します。

イタリア国内でも屈指の漁港の町で、
アドリア海沿岸では最大といわれていているそうです。
ヴェネツィアの魚介料理はここで水揚げされたものを主に使っていて、
ここからイタリア北部の多くの町にも運ばれていくのだそうです。

ここが気になるのは、何年か前に観た映画「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」を見たからです。
(キオッジャは小さなヴェニスと言われているそうで)
内容もとても良かったのですが、映像がとても美しくて、
一人静かに歩いてみたいと思ったのです。

まち歩きを楽しみ、魚介の料理をヴェネツィアよりお得なお値段で食べられたら素晴らしいだろうなあと思います。

'02年のクルーズのときは、時間があるからちょっと歩こうかと言う感じで
Tシャツ、ハーフパンツ、ビーサンという出で立ち。
マンダリーナ・ダックを見つけて入りはしたものの、
買う気のない冷やかしの客だろうと思われたのでしょう。
たいして相手にしてもらえませんでした。
そうですよねえ。視線を落とせばビーサンですもの。
「足元を見る」という言葉が浮かんできて、ああ恥ずかしい、
食事の時だけでなく、買い物をするときもそれなりの服装をしよう、
特に靴は大事、と思ったのでした。
実際にはセール品に気に入ったものがあって、2点も買ってしまったのですが、
本当に恥ずかしい思いをしました。
店の人に、日本人が皆こんなだと思わいねでね...と心の中で言いました。

写真がゼロと言うのは寂しいのでこの時のヴェネツィアの写真を少し載せます。

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