ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:州別 > バジリカータ州

カステッロの考古学博物館を出ました。
少しずつ暮れて行く時間帯です。
振り返ると、カステッロにクリスマスのイルミネーションのつもりでしょう、ラインの灯りが…
う~ん、無い方がいい… と思いつつカステッロを後にし、部屋に戻りました。
初日に休みだったブラチェリアが20時開店なので、それまで部屋で待つことに。
テレビを見たりネット接続してあれこれして、時間を潰し、20時に出かけました。
まだ1組しか入っていませんでしたが、これが南イタリア時間なのですね。

カジュアルな店です。
テーブルの上のランプが素敵。
向こうのテーブルのも。
お肉だけ食べるつもりだったのに、メニューに
サルシッチャとゴルゴンゾーラとカボチャのカヴァテッリというのを見つけて
味が想像できなくて、食べなくちゃ!と思いオーダーしました。
店内が暗いので、赤く見えますが、実際の色はカボチャ色です。
味はというと、ゴルゴンゾーラとサルシッチャの強い味を、
カボチャがまとめている感じ。
美味し~い!
日本のカボチャのようなほくほく甘いカボチャだとこの感じにはならないのでしょう。
あっという間に食べ終わりました。

セコンドは、肉の炭火焼き盛り合わせ。ブラチェリアですものねえ。
12時の位置から時計回りに、豚肉(肩ロース)、鶏腿肉、サルシッチャ、羊(ラムラック)。
ものすごい量です。
コントルノにひよこ豆をいただいたのですが、これもまたなかなかの量。
パスタも食べたので、さすがにお腹いっぱいになり、豚肉を半分残してしまいました。
ヴィーノも半リットルいただいて、大満足。

部屋に戻って一息ついたころに私のイタリア携帯が鳴りました。
出てみると、声が聞こえません。
私の声も聞こえていないようです。
とりあえず切って電話番号を見たら、アレッサンドラからでした。
出ようとしたら、繋がりません。
またSolo emergenzaになってしまって…
アレッサンドラの家は、端っこにある階段を上って2階なので、
訪ねて行ってみました。

そうしたら、アレッサンドラが入って入ってと招き入れてくれて。
中には、彼女のマンマがいました。
食事はもう終わったと言うと、自家製のリモンチェッロをご馳走してくれて、
3人でおしゃべりしているところに初日に会った妹さんが婚約者を連れて入ってきて、
今度は5人でおしゃべり。
パパが、クリスマスのコンサートの音楽監督をしていて、
今日その打ち合わせをしているときに建物の段差で躓いて転び、鼻を打って大変という報告をアレッサンドラがすると、そこに鼻に絆創膏を貼ったパパが登場。

皆さんでこれから食事だというのでお暇しようとしたら、
あなたも何か食べて行けば、と言ってくださったのですが、
もう食べ終わってお腹いっぱいだとお断りしたら、じゃあ飲み物だけ出すから
もう少しおしゃべりしましょうよということになって、
彼らの食卓でお酒だけいただいて、おしゃべり。

パパの鼻は、みんなが医者に行けというのに、パパは絆創膏を貼ったからもういいと言い、
そんなことしていると明日はもっと腫れるよ、と女性陣が脅し、
パパ、食べすぎはダメよ、今だってサンタクロースみたいなお腹なんだからと笑い、
アレッサンドラは歌が大好きで、歌の動画を撮ってはアップしているのを見せてくれ、
(ここで私と彼女はfacebookの友達になりました。歌を聴いてね、ということで。)
妹さんは漫画が大好きで、日本が大好きでいずれ日本に行きたいと思っていると、
彼女が書いた漫画(絵)を出して見せてくれました。
それから日本のことをいくつか質問され、
彼らは天皇が現役のうちに交代することも知っていて
日本人はそれをどう思っているのか、と訊かれもしました。

結局11時過ぎまで楽しく話しているうちに、
そういえばアレッサンドラの電話は何の用だったの?と思い出して訊くと、
翌日駅まで送るから何時の列車に乗るのか教えてというものでした。
お言葉に甘え、朝の約束をして部屋に戻りました。

翌朝は5時に起きて朝食、シャワー、パッキング。
ゆったりとお茶を飲んでから8時に部屋を出ると、約束通りアレッサンドラが来ていて、
車で駅に向かいました。
部屋に置いてあったアマレーナのジャムが美味しかったと前夜伝えたら、
もっと大きい瓶に入っているものをプレゼントよ、と持ってきてくれていました。
お礼を言い、また訪れる約束をして別れ、次の目的地アンコーナへと発ったのでした。

メルフィのカステッロの続きです。
見終わって、外に出ました。

メルフィのカステッロに向かいます。

だらだらと坂を上って行きます。
小さな広場に、どうしてこのような像があるのか…
ちょっと辺りを見回しましたが、それについて書いてあるものは見つかりません。
今度は長い階段をだらだら上って。
左に曲がると見えてきました。
ここからのまちの眺め。
さあ、入りましょう。
ここは、国立考古学博物館になっています。
チケットはこの門を入り、建物のドアを開けたところで買えましたが、
入り口は横の方でした。
入ってすぐのところにここの一番自慢の、古代ローマの石棺。
けっこう大きくて、長いところが2m以上あります。
メルフィは、フェデリーコ2世が住んだ場所で、
1231年にここで「シチリア法典」を公布したのだそうです。
この城は、ロベルト・イル・グイスカルド・ダルタヴィッラがプーリア公に任命された場所なのだそう。彼は、シチリア王国を建てたオートヴィル家の首領だそうです。
第1回十字軍が宣言された場所でもあり、
フェデリーコ2世も居館としていたそうです。

窓から見える塔が、カステル・デル・モンテに似ていないこともない感じ?
八角形はどこにもありませんけどね。

これも素敵!
残っている部分は、このドラゴンのような部分だけなのですが、
こうした円形の盾につけられていたものだそう。直径が80㎝以上もある大きさです。
これを見るとイメージが湧きますね。
そして兜が面白い!
あまり期待して行かなかったのに、面白いものがたくさんあったので
次回に続きます。

ドゥオーモの裏から少し行くと、わいわいがやがやと子どもや大人の声がして、
こんな人だかりが見えました。
小学校でした。
明日からクリスマス休みに入るので、子どもたちの声はとても弾んでいました。
友達に別れを告げ、家の人とうきうき家路についています。
学校の入り口までは保護者が送り迎えする、というのは当たり前のことなのに、
日本では、いつになっても義務化する動きはありませんね。
生活感があっていいなあ、なんて思っていたら、
全く生活感を感じない建物。
13世紀のサンタ・マリア・ラ・ノーヴァ教会の入り口だけが残っているようです。
別な入り口から出入りして、だれか住んでいるのでしょうか。
近くの公園で、小犬が大きい犬にじゃれていました。
じゃれている様子がかわいくてしばらく見ていたら
(でも動き回るので、まともな写真は撮れなかったのですが)
小犬の飼い主のシニョーラは、
「あの子はとっても気難しくて、他の犬を見ると逃げるのだけど、
あの犬にだけは気を許し、遊んでもらいたくて近づくのよ」と話すのでした。
我が家はもうすぐそこです。
部屋に戻って、昨日のお昼に食べなかったお弁当と
(といっても自分でパンに生ハムを挟んだだけのものですが)
さっき買ったモッツァレッラとビール、
そしてコゼンツァのスーパーで買った真空パックのラーペ・ロッセ(ビーツ)。
昨日と、今日の午前の部でこのまちに来た目的は果たし、
相当満足して少し昼寝をしました。
でも、朝に遠景を見てしまったので、その後はカステッロへと向かったのでした。

部屋の冷蔵庫にモッツァレッラを入れて、すぐにドゥオーモに向かいました。
ドゥオーモの正面の写真を撮らなかったと書きましたが
横からなら1枚だけ撮っていました。
分かりにくいですが、ファサードはこんなことになっていたのです。
奥の白い覆いで囲われているのがファサードです。
中に入りました。
天井
だれもいませんでした。
このキリスト様は、オダギリジョーに似ていますね。
この日は12月23日なので、キリストはまだ生まれていません。
外に出ました。
ここは、何なのでしょう?
イタリアカトリックの活動の一環であることはわかるのだけど。
ファミリーサロンって?

美しい鐘楼。
↑ 真ん中の2つのアーチの真ん中にワイヤーで作られた天使が。
夜になると明かりが灯るのでしょうね。
裏の方へ抜けて、もう少しまち散歩を楽しみます。

目当ての洞窟教会2つ+1つを見て満足してまちまで送ってもらい
広場で降ろされるのだろうと思ったら、
ドゥオーモの近くの市立美術館に連れて行かれました。
ここにも僕たちアルケオクラブが保存してるフレスコ画があるんだよ、と。
16世紀のサン・マルティーノ洞窟から剥がしてこちらに持ってきたものだそうです。
あまりはっきりしてません。
これは、洞窟のイメージが伝わるような展示をしたものだそうで。
17世紀のものだそう。
うーん、あまり好みではありません。
ミケーレさんとヴィットーリオさんは、
明日から始まる展示会の準備をしている仲間と話し始めたので、
他のものもざっと見て回り、
彼らにお礼を言って、外に出ました。

駅の方まで行ってまちの遠景を見ておきたいと思っていたので、
一旦部屋に戻ってトイレを済ませ(こういう時に町中に宿を取ると便利なんですよね)出かけました。
ご近所の魚屋さん。
その隣にはテントの八百屋。
向かいにはハム・チーズ屋。
少し歩くと、まちの一番古い門が見えてきました。
ヴェノジーナ門という名だそうです。
外側から。
城壁の周りは緑地帯になっていて、
この時期ならではの飾りがありました。
笑っちゃうのが、この木。
CASA DI BABBO NATALE(サンタクロースの家)と書かれているのですが、
その裏は、
CASA DELLA BEFANA(ベファーナの家)
ベファーナは1月6日のエピファニアの日に箒に乗ってやってくるおばあさんです。
年が変わると、この木を付け替えるのでしょうか。
15世紀に4㎞にわたって張り巡らされた城壁です。
坂を下って駅の方へと向かい、振り向くとまちがちょっと遠景になりました。
お、水牛の看板。モッツァレッラを作っている店です。
駅に向かう右側には遠くの山が見えます。
駅に着きました。
この時期だからなのか、いつもなのか、駅は無人でした。
バールで切符が買えるか訊いたら、ホームに自動券売機があるよ、とのこと。
明日の移動の切符は、フォッジャからアンコーナまでのICの切符だけ安く購入していますが、ここからフォッジャまでのレジョナーレは安くならないので、ここで購入。
またまちに戻ります。

まちの入り口のセラミックの表示。
裏側。
さっきの水牛の看板の店に入りました。
なかなかの人気店らしく、皆さん6個とか10個とか買っていました。
豆腐屋さんみたいに、大きな桶から網杓子を使ってすくい取り
袋に入れて重さを量って値段を出してから、
今度は網ではない柄杓で桶から袋に水を加えて縛ってレジ袋に入れるのでした。
順番を待って、私はモッツァレッラを1個だけ購入。
ほかのチーズも売っていて、そそられましたが、
ダメダメ、明日の朝は移動じゃないの、と自分をたしなめました。
モッツァレッラを部屋に置いて、すぐに出かけます。
昼休みに入る前にドゥオーモを見に行くのです。
それはまた次回。

車に乗って数分、道端の少し下りたところにある洞窟教会に着きました。
ここは扉はあるものの施錠されていませんでした。
マドンナ・デッレ・スピネッレ洞窟教会という名前です。
サンタ・ルチーアと同様に12世紀のものですが、
ずいぶんと絵の感じが違います。
天井のこの穴には何が付けられていたのでしょう。
お花を供える人がいるのですね。
薔薇が植えてあるのも素敵です。
道に戻ると、この景色。
左端はカステッロです。
旅先からの報告にも載せましたが、さらにズームにしたもの。
車に乗ってまちに戻りました。

朝は、部屋に置いてあったいろいろなものを食べました。
甘いものとヨーグルトとジュースとカッフェ・エ・ラッテ。
はちみつやジャムのところに、自家製のアマレーナのジャムがありました。
アマレーナは、チェリーに似た、でもチェリーより甘くないフルーツなのよ、
とアレッサンドラが言っていました。
前夜いただいた自家製のお菓子も食べました。
サクッとしていて、噛むと中は、ココア味のものが。
9時にドゥオーモ広場で待ち合わせているので、少し前に着くように行きました。
あら?ドゥオーモの正面の写真を撮っていませんでした。
ファサードが修復中だったからだと思います。(撮ったつもりだったんだけどなあ)
鐘楼。
広場の床の模様が素敵。
少し待っていたら、車がやってきて、男性が降りてきました。
彼は私が連絡を取っていたミケーレさん(昨日のミケーレさんとは違う人)ではなく
その友達のヴィットーリオさんでした。
彼の車に乗って、途中でミケーレさんを乗せて、走ることしばし。

山の中で停車。
え?これがサンタ・ルチーア洞窟教会?
洞窟じゃないじゃないの…
でも、入ってみればちょっとした洞窟なのでした。
昨日のサンタ・マルゲリータ洞窟教会が素敵すぎたのです。
規模も、フレスコ画の数も違うし。
でも、ここがこんなにきれいなのは、3年だか4年だか前に修復したからなのだそう。
フレスコ画の数は少なくとも、サンタ・ルチーアのフレスコ画はとても美しいです。
その横の聖母子像。
これは誰なのか、聞きそびれました。
そして、ここも横にはサンタ・ルチーアの物語。
サンタ・ルチーアの顔。
聖母子のアップ。
ミケーレさんとヴィットーリオさんは、アルケオクラブという
古いものの保存クラブのメンバーで、
ここをこんなにきれいに修復できたことをともても誇りに思っているようでした。

周辺はこんな感じ。
洞窟教会の隣には、かつてヴィーノを製造していたというところ。
自力で行くことも叶わない場所、鍵がなければ絶対に入れない場所、
そこに連れて行っていただいて、見せていただいて、本当に幸せでした。
そんな気持ちに浸っている私に、彼らは「もう一つ見る?というのでした。(続く)

さて、洞窟教会から戻り、荷物を広げる前に部屋写真を撮りました。
メルフィの最初に載せた写真はこのときに撮ったものなのです。
それからカッフェを淹れて一息つこうと思ったら、
あらまあ!カッフェティエラにコーヒー豆がもう入れてあります。
一瞬片付け忘れ?と思ったけど、下のパーツにはきれいな水が入っています。
よく見ると冷蔵庫の上にこんなメッセージが。
「カッフェティエラは、使用の準備ができています。よい1日を。アレッサンドラ」
翌日も外出から戻ると掃除がしてあり、カッフェティエラの準備ができていました。

この後、明日の洞窟教会を見せてもらうための確認の電話をしたのですが、
私のイタリア携帯が使えず(なぜか時々solo emergenza=緊急時のみの表示)
こことは、日本からメールで連絡を取っていたので、とりあえずメールを送ってみました。
メルフィに着いていること、携帯電話が使えないこと、
待ち合わせの時間と場所を知らせてほしい旨を書いて。

そうしたら、1時間もしないで返信が来ました。
これで明日の見学も安心。
しばらく部屋でテレビを見たり、PCを開いたりして休みました。
19時に携帯電話が鳴りました。(このときは、使えたのです!)
大家のアレッサンドラからでした。
今部屋にいるなら地図(チェックイン時に彼女がくれたもの)を持って家の前に出てこられる?という呼び出しです。
出て行くと、
「これを作ったの。この地方でクリスマスに焼くお菓子なのよ。」と言って
これをラップをかけて持ってきてくれたのでした。
そして、今夜の食事のお薦めどころを地図にマークしながら教えてくれるのでした。
せっかくだから、美味しくて感じがよくて高くない店で食べて欲しいもの、って。

スリムな体にコートを纏い、毛糸の帽子を被って、鼻の先を赤くしながら、
「ぐら姐、あなたは帽子も手袋もなしに寒くないの?本当にこの冬は寒いわ!」
と言いながら、丁寧に教えてくれたのでした。

このときのイタリアには、寒波が居座っていたのです。
(私はと言えば、このときも、そして今も手袋は必要を感じないし、
帽子も被っていません。寒さには強いのです。)

お礼を言って一旦部屋に戻り、出かける支度をして、
教えてもらった中では一番遠い(と言っても歩いて十分)
けれども彼女がいちばん感じがいいといった店まで行くことにしました。

外は、もう真っ暗。
この店です。
店の名前OASIは全然目立たなくて、Trattoriaだけが明るく見えています。
中に入ると暖炉の火が元気よく燃えて、暖かい店内でした。
親父さんが、すごくいい感じです。
お客さんもいい雰囲気で、
一人で食事をしている私に隣のテーブルの人が話しかけてくれました。

カルドンチェッリ(プーリアなどで見る茸)の手打ちカヴァテッリ。
店内が暗いので写真写りはよくありませんが、茸の味がよく出て、
パスタの歯ごたえも気持ちがよくて、とても美味しいパスタでした。
お昼のお店もそうでしたが、ここでもペペロンチーノを別に出してくれました。
カラーブラリア同様にバジリカータも辛い物好きのようです。
私も辛い物好きなので、これをかけたら、さらに美味しくなりました。

セコンドは、仔牛のステーキ。
見た目は大きくないけど、結構な厚さがあり、焼き加減が抜群!
ああ、この写真では伝わりませんね…
この旅行で食べたお肉の中で一番といっていいぐらい美味しかったです。

ドルチェもいただきました。
ピスタチオのセミフレッドです。もちろん自家製。
これとヴィーノ2杯、水で23€!
紹介してもらって本当によかったと思える店でした。

Chiesa Rupestre di Santa Margherita(サンタ・マルゲリータ洞窟教会)を見るには、
メルフィの観光協会のサイトにある番号に電話して、

予約しなければいけません。
2、3日前に電話してその日は都合が悪いと言われては元も子もないので、
3週間ほど前に電話予約していました。
(我が家は、家の電話をなしにして携帯オンリーにしたので、
日本からだと高くつきそうで、ボローニャの友人に電話してもらいました。)
その段階で、この日、12月22日午後3時、ドゥオーモ広場で待ち合わせしました。
そしてこの日確認の電話を入れたら、約束の相手リナさんが出て、
「ああ、今日だったわね。私はちょっと都合ができたので、
夫を代わりに行かせます。大丈夫よ。」と言ってくださいました。

3時にドゥオーモ広場へ行くと、約束通り男性が待ってくれていて
リナの夫のミケーレですと挨拶してくださいました。
すぐにミケーレさんの車で洞窟教会へと向かいました。
町からは外れますが、それほど遠いところではありません。
水道か何かの施設の駐車場に車を停めて降り、
こんなところを下って行きました。
なんと道路の下です。
30年ほど前まではこの道はなかったんだけどねえ、と話していました。
いよいよ、中に入りました。
ミケーレさんが灯りを点けに行きました。
さて、その場でお話を聞いていたのに、もういっぱい忘れています。
バジリカータには、13世紀に異教徒として追放されたキリスト教徒たちが、
こうして洞窟教会を作ったのだと聞いたような気がするのですが。
(話はもっと複雑でした…)

「生者と死者の出会い」
生者と死者を同画面に描いた珍しいものだそう。
生者は、フェデリーコ2世と3番目の奥さん、そして子どもだそうです。
フェデリーコは、髭もじゃの顔で描かれることが多いけど
(参考写真は、私が夏にカステルデルモンテで撮ったものです)
この絵のフェデリーコが、一番本人に似ている顔なんだよ、と言っていました。
ほんとかどうかは分かりませんけど。

この日私に対応してくれるはずだったリナさんは、
お姉さんが病気で、遠くまでお見舞いに行くことになり、
それで代わりにミケーレさんが来てくださったのだそうで
実はそのリナさんが、この教会や、この辺りの洞窟教会の研究をしていて、
この教会の美しい写真を載せた小冊子も作っているんだよ、とミケーレさんが言い、
見せてもらったら、小ぶりで、良質の紙に印刷してあって綺麗だったので
10エウロ奮発して買ったのです。
入場料が8エウロで、計18エウロだったので20エウロ渡し、
お釣りを出そうとするミケーレさんに、
お釣りはいらないわ、ガソリン代の一部にして、と言ったら、
「いや、後でカフェを1杯いただくよ。あなたの健康を祈ってね。」ですって。

脱線しました。
その本に洞窟教会の見取り図が載っていたので、写真を撮りました。
1つの広い空間ではなく、こんな風に内部にいくつもの礼拝堂と言うかクリプタと言うかがあるのです。
「生者と死者の出会い」は、入ってすぐ左のサン・ミケーレのクリプタの
右横の壁にありました。
こちらがサン・ミケーレのクリプタの正面。
左横の方にもサン・ミケーレ。
こちらの方がはっきりしています。
以下に写真のみを載せます。
正面祭壇。

その横の、サンタ・マルゲリータの物語。(裾絵のような感じですね)
サン・ロレンツォの殉教。
サン・ロレンツォは火炙りにされたそうで、
この聖人の日、8月10日前後には、流れ星がたくさん見られます。

正面祭壇の上には、若き日の髭なしのキリストと、その後の髭ありのキリストが。
この磔刑は、十字ではなく、Y字なのだそう。
ここの写真はまだあるのですが、旅報告が終わって、
時間がたっぷりある時にまた載せますね。

この空間も解説も独り占めで見られたのは本当に幸せでした。
ミケーレさんが、灯りを消し、鍵をかけている間に、
外の様子を撮りました。
ミケーレさんの車で、B&Bの近くまで送ってもらいました。

↑このページのトップヘ