ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:州別 > プーリア州

ヴィエステの続きです。
今日はまち角写真を載せます。

























改めて見返してみると、このまちには、
庶民の暮らしがあり、夏の海辺のバカンス地としての顔もあり、
ほどよく活気があって、田舎くささもあって、
私はこういうところが大好きなのだと感じます。

歩いて良し、泳いで、ビーチに転がってよし、食べて良し、
そして人もまた良し、のまちでした。
アッパルタメントでの食事のために店回りをするのもとても楽しかったので
明日はそれらの写真を載せます。
というわけで、つづく。

’15年夏に行きました。
アッパルタメント滞在で短いバカンス(5泊か6泊だったと思います)。

ヴィエステは、モリーゼ州との境にあるプーリア州の北部に
イタリア半島に、まるで西部劇のブーツの拍車のように出っ張っている
ガルガーノ半島にあります。
アクセスがよくないので、なかなか行き難い地域ですが、
フォッジャからバスが出ていて、1週間前後滞在できるなら足を伸ばすのもよいかと行くことに。

ヴィエステは、思いのほか美しく楽しいまちでした。
今日は、まちの海辺などの写真を載せます。
ビーチ

上の写真の白い離れ岩は、ピッツォムンノと言うのだと、ザヴィエルさんが教えてくださいました。



最初の写真のミニ半島が突き出ている向こう側にもビーチがあります。



少し高いところから海を眺める景色も美しいです。



夕暮れも

夏の夕べの海辺の通り



そして夜

イタリア好きの方で、アルベロベッロをご存じない方はいないと思いますが、
とんがり屋根の独特の建物、トゥルッリが立ち並ぶ世界遺産のまちです。

'04年の夏、ポリニャーノ・ア・マーレに2泊+3泊で滞在したときに、
中1泊でマテーラとアルベロベッロに出かけたのでした。
スーツケースをポリニャーノのホテルに預けて1泊分の荷物だけ持って行ったので楽ちんでした。
マテーラに行って泊まり、翌日アルベロベッロを訪れました。

なぜその逆でなかったかと言うと、
トゥルッリの宿に泊まりたいとはあまり思わなかったのです。
それにマテーラの方が観光に時間がかかると考えたのもあります。
当時よく見たり書き込んだりしていた「地球の歩き方掲示板」で、
サッシの見える宿に泊まって、夜はライトアップされていてとてもよかったというのを読んで、
その宿を予約したのでした。

その後、行くつもりはないのに、'13年12月と'14年6月にも立ち寄ることになってしまったのでした。

初回のアルベロベッロの写真を少し。



あまり感動しなかったのでそれほど撮っていません。
土産物屋が多く、観光で食べているまちという印象が強くて、
建物群を見て、2階に上がれる土産物屋に入って、屋根屋根を眺め、
それでもういいや、おしまい、という気持ちになってしまったのでした。

'13年12月は、何度も訪れている、カロヴィーニョでファームステイを受け入れているマキさんのところに行くのに、
私がチェリエ・メッサーピカからマキさんのところに向かう途中、
彼女はゲストを案内している途中だったので、アルベロベッロでのピックアップになったのでした。

彼女の案内の予定が遅れ遅れになって、薄暮から夜にかけての訪問になりました。



暗くなるとナターレの飾りに灯りがともって。





’14年は一旦仕事を辞めて、初夏と夏と冬にイタリアを訪れたのですが、
初夏は、2週間ですがアレッツォで語学教室に通い、その後、友人のminaさんと合流し、プーリアを旅したのでした。
その時にマキさんのところに3泊し、minaさんが南イタリアは初めてだったので
アルベロベッロにも行ったのでした。

この時の写真が一番きれいかも。
何せデジカメの性能は’04年よりも格段にアップしているし、初夏の青空の下でしたから。









ジェラート屋さんのジェラートの蓋もとんがり屋根のよう。

何枚載せても、トゥルッリばかり。
これにてアルベロベッロ終了です。

パンを目当てに行ったまちなので、観光はしていません。
(と言うか、観光するものは多分ない)
まち歩きの写真を載せて終わりにします。

到着した夜の、食事に行くときに歩いたまちの様子。
ちょうどフェッラゴスト(聖母被昇天祭)の時期だったので、
一昔前の日本の、お盆の帰省で賑わうまちのようで、
通りは熱を帯びているような感じでした。

翌日のまち歩き。









プーリアのまちの石畳は、ローマ辺りの小さめの石ではなく、大きめの石で、
長年多くの人が上を歩いたためかつるっつるです。









この人たちは、パレードか何かで演奏を終えて休んでいるのでしょうか。
それともこれから始まるのでしょうか。



さて、前夜、駅に着いてもタクシーがないかも…と心配だったので、
空港からホテルまでタクシーを利用したことを書きましたが、
その選択は正解だったと思いました。
これが駅(ホームですけど)

まちからは少し離れていて、駅舎には地下通路をくぐって行くのでした。
それにタクシーなど待機していそうもない、
お願いしてタクシーを呼んでもらえるようなバール1軒すらない駅なのでした。
もし電車を選んでいたら、
前夜は、ぼんやりと明かりの灯ったひと気のない地下通路を通り、
荷物を引っ張って、夜道をホテルまで15分ほど歩かなければならなかったわけで。
奮発しどころでよく決断したものだと自分を褒めたのでした。

ところで、パーネ・アルタムーラは、プーリアから多くの出稼ぎ労働者がいるトリノの市場でも見かけたことがあります。
プーリア出身の人たちにとって、懐かしい故郷の味なのでしょうか。

州別シリーズ、プーリアのスタートは、アルタムーラです。
訪れたのは、'08年の夏のこと。
このまちのパンを食べたい、焼き窯を見てみたい、ただそのためだけに。

このまちに出会えたのは、我が家の近くのパン屋のお陰です。
その店は、その頃イタリアのパンに興味が湧いたらしく、チャバッタとパーネ・ディ・アルタムーラという2種類を作り始めたのです。

早速、2種を手に取り、レジへ。
レジ担当の人に向かってパンの名前と数を読み上げ袋詰めをするオバチャン、
「チャバッタが2個、タムーラ1個」と言うので、私は噴出しそうになったのでした。

イタリア語でアルタムーラと言えばalta(高い)mura(壁、城壁)であって、
al tamuraではないのです。アルタ1つとか言うのならいいのですけどね。
イタリア語を少しでも知っている人が聞くと、かなりな違和感を覚えるはず。

それでものすごく印象に残り、イタリアにそんなパンがあるのかしらと検索したのでした。
アルタムーラは、上記の2つの単語が1つに結合されたまちの名前でした。
そしてなかなかすごいパンを作るまちだったのです。

Pane di Altamura はD.O.P(原産地保護名称)指定されているパンです。
このパンの製法には、こだわりがあり、小麦粉は、地元の上質セモリナ粉をさらに引いて細かくしてから使用、酵母は、天然酵母に限り、焼くのは、薪の窯で夜明けとともに(この、夜明けと共に、が条件に入っているかは定かではありませんが)というもの。

検索しているうちに、
このパンを作るパン屋の息子が広場にパニーニの店を開いたら大繁盛し、
それ以前にできていたマクドナルドが閉店に追い込まれた話を読んで、
是非このまちで、このパンを食べに行かずにはいられない気持ちになってしまったのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/prezzemolo/diary/200701110000/

というわけで、まずはそのパン屋の写真を。

え、ここがパン屋?入ってもいいの?と思って見たら、こんな看板がありました。

なんと1423年から!
Buongiornoと入ってみれば、焼いていました!

この釜、見た目よりずっと奥が深〜い!大きい!(って、よく見えない)

おじさんもオネエサンも、感じのいい方でした。

で、買いました。 写真は、ホテルの部屋で撮りました。

パンの大きさを見ていただくために、手前にボールペンを置いてみました。
一旦お店を出たのですが、ああフォカッチャも美味しそうだったなぁ...と思って戻り、8分の1切れだけ買いました。

これ、この後の移動の際、駅のベンチで食べたのですが、
ああ1枚丸々買うんだった!!!と思うほど美味しかったです〜〜〜。
仔牛肉の挽肉を乗せて焼いたものが激うまと後で聞いたので、
そのためにまた行ってもいいかも、と思うほどでした。

フォカッチャと言えば、リグーリアと思っていましたが、
プーリアのフォカッチャは、こういうもので、これまたすっごく美味しいのよ、と後で聞きました。
バーリにも超人気の店があり、行ってみたら定休日だったので、プーリアには美味しいフォカッチャを食べるためだけでも行かなくちゃ、と思っています。

さて、パンの話から入ってしまったので、今日は美味しいもののことだけ書く日にします。

バーリの空港に19:30頃到着したのですが、荷物が出るのにものすごく時間がかかり
当時は空港からバーリまでの電車が無くてバスで、本数も夜はそれほど多くなく、
さらにそこからさらにアルタムーラまでの電車に乗って、
その先ホテルまで行くのにタクシーがあるような駅なのかも不明だったので、
一応事前にお宿に聞いていたおよそのタクシー代は、マックスで100€とのこと。
空港にいたタクシーに聞いてみると80€だと言うので、時間や安全性、翌日からの体の楽さもいろいろ考えて、ええいっ、タクシーで行っちゃえ!!!と大奮発したのでした。

お陰で、まだ晩ご飯を食べる時間が余裕であり、
レセプションのシニョーラに聞いて、近くの美味しいお店を予約してもらいました。

この時間からやっと客が入り始めた時間で(さすが南イタリアです。9時頃からやっと晩ご飯タイムスタートって感じで)ものすごい数の前菜がずらずら〜っと並んでいます。
あれこれと説明してくれたけど、とうてい全クリは無理な種類。

「ご自分で選んで皿に取りますか?それともお任せ?または、海のもの、大地のものと2つの皿に分けてお出しすることもできますが。」ということなので、2つの皿をお願いしました。

出てきたら、予想を上回るボリューム!
海のもの。

山のもの。

何人前よ!と突っ込みたくなる量です。
これにパーネ・ディ・アルタムーラを食べ、

アッラ・スピーナ(生ビールでよく見られるあの注ぎ口から出す)のプロセッコ0.5L×2を飲んで

お腹が一杯!
蟹カマ(イタリアでよく見られる)はご愛嬌として、
その他はけっこう美味しくて、大満足でした。

アンティパスト2皿をお願いした時に、
あとは、食べた後で考えますか?ときかれたので、食べた後にと言っておいて本当によかったです。

ドルチェも食べる気はしないけど、フルーツでさっぱりするのもいいかとオーダー。
なんとも飾り気なく、どかんと出されました。


今思えば、この時がプーリアの「お食べ地獄」前菜との出会いでした。

次回はまちの様子を載せますね。

ここまで
トスカーナ(半分)
シチリア(半分)
カンパーニア(半分)
ヴェネト
マルケ
と書いてきたので、続いてプーリアについてまとめます。

州都バーリは大きなまちですが、
初めて私が訪れた’90年代、ナポリ同様に危険と言われていたたこともあり
旅行者はそれほど訪れないところでしたのでここでは含めたいと思います。

1.アルタムーラ
2.アルベロベッロ
3.ヴィエステ
4.ヴィッラ・カステッリ
5.オストゥーニ
6.オートラント
7.オリア
8.カステル・デル・モンテ(アンドリア)
9.ガッリーポリ
10.カロヴィーニョ
11.サヴェッレットリ
12.ターラント
13.チェリエ・メッサーピカ
14.チステルニーノ
15.トッレ・ラピッロ
16.トラーニ
17.トレミティ諸島
18.バーリ
19.ビトント
20.フォッジャ
21.ブリンディジ
22.ポリニャーノ・ア・マーレ
23.ポルト・チェザーレオ
24.マルティーナ・フランカ
25.マンドゥリア
26.モルフェッタ
27.ルーヴォ・ディ・プーリア
28.ルティリアーノ
29.レッチェ
30.ロコロトンド

次回よりスタートしますが、バーリの地を始めて踏んだのが’04年であるにもかかわらず
ちゃんとバーリを見て歩いたのは、’13年のことでした。
そのときの駅と駅前の写真を今日は載せます。
歩いて見れば、そして食べてみれば、バーリもまた楽し、でした。



では、次回から始めます。

11時まで散歩をしました。
実はお店を探していたのです。
前夜食べたンドゥーヤのブルスケッタがとっても美味しかったので
ンドゥーヤを買おう!と。
でも、そういうものを売っている店がなくて、結構歩いてしまったというわけです。

港の近くの城(?)
海越しに見える大聖堂
海で何か獲っている人がいました。
まちへ、店を探しながら歩きつつ、パチリパチリ
肉屋の看板。お土産にして部屋に飾りたい感じ。
旗飾りが多いのは、2日後に迫ったフェラゴストのためでしょうか。
まだ目当てのものは見つからなくて、もう少し散歩を続けました。

偶然通りかかったオンニ・サンティ聖堂が、小さいながらもとても素敵でした。
魚介を売っているという市場へ行ってみると、その市場はどうやら場所が変わったようで跡地のみ。
ならば、船から揚がったものを売っているという港の方へ行ってみると、
もう終わっていたのでした。(買うわけじゃないけど見たかった…)
片付けて、家に帰る青年(少年ですね)
そろそろ宿に戻る時間です。
さて、ホテルが見えてきました。ドゥオーモの鐘楼が見えます。
チェックアウトし、お願いしていたタクシーに乗り、駅へ。
水を買いに、スーツケースをペコさんに見てもらって、アリメンターリを探して、またちょっとまちを歩きました。
最後にトラーニの駅を撮りました。けっこうきれいです。

いったん外に出て大聖堂の周りを歩いてみます。
正面の入り口
入り口のアーチを飾る彫刻が美しく、そして細部を見るとそれはそれは楽しくて。
そして、この緑の葉の束は何?
と思って中に入ると、花屋さんたちが来て、結婚式の準備をしてるのでした。
中も、本当に美しい聖堂です。
床の素朴なモザイク
これは、正面の扉のオリジナル
外に出て、だいぶ日が回ってきていたたので(と言ってもまだ横からだけど)
また遠くから撮ってみました。

起きてすぐ、朝食前にすっぴんのまま朝日に映える大聖堂の裏側を見に行きました。
ホテルを出るとすぐそこ。
やっぱりファサードは、朝はダメですね。
完全に逆光。
それでも、美しくてついついあっちもこっちも撮って。
いつまでもこうしてはいられないので、宿に戻って朝ご飯。
部屋からの眺め。
部屋は11時にはチェックアウトしないといけないのだけど、
最後にトイレなども使いたいし、
もしかして早く戻るようなことがあったら少しくつろげるので
それまでキープすることにし、ホテルのレセプションに、
11時にチェックアウトして駅に向かいたいので、
その時間にタクシーを呼んでくれるようお願いしました。
前夜のことを考えると、このまちにタクシーが何台あるのか不安だったので。

改めて大聖堂へ出かけます。
横から中に入ってみました。

この聖堂は、もともと、7世紀にサン・レウチョの聖遺物が祭られていた場所に、
9世紀前半サンタ・マリア聖堂が建てられ、その上に、現在の大聖堂が建てられたのだそうで、
こちらは、サンタ・マリア聖堂の部分です。
そしてこちらが、大聖堂が祀っている聖人サン・ニコーラ・ペッレグリーノの地下礼拝堂
いったん外に出て再び大聖堂の周りを歩いてみたのですが、きょうはひとまずここまで。
もうたくさん同じような写真ばかりと言わず、どうぞ次回もお付き合い下さいね。

イスキアの港から10:40発の船に乗りナポリへ着き、タクシーで駅へ。
この日は8月12日。
イタリアの8月15日は日本のお盆のようなもので、
この日に向けて故郷へ帰る人も多いし、バカンスに出かける人も多いのです。
でもあまりガチガチに予定を決めるのも・・・と思って
この日の移動の切符を、日本からネット予約はしていませんでした。

数日前にカンピーリアの駅で自販機で買ったときには、もうよい時間帯の列車がなくて
イスキアを朝早く発たないといけないものと、
トラーニに着くのが夜になってしまうものしか買えない状態でした。

3人ともトラーニへ移動なら早朝発でもよいのですが、
1人は分かれてローマへ行くのに、一緒に無理させるのも申し訳なく…

迷った挙句、遅い方を購入したのです。
本当は、夕陽に映える大聖堂のファサードを見たかったのですけど。

でも、もしかしたらその後キャンセルが出たかも知れず、
もしお昼の列車に替えられるものなら替えようと窓口の行列に並んでみました。
・・・結果・・・敢え無く撃沈。

ローマに向かい、翌日帰国するリトルさんと最後に駅の近くのお店で昼食を共にしました。
リトルさんを見送った後、私とペコさんはちょっと時間があるので、
バスに乗ってガンブリヌスのカッフェを飲みに行きました。

本当はちょっとじゃなくてだいぶ時間があったのですが、
今回の旅行中、列車の遅れに2度やられているので、

この日は、余裕をもって乗換駅のカゼルタまで移動し、カゼルタ駅のバールでお茶しながら、
日記を書いたり、絵葉書を書いたりしてのんびり過ごし、余裕をもって列車に乗りました。
カゼルタの駅舎がとてもきれいになっていて、美しくて涼しくて、
おまけにナポリほどの人もいないので騒々しい音もなく、危険な雰囲気もなく、快適でした。

ほぼ定刻どおりとは言え、トラーニの駅に着いたのは20:33。
やはり、日は落ちて夕焼けの時間も過ぎています。
タクシーに乗ろうと思ったら、AVの列車が着く時間でもタクシーは来ていなくて
電話で呼ぼうと思ったら、どこにも電話番号が書いてない。
結構バールの近くにカードが貼ってあったりするものなのに。
バールのおにいさんに聞いてみたら、なんと彼は「いつ乗りたいの?」って。
タクシーって、そんなに早くから予約するものなのか?!

結局彼はタクシーの番号なんか知らなくて、歩いても10分ぐらいだよと言う始末。
(こちらはとりあえず地図サイトで調べたものを持っているわけで、2~30分かかるのは知っている)
バールの客の母娘(娘さんは20代後半ぐらいで英語を話す人で、とても親切でした)が、
ホテルに電話して、タクシーを駅によこしてもらうのがいいと言ってくれました。
でも、結局歩くことに。途中で地図を見ていたら、親切なお爺さんが教えてくれて、
途中まではその通りに行き、最後は道の表示(宿はドゥオーモの裏なので)に従いました。
あとで思えば、スーツケースを転がすならお爺さんが教えてくれた道が一番でした。

スーツケースをゴロゴロと転がしながら、賑わう夜のまちを歩いて歩いて。
結局28分かかって宿に着きました。
間近に、ライトアップされたドゥオーモが見えたときは本当に感激でした。

早速ホテルにチェックイン。ホテルは小さいけれども、エレガントな宿です。
ホテルに向かって歩いているときから、音楽とアナウンスと人々のざわめきとが
ものすごい音量となって聞こえていましたが、部屋の窓から港の方を見ると
何やらダンスイベントをやっているようで、まちの人が大勢出てきているようです。
お腹も空いているので早速出かけました。
美しいロマネスクのドゥオーモがライトアップされています。
ああ、夕映えの時間帯前に着きたかった… 返す返すも残念。
写真を撮りながら、絶対にまた来なくちゃと心に誓いました。

ペコさんが、冷静で、ホテルに向かってスーツケースを転がしているときに目をつけていた店がありました。
イタリアではあまり見ない雰囲気のアメリカ風のBirreriaです。
何だか面白そうだったので入ってみました。
日本の居酒屋みたいに、小サイズで値段の安い、いわゆる「つまみ」がたくさんあります。
チキンナゲットみたいのや、ポテト&チーズコロッケ、鶏のスパイシー唐揚げなどを食べてビールをプハッ!
おかわり!
たまにこの手のものを食べるのもいいもですねって感じでした。
ンドゥーヤ(辛いサラミだけどペースト状になっている)を塗って、
その上にトマトとルーコラを載せたブルスケッタです。
これは、ものすご〜く私好み!
辛さとトマトの美味しさが本当にいけます。
ンドゥーヤは、この地方ならではのもの!と思ったら大間違いでした。
同じ南イタリアでも、ンドゥーヤはカラーブリアのもので、
プーリアにはカラーブリアほど辛いものはほとんどないことが後から分かりました。
あんまりンドゥーヤが美味しくて翌日買って帰ろうと探したのですが
どの店にも無かっただけでなく、ンドゥーヤを知らない人もいたのです。

お腹も膨れ、翌朝のドゥオーモ見学を楽しみに眠りに就きました。

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