ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ: ジャンル別

’15年9月のの美しい村巡りのときに行きました。
広場とも言えないような小さな広場で車を止めて、
フランコも一緒に歩いてくれました。

山間の村で、車道はあっという間に村を通り抜けます。
その車道の上下の斜面に住宅が張り付いているのでした。
車の入れない斜面の細い道を上って行きました。

私がこれまで見てきた「美しい村々」の中では、
ここがいちばん、これから美しくなるのだろうなあ、という感じです。
ぎりぎりラインで「美しい村々」に登録が叶って、
その名に相応しいように、今あちこちで修復を進めているような印象でした。
その後9年経っているので、今はもっと整えられているかも知れません。

このワンコ、家の前から助走をつけて前足でドアを叩き、開けて!とノックをしているところです。
何度も何度も。

なかなか家の主はドアを開けてくれません。
見かねたフランコが家のブザーを押すとこの家のシニョーラが出てきました。

フランコが、何度もノックしてたから僕が手伝ってあげたんだよと言うと、
シニョーラは、全くねえ、この子はうちの子じゃないのよ、ですって。
このワンコ、シニョーラにえさをもらうと、どこかに行ってしまったのでした。

この辺りは、ちょっといい雰囲気でした。












美しい村巡りの時に行きました。
これも’13年の時と’15年の時と2度です。

とても小さなまちで、入るとすぐの教会と噴水

家々の番地が、焼き物で作られているのがとても素敵でした。









まちの入り口のところには、



2度目の時に遅い昼時に着いたら、食事をできる店がもう閉まっていて、バールでお腹を満たしました。

この時は、パチェントロが最後で、ここに着いたところでフランコと別れたので
(この時は、ここは回るコースに入れていなかったのに、無理にお願いして連れてきてもらって帰りはバスで帰ることにしていたのです)
でもバスの時間までは数時間あって、とてもいい天気だったので、スルモーナのまちまで10㎞歩くことにしました。
その写真もついでに載せます。










'13年夏、私が最初に出発してその翌日にペコさん、その5日後にイプさんが飛んできて3人揃ったらシチリアに向かうことになっていました。
私は1泊だけカンポバッソに行ってローマに戻り、ペコさんと2人でスルモーナ、その後テルモリを訪れてローマに戻ったのでした。

スルモーナを選んだのは、「イタリア好き」という小冊子でこのまちのお店が美味しそうで感じがよさそうだったから。
2泊してからテルモリに向かうことにしたのです。

それだけの理由で行ったのに、午後到着して宿に向かう途中で中世の衣装の行列に出くわしたのです。
しかも行列を見ようと待機している人たちの前を荷物を引きながら歩いているときに少し先のところからパレードが始まって動けなくなったので、絶妙な場所で見学することができて。



こんな感じの行列の写真をアスコリ・ピチェーノのジョストラを見に行った時に載せたので、祭りの写真はこのぐらいにしておきます。

そしてお宿が思いのほか素敵で、朝食は屋上でいただけるのでした。
しかも超充実の内容で。







まちの様子



ドゥオーモ

このまちは、第二次世界大戦で壊滅的に破壊され、まちの人々ができるだけ元通りの町並みを、と再建したのだそうです。
ですから古いものはあまり見られません。

コンフェッティ(砂糖でコーティングしたアーモンドのお菓子)がまちの名産品です。
コンフェッティは白いのですが、カラーセロファンでぴったり包んでお花などにまとめてお土産屋さんで売られていました。













コンフェッティの工場見学もしました。





目当ての店には’13年の時も’15年の時も行きました。









お料理の写真ももっとあるのですが、このぐらいにしておきます。
ここは見どころがあるわけではありませんが、居心地のよいまちでした。

やはりここも「イタリアの最も美しい村々」の1つ。
切妻屋根が一列に並ぶまち並みが独特の美しい集落です。
1900年代初頭、カート・ヒルシャーというポーランド人の写真家やマウリッツ・エッシャーというオランダ人画家の作品によって注目されるようになったそうです。

まちが見えてきたときに、おおーっと声を上げたら、フランコが降りて写真撮る?と停まってくれました。



それからまた車に乗ってまちの入り口まで行って降ろしてもらい、ペコさんと2人で足の向くままにまち歩き。



普通のまちっぽい感じから、独特な雰囲気のまち並みへと変わって行きます。



















ここからは、’15年に行った時のものです。

↑の写真の像は、この地方の特徴的な衣装の女性の像。

写真と解説がつけられていました。



ずっと歩いていても飽きない、泊まって夕方散歩や早朝散歩をしたくなるまちでした。

昨日の続き、集落の方の写真を載せます。
まちが斜面を上るように続いています。
フランコが、僕は先回りして上の方で待ってるよと言ってくれたのですが、
上まで連れて行ってもらって、まちを見ながら下って一番下のところで待ってもらった方が楽チンなので、ひとまず上のまち外れの方まで載せてもらって車を降りました。





長閑な、なんということもない田舎の小さな小さな集落。
歩いていると心がふんわりリラックスできる感じ。



はるか下にさっき見てきた湖が見えます。







だいぶ降りてきました。

教会が見えてきました。



中は、どうということもなく。

階段を下りて車に向かいます。

見上げてみました。

トイレ休憩を兼ねてバールに立ち寄りました。

もっと下の方には市が立っていました。



振り返ってみると、写真を撮りながら歩いてきたときよりまちが大きく見えました。

ここも、アンヴェルサ・デッリ・アブルッツィと同様「イタリアの最も美しい村々」巡り1日遠足で訪れました。
実は、アブルッツォの村巡りは2度行っています。
初回が’13年夏にペコさんと、’15年の9月はなおさんと。
’13年の時は宿の主が来るまで案内してくれるフランコを紹介してくれて、’15年の時もフランコにお願いしました。
(同じ宿に泊まりたかったけれど満室だったので、宿は別のことろでした)

2度目の時の方が、ちょっとわがままを言ってあちこちに寄ってもらいました。
ヴィッラ・ラーゴの集落の手前にあるダム湖にも寄ってもらいました。

サジッタリオ(射手・射手座)という名前の川にあるサン・ドメニコ湖です。
天気が良いので、湖の景色もきれいです。
下りて少し歩きました。

この橋の右側にある湖のその先にダムの堰があります。

湖の名になっているサン・ドメニコと関係があるのでしょう、こんなものが。

少し黄葉していました。



教会がありました。多分、名前はサン・ドメニコ教会でしょう。
入り口付近にサン・ドメニコの奇跡の物語の絵が描かれていました。



お天気が良くて気持ちの良い水辺でした。

ヴィッラ・ラーゴの集落のことはまた次回。

アブルッツォでこれまでに訪れたまちは、

1.アンヴェルサ・デッリ・アブルッツィ
2.ヴィッラ・ラーゴ
3.スカンノ
4.スルモーナ
5.パチェントロ
6.ブニャーラ
7.ペスカーラ
8.ペスココスタンツォ
9.モンテジルヴァーノ

です。
州都は、ラクイラなのですが、まだ訪れたことはありません。
行こうかなと思っていたタイミングで大きな地震がきて甚大な被害を受けたとのことで。
日本とイタリアって共通点がいくつもあると思うのですが、地震が多いのもその1つですね。
もう少しラクイラには行かない方がいいのかなと思っています。
ということで、州都の写真をちらりと載せようと思っても無いので、

1.アンヴェルサ・デッリ・アブルッツィを早速始めます。
’15年秋に弾丸でスルモーナに行った時に、1日車をお願いして近隣の「イタリアの最も美しい村々」に選ばれているところをいくつか巡ってもらった時に立ち寄りました。

これは、まちの中をぶらぶら歩いて見た後に次のまちに向かう時に全体が見えたので、車を止めてもらって撮ったものです。

まちに入ってじきに、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があります。

中には入れませんでした。

道路沿いにぶらぶら歩きました。
ここには、フランコ(ドライバー)の友人がいて話し始めていたので、
私たち2人で、足の向くままに歩きました。



ベランダの老シニョーラ。隣の建物のベランダのシニョーラとお話していました。
通りがうるさくないので、大声で話さなくても会話が通じるのでした。
見上げたらこちらに微笑んでくださったので、ご挨拶をして。



この一角、イタリア映画祭で見た「これが私の人生設計」の最後の方で、主人公の女性設計士が、恋人を連れて故郷の山村に行き、母と伯母の用意した料理に舌鼓を打つ場面で出てきました。
スクリーンに出てきたときに、あっ、ここ知ってる!って思わず声を出しそうになりました。















車の道から路地に入り、ゆるゆると上り、別のろじをゆるゆると下って車に戻ります。



シニョーラが外の椅子に腰かけて編み物をしていました。
このシニョーラも、Buongiornoと挨拶をしてくれました。
写真を撮ってもいいですか、と訊いたら快く承知してくれました。

何を編んでいるのか訊いたら、ストールを編んでいるのよ、と見せてくれました。
お年寄りが、幸せに暮らしているようで、この村はいいところだと感じました。

歩いている間中、「イタリア 小さな村の物語」のテーマソングが頭の中でずっと響いていました。

ポテンツァは、サン・デメトリオからメルフィに行くのに、万が一予定の列車に乗り損ねたり、列車が遅れたりすると一気にメルフィまで行くのはかなりきついと思い、1泊することに決めた、バジリカータ州の州都です。

全然下調べをしていなくて、駅に降り立って、びっくり。
まちまで離れていることは覚悟していましたが、目の前がいきなり高くなっていて、宿まで歩こうなんて気持ちは一気に消え失せました。

エディコラのオニイサンにチェントロにはどうやって行けるか訊いてみました。
「あそこのバス停からバスがあるよ、次は...18:05発だよ。」と言われて時計を見ると17:06!
1時間待たないといけないのはいやなので、タクシーの電話番号を教えてもらおうと思ったら、呼んでくれました。
イタリアでは、こういう時に親切な人が多くて有難いです。(あ、日本もですね)

ドライバーのお爺ちゃんが、「ホテルの前の通りは今補修中でね。すぐ近くまでは行ってあげられるから、心配はいらないよ。」と言います。
そして途中で宿に電話して、「今お宅に向かう客を乗せているから、〇〇広場の方まで迎えに出てくれ。」というのです。
お爺ちゃんは、ちょっと足が悪いのに、広場の手前に車を停めると、私の荷物を転がして、広場の向こう側まで案内してくれました。
そして細い通りを指さして、ほら宿の人が出てきているのが見えるだろ、あそこだよ」って。

部屋に入って一息ついてから、ホテルの人にお薦めの店を訊いて食事のために出かけました。
夜のまち歩き。



ナターレの時期だったので、イルミネーションがきれいでした。







翌朝の駅までの散歩は、州別シリーズを終えた後の州都シリーズで載せますね。

'17年冬、カラーブリアのあのぐるぐるヘビの教会を見た後に行きました。
そう、ここでも観たいものがあったのです。
Chiesa Rupestre di Santa Margherita(サンタ・マルゲリータ洞窟教会)です。

この教会を見るには、メルフィの観光協会のサイトにある番号に電話して予約しなければいけません。
2、3日前に電話してその日は都合が悪いと言われては元も子もないので、3週間ほど前に電話予約していました。

3時にドゥオーモ広場へ行くと、約束通り待ってくれていてすぐに車で出発しました。
町からは外れますが、それほど遠いところではありません。
水道か何かの施設の駐車場に車を停めて降り、
こんなところを下って行きました。

錠前を開けて中に入りました。
バジリカータには、13世紀に異教徒として追放されたキリスト教徒たちが、
こうして洞窟教会を作ったのだと聞いたような気がします。
(話はもっと複雑でした...)

「生者と死者の出会い」

生者と死者を同画面に描いた珍しいものだそう。
生者は、フェデリーコ2世と3番目の奥さん、そして子どもだそうです。
フェデリーコは、髭もじゃの顔で描かれることが多いけど
この絵のフェデリーコが、一番本人に似ている顔なんだよ、と言っていました。

「生者と死者の出会い」は、入ってすぐ左のサン・ミケーレのクリプタの
右横の壁にありました。
こちらがサン・ミケーレのクリプタの正面。

左横の方にもサン・ミケーレ。
こちらの方がはっきりしています。

正面祭壇。
そのほかにもいろいろな場面のフレスコ画がありました。
この空間も解説も独り占めで見られたのは本当に幸せでした。

翌日は、また別な方にサンタ・ルチーア洞窟教会を案内していただきました。







ここを見るために車を停めたところからのまちの眺め。



ドゥオーモ



カステッロもありました。

中は、ムゼオになっています。



まち歩き













食事の店も美味しくて、全然高くなくて、居心地のよいまちでした。

’04年にポリニャーノ・ア・マーレに2泊+3泊で滞在し、その中日にポリニャーノのホテルに荷物を預け、1泊分の荷物を持ってアルベロベッロとマテーラに行ったのが最初です。
アルベロベッロは立ち寄り、マテーラは宿泊しようと思ったのは、夕に夜に朝に見て素敵なまちだろうと思ったからです。

’18年夏に再訪しました。
このときは、前回の反省を踏まえて観る順番を決めました。

まず’04年の時の写真を載せます。(もうこの頃はデジカメを使用していましたが、カードの容量が大きくなかったので今ほど取り放題ではなかったです)自分が写っていない写真もたくさん撮りました。







歩いているうちにサッシ群を谷越しに見られるビューポイントがあり、谷越しの向こうからこちらを見たら面白いのでは?と思いつき、タクシーの運転手に話して行ってもらったら、予想通りの眺めだったのです。
ただ、訪れたのが午後だったため、逆光で美しさも中くらいなりという感じだったのが心残りでした。


夕暮れのサッシ

夜のサッシ

ここからは’18年に行った時の写真を載せます。
初めて行った頃にはまったく知らなかった、「原罪のクリプタ」と言うのがあることを知り、是非とも見たいと思ったのでした。


原罪のクリプタとは、山の中の洞窟礼拝堂で、8世紀から9世紀に絵が描かれ、礼拝堂として使われていたのだそう。
発見されたのは1900年代に入ってからとのことで、つくられた当時のものがそのまま残っているのです。
予約制でのガイデッドツアーのみで公開しているとのことで、日本から予約して行きました。

タクシー(こことその前に行きたいところがあったので、事前に連絡を取って予約していました)で受け付けの建物まで行って、予約確認。
案内の人の車の後について、私たちも再びタクシーに乗り込んで5分ほどだったでしょうか、え?こんなところに?というような山道の途中で車は止まり、そこからはこんな道を下りて行きました。

ちゃんと扉が付けられ、施錠されています。

中は薄暗く、一人ずつあなたはここへ、と腰掛ける場所(岩の上)を指定されて
全員座ると、まずはアナウンスが流れます。
そしてフレスコ画の一つ一つが順に灯りで照らされ、説明がなされます。
分からないところがいっぱいでしたが、事前にモモ先生の本で読んでいたので
ある程度は理解ができました。

中は撮影禁止なので、写真は1枚もありません。
これは公式サイトから拝借した写真

素晴らしいかったです。
くっきりと1本ずつの線が残り、聖母子の顔もはっきりと分かります。
そして赤い花の色も鮮明に残り、全体を素朴で可愛い感じにまとめ上げています。

他のフレスコ画もいくつもあって、それが暗い中でひとうひとつ浮き上がるのでとても印象的でした。

一通りの"ショー"が終わると、実はここは半洞窟で、開いている方にシャッターが取り付けられていて、それが上げられると自然光がふわーっと入ってきました。
直射日光は入らず、それでも明るくなったのでそのままのものを近寄って見ることができました。



原罪のクリプタの前に行ったのが、初めの方で書いた谷越しにサッシを見られるビューポイントです。
’04年の時に学習していたので、まずは朝のうちにこちらを見ておきたいと思ったのは大正解でした。
これから行かれる方、そこはBelvedere di Murgia Timone(ムルジア・ティモーネ)と言うところなので、是非午前中にどうぞ)





ね、午後は逆光になるので、ここに行くなら絶対に午前中ですよ。

マテーラは、教会などの観光も、まち歩きも楽しめました。
以前のブログに詳しく載せているので、よろしかったら検索して見てみてください。
最後に早朝のサッシ群を眺めに行った時の写真を載せます。




↑このページのトップヘ