ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

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自分でも、そこどこ?というか、ゴルゴンゾーラ工場に連れて行ってもらったなあ...あれはどこだったのかしら...と調べて、そこがカヴァリエットというまちだと分かったのでした。

'07年3月のことです。
カネッリの馴染みのアグリトゥーリズモに滞在中に、滞在客がその工場を観に行くけど一緒に行く?とアグリのご主人と滞在中の私とKちゃんに声をかけてくれて、みんなで出かけたのです。

その女性と言うのが、イタリア人だけど少女の頃に家族で南アフリカに移住して、イタリアンレストランを経営している方で、
南アのイタリア料理界の重鎮になっているようで、店は子どもの世代に任せ、南アでイタリアのチーズを作ることにチャレンジしようとしていて、その研究の一環として工場に連絡を取り見学させてもらえることになっていたのです。
カネッリからはだいぶ北の方に有り、すごく早起きして出かけました。

8時半頃にゴルゴンゾーラ工場に到着。既に、ミルクを運ぶ車は着き、ほとんど工場内に入れ終わったようでした。ちゃんと、専用車です。

ロンバルディア州とピエモンテ州、ヴェネト州にまたがる限定された地域で産する牛乳から作らないと、ゴルゴンゾーラと呼んではいけないそうで、世界のあちこちで、同じ製法で作って、ゴルゴンなんちゃらという名称をつけることも違法なのだ、というようなお話をお聞きした後、靴にビニールのカバーをつけて、工場の中に入りました。

さすが、食品工場。清潔で、余計なものは何もありません。

この後のことはこちらで報告しているので、興味のある方はご覧くさい。
https://www.beach.jp/circleboard/ac48590/topic/1100048827196?sortList%5BsortType%5D=2

↑に載せなかった写真を少し載せます。
皆黙々と自分の仕事に励んでいるのが印象的でした。


かなりの重さのものを持ったり運んだりするのでなかなかの重労働だと思いました。

女性もいました。



熟成庫です。
すごい量! ゴルゴンゾーラ独特のカビとチーズの混じった匂いがします。
(大好きなので、口内に唾液が溢れて)

熟成を終えるとこのサイズで出荷するので

こんな器具でカットしていました。



見学した私たちこの大きな包みを1人に1つプレゼントしてくださいました!
そしてもう1ついただいたゴルゴンゾーラ用のナイフ。

今でも持っているのですが、日本で買うのはもっともっと小さいサイズなので、なかなか使う機会がないのが残念です。

アンドーラよりもさらに西の海辺にあります。
’07年3月に行きました。

ここは、素敵な街だと聞いていたのですが、
何よりも、同行の友人が、オリーブの博物館があることを見つけ、行くことになったのです。
カネッリのアグリトゥーリズモ滞在中に車で連れて行ってもらいました。

そういうわけで、まちの写真と言うよりは、オリーブ博物館のことばかりになってしまいます。

Fratelli Carliというオリーブオイルなどを作っている大きな会社が設置しているものです。



建物を入ってすぐのところにあるステンドグラスです。

オリーブは、もともと地中海の東、トルコの東南からアフリカの東北沿岸にかけて、ごく一部の地域に自生していたと考えられているそうです。
すでに6000年前のクレタ、キプロス、シリアで盛んにオリーブオイルが生産されていたことが記録に残っているのだとか。
フェニキア人が、地中海の東部で始まったオリーブ栽培を西へ伝え、ギリシャ本土・ゴール地方(現在の南フランス)・イタリア半島からシチリア・南スペインへと伝えられたのだそうです。

そのような流れが、文章や、モザイク、当時の船への積み込みの様子などの展示から理解できるようにしてありました。









外には立派な幹のオリーブの木

ちなみに、最近知ったことなのですが、オリーブはギリシャにオリーブ栽培が伝わった時に、ギリシャ人が品種を改良し(紀元前のことなのです!びっくりですね)、実が大きく油がたくさん搾れる種に改良というか接ぎ木の方法を見出して、それが古代ローマにも伝わったのだそうです。

まちの様子はほとんど撮っていませんが、少しだけ。

'02の夏、ヴェネツィア発でクレモナまで1週間かけて行くポー川クルーズの時に立ち寄りました。
でも、写真がありません。
この年の夏の写真のネガはデータ化したのにそれでもありません。
多分3時間かそこらの停泊で、まちまで結構歩いて、
途中でマンダリーナ・ダック(旅行用のバッグ等の店)を見つけて入り、
船に戻って終わりだったのだと思います。
それにしても1枚や2枚は撮った気になっていたのにありません。

写真は無いのですが、機会があれば行きたいまちの一つなので、少し書きます。
キオッジャは、ヴェネツィアのあるラグーナの南端に位置します。

イタリア国内でも屈指の漁港の町で、
アドリア海沿岸では最大といわれていているそうです。
ヴェネツィアの魚介料理はここで水揚げされたものを主に使っていて、
ここからイタリア北部の多くの町にも運ばれていくのだそうです。

ここが気になるのは、何年か前に観た映画「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」を見たからです。
(キオッジャは小さなヴェニスと言われているそうで)
内容もとても良かったのですが、映像がとても美しくて、
一人静かに歩いてみたいと思ったのです。

まち歩きを楽しみ、魚介の料理をヴェネツィアよりお得なお値段で食べられたら素晴らしいだろうなあと思います。

'02年のクルーズのときは、時間があるからちょっと歩こうかと言う感じで
Tシャツ、ハーフパンツ、ビーサンという出で立ち。
マンダリーナ・ダックを見つけて入りはしたものの、
買う気のない冷やかしの客だろうと思われたのでしょう。
たいして相手にしてもらえませんでした。
そうですよねえ。視線を落とせばビーサンですもの。
「足元を見る」という言葉が浮かんできて、ああ恥ずかしい、
食事の時だけでなく、買い物をするときもそれなりの服装をしよう、
特に靴は大事、と思ったのでした。
実際にはセール品に気に入ったものがあって、2点も買ってしまったのですが、
本当に恥ずかしい思いをしました。
店の人に、日本人が皆こんなだと思わいねでね...と心の中で言いました。

写真がゼロと言うのは寂しいのでこの時のヴェネツィアの写真を少し載せます。

旅報告の時に、ルッカのドゥオーモのサン・マルティーノ騎馬像が外と中にあり、
外のはレプリカで中にあるのが本物だということで本物の方の写真を載せました。
今日は外のと中のを比べてみたいと思います。
どうでしょうか。
縦並びにしてあるので比較しづらいですが、
微妙に違って見えるのは、見上げる角度などが違っているからかもしれませんね。

レプリカを飾っているところというと、
カピトリーノ広場の中央にある「マルクス・アウレリウス・アントニヌスの騎馬像」が思い浮かびます。
あまり近づけないようになっていて、間近で見ることはできません。
台の高さもありますしね。
本物はカピトリーニ美術館の中で、台には乗っているものの
囲いがなくて間近で見られます。
かなりな大きさで、迫力があります。
本物は、風雨にさらされて傷むことのない場所に設置し、
でも、本来あった場所や、広場の中心に据えて
建物や広場をより素晴らしく見せるためにレプリカを置くというのもいいものだなあと思います。
レプリカがいつつくられたものだか知りませんが、本当に精巧にできていますよね。

完成したトルテッローニは、セージバターを絡めていただきます。
フライパンにバターを溶かして、菜園からセージを摘んできて加え、
香りが出たら、トルテッローニを絡めます。
初めは2個入れましたが、たくさんあったので、あとでお替りもしました。
もちろん、ヴィーノとともに。
プリモを仕上ている途中で、コントルノ(付け合わせ)ペペロナータの準備をし、
ナスを焼きました。
プリモを食べ終わってから、トマトを入れてペペロナータを完成させ、
セコンドの鶏腿肉を焼きます。
小麦粉にさまざまな色のペッパーを混ぜてまぶし、それをフライパンで焼きました。
完成して、盛り付けした皿。
どれもどっさりあったので、お替りして満腹になりました。

が、このあとズッパイングレーゼを作って、いただき
上から見たところ。
〆に、ラッラのお手製のリモンチェッロをいただきました。
気が付けば17時過ぎから始まった料理教室も、すでに22時半です。
タクシーを呼んでもらおうとしたら、混み合っているようで、無理。

そうしたら、ラッラと今日の生徒のうち2名に車があるということで
分乗して、駅まで送ってくれることになりました。
私たち3人はラッラの車で、駅まで楽しいおしゃべりをしながら帰ったのでした。

学校3日目、学校の催し物は、午後はなしで、夕方5時から料理教室がありました。
もちろん、申し込みをして出かけました。

郊外にある、先生の自宅で行われるので、
クラスメート2人とともにバスで行くことにして、バス停で待ち合わせ。

3人とも約束の時間までにちゃんと集まったのに、バスが待てども待てども来ません。
さすがに、20分も来ないのはおかしいでしょ、といことでバス停のあちこちを見てみたら、
小さな紙に、この日「このバス停は工事のため使用せず」だそうで・・・
ああ、やっぱりイタリア!
もうちょっと目立つ表示をしてくれてもよさそうなものなのに。

仕方なく、タクシーで行きました。
代替のバス停が書いてあったのですが、
つぎのバスでは、間に合わないかもしれなかったので。

先生のラッラは、パワフルなオバチャンです。
ご主人を病気で亡くし、娘さんは嫁いですぐ近所に住み、
息子さんは遠くでリストランテをやっていて、独り暮らしなのだそう。
でも、かつてはリストランテで働き、
今は、結婚式のパーティーなどがあれば呼ばれて作りに行き、
市長の料理人としてもう十数年働いているバリバリのオバチャンで、
家も、ちょっとしたパーティーが開けるような大きな家です。
学校の生徒が6人、かつての生徒で、アレッツォに住んでいる女性とその友人、
仕事でイタリアに来ていて、ラッラの教室があるときくと必ず参加するという
料理大好きなドイツ人の女性、合計9人で行われました。

料理を始める前に、ラッラがみんなにアペリティーヴォを注ぎ、
用意してあったストゥッツィキーニ(つまみ)をすすめてくれました。
ちゃんと開始時刻にあわせて作っているようで、温かい!
その後、全員用意されたエプロンを着用し、
パスタ作りをしました。
ラッラの飼い猫。
なかなかの別嬪さんですね。
でも料理教室が始まるので、外に出されてしまいました。

レシピを渡され、皆が順番に読まされます。
ラッラはイタリア語教室の方から、ちゃんと全部イタリア語でやるように頼まれているそうで
レシピの読み方も、おかしいところは全部直してくれました。
それから調理器具の名前も教えてくれました。

まずは、パスタの手打ち。
全員にちゃんと手打ちさせてくれるのが素晴らしいです。
(デモンストレーションの見るだけというのも多いですからね。)

粉の真ん中に窪みを作って、卵を割りいれ、最初はフォークで
卵を崩しながら粉と混ぜていきます。
あらかた混ざったら、手で捏ねて。
ようく捏ねたら、最後に丸めて、ラップを掛けて冷蔵庫で寝かせます。
待っていられないので、
ラッラが事前に捏ねて寝かせておいたものを使って続きをやしました。
(みんなが捏ねたものは、寝かせた後に冷凍して次に使用するそうです)

次は、トルテッローニの中に入れる具を作ります。
買ってきたリコッタを、さらに数時間水を切って使います。
この量!
ほうれん草を茹でて刻みます。
リコッタとほうれん草とその他の調味料と混ぜます。
味見させてもらいました。
ああ、これだけで十分に美味しい・・・

パスタ生地を麵棒で軽く伸ばして、
それから機械で何回か伸ばして、
作った中身を生地に乗せて、もう1枚生地をかぶせ、
空気が入らないように手で押さえてから、
ぎざぎざカッターで切っていきます。
多少形は悪くても、空気が入らないようにしっかりと押さえてあれば大丈夫、
と言われて、どんどんやる人、それでも形にこだわって丁寧にやる人、
ここらで性格が分かってきますね。
残った生地は、麵棒で伸ばして、
パッパルデッレだの、フェットゥチーニだの、カペッリーニだの、マルタリアータだの
いろいろな太さや形に切りました。
つづく。

朝5時に起きて宿題をやり、8時15分に家を出て、8時半に学校のビルにあるバールへ。
ここでカップッチーノを1杯いただきながら、持参のノートPCでメールチェックをしたり、
このサークルにちょこっと書き込みをしたり。
9時からレッスン。

この日は、授業中ににわか雨が降り、
先生が、ほんとに去年、今年とイタリアの天候はおかしいのよ、
5月なんて本当に好天続きの爽やかな時期なのに、
このところ不安定で、時々雨は降るは、寒いは・・・と話していました。
私は、部屋のベランダからせり出して設置してある物干しに
洗濯物を干していたので、もうがっかりです。
しっかり濡れるほどの雨でしたから。

前日の授業時間が少し短かったので、この日は追加され、
授業が終わったのが13:40。
午後の予定は15時から映画を観るというものでした。
家に戻って昼食を作って食べ、洗濯物を洗い直しして
また学校に戻るには時間が足りません。

近くにあるSUSHI NUMBER1という店に入りました。
前日からRAMENという文字にそそられていたのです。
肉ラーメンをいただきました。
店員は(おそらく作る人も皆)、中国人。
ラーメンはインスタントのものでした。
このところの生麺のようなおいしい袋麺に慣れている身には、残念な味。
でも肉はたっぷり入っていて美味しく、若布や野菜も入っていました。
これで7€。
コペルトを入れるといくらになるのかしら、とちょっと心配でしたが、
メニューにはコペルトが1.50€と書かれていたのに、
なぜか7€そのまんまでした。

昼食をいただいて、家に急いで戻り、雨で濡れた洗濯物を洗い直しました。
物干を、ベランダの内側に付け替えて、
万が一また雨が降っても大丈夫なように干しました。

それからまた学校へ。
映画は、かなり前の「ラスト・エンペラー」でした。
この映画を知らない人もいるので、簡単な解説をイタリア語でしてくれて、
それからイタリア語吹き替えのラスト・エンペラーを見ました。
私、この映画は見ていなかったので、
初めてこれを見て、泣きました。

感想を求められたのですが、感極まって話ができず、
ただただ涙が溢れて・・・

先生が、「あなたは日本の人で、歴史をこの映画以上に知っているから、
感じるところも大きかったのでしょう。」と言われました。

形だけの皇帝が、子ども時分から、青年になり、大人になり、そして戦後逮捕され
その過程のさまざまな場面で
Apri la porta!・・・門(扉)を開けろ(あるいは開けてくれ)
というフレーズが印象的に繰り返され、
そしていつのときもそれが叶えられなかった溥儀(主人公)の不幸を思い、
すっかり感情移入して、泣けてきたのです。
時代の波に飲みこまれ、溥儀にはあの生き方しか許されなかった・・・
本当に悲しいことだと思いました。

他の生徒もそれぞれに感想を述べ、
イタリア語のレベルが皆似たようなもので、
誰も難しいことは言わないので、彼女たちの言いたいことも分かりました。

この日はお昼を外で食べたので、夜は家で作って食べました。
家の周辺はこんな感じ。
私がキッチンを使うと、家の人は引っ込んでしまい、終わるまで出てこないので、
却って気を遣って、簡単にできるものしか作りませんでした。
ほんとはもうちょっと手の込んだものを作りたかったのですけどね。
でも、ヴィーノはしっかりと飲みましたよ!

アレッツォの語学学校に決めたのは、
ミラノやローマなど大きな都市では日本人が多過ぎて、
イタリア語浸けになれないのではないかと思ったからです。
同様の理由でフィレンツェも排除しました。
アジア系の女性を見て、すぐに日本人か韓国人か中国人かがわかり
「こんにちは」と声をかけてくるヴェネツィアは論外でした。

アレッツォは、半日、1日で気軽に足を伸ばして見にいける素敵なところもあるし、
語学学校を検索してみたら、いつからでも、1週間単位で通えるところがあり、
教育課程もしっかりしていそうな印象のところが見つかったので、
問い合わせのメールをしてみたら、
すぐにこちらの聞きたいことにきっちりと回答をくれたので
そこに決めました。
それに、4月~6月は、授業料の割引もあるということだったのです。

その期間の宿も、ホームステイ(キッチン使用あり・なしでさらに区別有りです)、
アッパルタメントのルームシェア、単独でのアッパルタメントを
希望に沿って定額で斡旋してくれます。
私は、ホームステイのキッチン使用ありを選択しました。
ホームステイは、いろいろな意味で当たり外れがあることが分かったので、
次回は、ルームシェアにしようと思います。
もし4週間とか行けるなら、単独のアッパルタメントにしますが。

申し込みをし、代金の30%をクレジットカードで支払い、
その後、ワードファイルのテストが送られてきました。
辞書を使わず、やれるところまでやって送り返すように、とのことでした。
それによってクラス編成をするのです。

第1日目の朝、8時半に登校し、この週から学習をスタートする人達が集まって、
学校での授業や、午後の1週間のプラン、
アレッツォの地図や資料を配布され、説明を受けました。
これが教室です。
その間、1人ずつが事務局に呼ばれ、話をしながら所属クラスの決定。
9時半から、それぞれ自分のクラスに入っての学習となるのでした。
私は中級の中クラス。
私も含めて5人の生徒で学習して行きます。
面白いことに、クラスの人数によって、学習する時間が決定されるのでした。
5人のクラスだと、1日に3時間半。
初日だけは変則的な時間でしたが、
2日目からは9時~11時、30分休憩し、11時半~1時。
その翌週は、3人のクラスだったので、授業は2時間半でした。
人数が少ないと学習密度が上がり、その分授業時間は少なくてよい、ということなのでしょう。
1週間の授業料は、2人のクラスでも、5人のクラスでも同じでした。

この日の前半は、自己紹介。
英国からの60代の女性、
ブラジル人だけど、オランダ在住の50代の女性、
この2人と私はこの週から。

スロヴェニアからの20代後半の女性は、この週が最後だけど、
この学校ですでに7週間学んでいて、初級から入って中級に上がってきました。
スロヴェニアは、言葉が似ているところもあるようで、
イタリア語の習得はそれほど難しいことではないようでした。
もちろん7週間集中して学習し、彼女も本気で取り組んだからこその成果でしょう。

もう1人は、20代前半のアメリカ人女性。
彼女は、大学で第2外国語として少しイタリア語を学び、
アメリカ人向けのトスカーナを巡る現地ツアーを催行しているアメリカの会社に入社して
その会社の費用でシエナの語学学校である程度学び、
コルトーナに近いまちに住んで仕事をしているのだそう。
この週と前週の2週間は休暇なので、それを利用して、
さらにイタリア語を学びたいという意欲の持ち主です。

自己紹介をしながら、先生がいろいろと突っ込みを入れて、
詳しく話す羽目になったり、表現がうまくできないところを、先生がサポートしながら、
文法をきちっと教えてくれたり、ただの自己紹介ではなく、
きちんと学習として成り立つのでした。

休憩後はテキストのコピーを用いての文法の学習。
説明を聞くだけではなく、練習問題をやって一人ひとりに順番が回ってきました。
それから分からないところを質問すると、
説明がとても分かりやすいのですごく納得することもできました。
宿題がたっぷり出て、1時でおしまい。

さて、一気に長々と読まされるのも大変でしょうから、このあたりで今日は止めておきます。
この日の午後のことはまた次回。

学校は、この建物の3階にありました。(ピンボケ失礼)

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