ぐら姐のよくばりイタリア

イタリアにはまってかれこれ25年。イタリア人て面白い、から始まって、イタリアは美味しい、イタリアは美しい、イタリアの田舎が素敵、イタリア美術や建築も面白い…とずぶずぶ深みにはまっている私「ぐら姐」のイタリアなんでもありのブログです。

カテゴリ:ジャンル別 > 観光

まちと呼んでいいのか、分かりません。

’09年年末にカモッリに滞在していた宿のレセプションでまちの地図を見せてくれて
見に行ける観光スポットを教えてくれました。
「ここがサンタマルゲリータで、こっちがポルトフィーノ。サンフルットゥオーゾには美しい修道院があって、船で行けるよ。それから...」

船で行ける?この季節でも船が運航しているの?
この修道院のことは知ってはいましたが、
船で行くか、2時間半歩くかしか方法はないと書いてあったので、
冬に船はまずないと思い、諦めていたのです。

オジサマが、地図にある時刻表のページを開いてくれました。
なんと日曜(この日)は、本数が多い!行くべし!!!ということで出かけました。

14時の船に乗りました。
美しい崖の景色を見ながら、途中1箇所に寄り、30分ほどで入り江に入っていく船。見えてきました...

サンフルットゥオーゾは、住人が十数人しかいない小さな集落だそうで、木々に囲まれてひっそりと修道院が建っている...という感じです。
海からのアプローチがとても素敵なところでした。



7世紀だか8世紀だかに建てられて少しずつ増築され、13世紀にメインのゴシック建築部分が完成したようです。
そして15世紀にドーリア家のものとなったのだそうです。
何でも海底17メートルに沈んでいるキリスト像とドーリアの墓があることで有名なのだとか。
1983年にドーリア家からFAIと言う、文化財や環境を保護する財団に寄贈され、今はFAIが管理しています。
修道院は、以外に簡素なつくりでした。

キリストの磔刑像が、何だか可愛らしくて気に入りました。

小さな回廊が素敵でした。





2階の海側は、展示室になっていました。

外に出て、周りを散歩しました。



住人が十数人というこの集落の、それも1週間に何人通りかかるのかしら、というようなところにポストがありました。

少し上ったところから、別な角度の修道院が見えました。

修道院から搭へ続く道を歩いて行きましたが、搭には入れないようになっていました。
何とかと煙は...の、何とかと同じなので高いところが大好きで、上りたかったのでちょっと残念。
そこから向こう側の入り江に下りていけるようになっていました。修道院のビーチよりもさらに小さなビーチがありました。



搭に続く道を小さな入り江と反対の、山の方に行ってみました。
なんと、山羊さんたちが大勢。
皆、忙しそうに草を食んでいました。



16時の船で帰りました。
岸壁に、サンフルットゥオーゾの絵がありました。

’17年、トラーニに滞在中に日帰りで行きました。
トラーニからアンドリア、アンドリアからカステル・デル・モンテへとバスを乗り継いで行きました。

アンドリアからは小型のバスでした。
プーリアのてろっとした平原(ところどころに畑や林が見えます)をバスはのどかに進んで行き、やがて小高いところに城のようなものが見えました!

駐車場に到着し、下車しました。

ここからは、徒歩です。
中央左寄りにBARという文字が見えるでしょうか。
何にもないわけではなく、バールとレストランが1軒ずつありました。



意外に周囲が広くてびっくり。









内側の中心部はオープンエアーになっています。





外はすごい陽射し。

ワンちゃんは、ひたすら省エネモード



他に何もないですが、とりあえず見ておく価値はあると思いました。

イタリア好きの方で、アルベロベッロをご存じない方はいないと思いますが、
とんがり屋根の独特の建物、トゥルッリが立ち並ぶ世界遺産のまちです。

'04年の夏、ポリニャーノ・ア・マーレに2泊+3泊で滞在したときに、
中1泊でマテーラとアルベロベッロに出かけたのでした。
スーツケースをポリニャーノのホテルに預けて1泊分の荷物だけ持って行ったので楽ちんでした。
マテーラに行って泊まり、翌日アルベロベッロを訪れました。

なぜその逆でなかったかと言うと、
トゥルッリの宿に泊まりたいとはあまり思わなかったのです。
それにマテーラの方が観光に時間がかかると考えたのもあります。
当時よく見たり書き込んだりしていた「地球の歩き方掲示板」で、
サッシの見える宿に泊まって、夜はライトアップされていてとてもよかったというのを読んで、
その宿を予約したのでした。

その後、行くつもりはないのに、'13年12月と'14年6月にも立ち寄ることになってしまったのでした。

初回のアルベロベッロの写真を少し。



あまり感動しなかったのでそれほど撮っていません。
土産物屋が多く、観光で食べているまちという印象が強くて、
建物群を見て、2階に上がれる土産物屋に入って、屋根屋根を眺め、
それでもういいや、おしまい、という気持ちになってしまったのでした。

'13年12月は、何度も訪れている、カロヴィーニョでファームステイを受け入れているマキさんのところに行くのに、
私がチェリエ・メッサーピカからマキさんのところに向かう途中、
彼女はゲストを案内している途中だったので、アルベロベッロでのピックアップになったのでした。

彼女の案内の予定が遅れ遅れになって、薄暮から夜にかけての訪問になりました。



暗くなるとナターレの飾りに灯りがともって。





’14年は一旦仕事を辞めて、初夏と夏と冬にイタリアを訪れたのですが、
初夏は、2週間ですがアレッツォで語学教室に通い、その後、友人のminaさんと合流し、プーリアを旅したのでした。
その時にマキさんのところに3泊し、minaさんが南イタリアは初めてだったので
アルベロベッロにも行ったのでした。

この時の写真が一番きれいかも。
何せデジカメの性能は’04年よりも格段にアップしているし、初夏の青空の下でしたから。









ジェラート屋さんのジェラートの蓋もとんがり屋根のよう。

何枚載せても、トゥルッリばかり。
これにてアルベロベッロ終了です。

ロレートには、レカナーティに日帰りで行った日が26日で、祝日のためバスが無く、行くときも帰りもタクシーを利用し(4人いたので強い)帰りはせっかくだからロレートに寄ってみることにしたのです。

ドゥオーモの近くで車を降りました。

ドゥオーモ

ドゥオーモの中に入りました。
内部は撮影禁止なので、写真はほぼありません。

ロレートは、世界で最も重要な巡礼地のひとつなのだそうです。
「聖家」(Santa Casa) は、イエス・キリストがナザレ(イスラエル北部の町)で生活した家と言われ、
その後、天使たちがイタリアへ家を運んだとされています。
天使たちによって空を飛んできたなんて奇想天外なことと思う私は不信心者。

ヨハネ・パウロ二世は、
「ロレートの『サンタ・カーザ』(聖なる家)は、
聖母に捧げられた全ての巡礼聖堂の中で世界的に第一のものであり、
キリスト教における聖母マリアの、まことの中心地であります。」
とおっしゃったそうで。

カラヴァッジョも「ロレートの聖母」を描いているぐらいだし、
レカナーティに行ったついでに立ち寄ろうと思ったのでした。

教会内部は撮影禁止でしたが、プレゼーペなどは撮影してよいことになっていたので、ついでにステンドグラスの写真も撮りました。




ステンドグラスの色合いがとても美しいです。



ものすごい数の巡礼者が訪れるため、相当富裕な教会なのでしょう。
内部の豪華さと言ったらすごいものでした。
売店では飛ぶように記念の品が売れていました。

サンタ・カーザは、なんと朝6:15から19:00まで巡礼できるのでした!
巡礼者に親切なのか、商売熱心というのか...。

ロレートのまちを少し歩きました。



高台から景色が眺められました。







駅までは少し距離がありますが、ずっと下るだけなので、歩くことにしました。

ドゥオーモの裏側



これにて、マルケ編は終了です。

祭りの名前はLa Quintana(ラ・クインターナ)
辞書を引くと、quintanaもgiostraも馬上槍競技と出てくるのですが、
ここでは、祭りをクインターナ、競技そのもののことはジョストラと呼んでいました。
競技会場で競技を見たい人と、祭り全体を見たい人が混乱しないようにしているのではないかと想像します。

さてパレードが始まりました。
中世の衣装をまとった老若男女、貴族やそのお付きの人、騎士、子どもたち
この日のジョストラの騎手...様々な人たちが通って行きました。
この、馬に乗っている男性が槍競技の騎士です。
そして横でもっている棒が、槍です。
パレードをだいたい見て、16時頃に会場に向かいました。
メインストリートは、会場に向かうパレードがまだまだ続いています。
裏道に入ったら、それぞれの地域の旗のスカーフを肩に掛けた人たちが
続々と会場に向かっていました。
すぐに競技が始まるのではなく、開会セレモニーがあり、開会の挨拶などの後、先ほどパレードしていた鼓笛隊の演奏があり、
それに合わせて、各地域の旗振り隊の見事な演技。
6地区の対抗戦で、代表の騎士は1人ずつ。
モバイル・タブレットや、紙の表に、
各地域の得点を記録している人たちがけっこういました。
近くの人が記録しているのを見て、
タイムと的を射た点数の合計で得点が決まるということが分かりました。

楕円のコースを3分の2周ほどして対角線のような直線に入り中央の的を射て、
直線を抜けるとまた楕円のコースを3分の2周ほどして
別の対角線の直線を走り的を射るという2回の槍突きがあります。
最後に3分の2周ほどして、ゴールなのでした。
2回目の試技では、馬場に出て、槍を受け取ってから、
馬がむずかったためにスタートするまで時間がかかりすぎて、
失格になった地区がありました。
というわけで3回目の試技は4地区対抗になってしまいました。
3回目は、これまでの順番と違って、順位の低い地区からの試技です。
結局最初にトップに立った地区が、2度目も3度目も最高得点をあげ、優勝したのでした。

競技が終わると、騎士だけでなく、鼓笛隊なども含めたチーム全員が、
自分の地区の応援席に凱旋の挨拶。
祭りのことは以上ですが、翌日、まち歩きをしてからモンテ・ジルヴァーノに帰ったので、その写真はまた次回。

パドヴァの続きです。
世界遺産に指定されている8件に含まれるサンタントニオ・ディ・パドヴァ聖堂
ここは、そのフレスコ画とは別に、イタリアの大巡礼地の1つのようで
日本でいうとお伊勢さんのように、本国イタリア人も一度は参りたいと憧れる聖地なのだそうです。

ここには、聖アントニオの遺物(舌や声帯など)が祀られています。
坂東眞砂子さんの「サンタントニオの舌」という本に書かれていますが、
当時パドヴァに暮らした修道士アントニオは、
人智を超えた不思議な力で数多くの奇蹟を起こし、人々を病苦・死から救い出したのだそうです。
見事な演説をした人だそうで、その声を聞いてみたかったと思う私です。
(イタリアで教会に入った時にミサが行われていると、説経の声にうっとりすることがありませんか?
日本でも、お坊さんのお経を読む声の美しさに聴き入ることもあり。)

’14年5月に訪れた時の写真
巡礼旅のバスが着き、ぞろぞろと人々が聖堂に向かう姿。
ドナテッロによるガッタメラータ騎馬像
内部は撮影禁止だったようですが、よく知らずに撮ってしまいました。
干からびた舌はガラスのケースに入れられ、次々と祈りの人々が来ていました。
本当にご利益があるようで(信じる者は救われる…)、
願い事が叶ったとお礼参りに来る人々も多いようで、
お礼の言葉と写真、そしてろうそくなどが置かれていました。

サン ジョルジョ礼拝堂は、サンタントニオ聖堂のすぐ近くなのに、観に行ったことがありません。
サン・ミケーレ小礼拝堂もまだ。
今度行ったら是非見に行かなくちゃ。

このまちには1222年に創設されたイタリアで2番目に古いパドヴァ大学もあります。
ガリレオ・ガリレイ、ダンテ、ペトラルカが教授を務めのだそうです。
見に行っていると思うのですが、写真が見つかりません…
見つかったら載せることにしますね。

老舗カフェ・ペドロッキ
内部
街角写真を少し
市場

'04年春、'06年冬、'14年初夏、'15年冬と4回訪れています。
まちに見所がけっこうあること、まち歩きも楽しめること、近くに日帰りで行きやすいまちがいくつもあるので、'04年は1泊でしたが、それ以降は連泊しています。

日帰りで行きやすいまちとしては、
ヴェネツィア
トレヴィーゾ
ヴィチェンツァ
バッサーノ・デル・グラッパ
カステルフランコ・ヴェネト
チッタデッラ
マロースティカ
などが挙げられます。
ヴェネツィアは、本島に数泊するのがお薦めですが、
2度目以降に、観たいところ(もの)があってちょこっと行けばいいのであれば、
宿代の高いヴェネツィアを避けてパドヴァに泊まるのも結構いいです。

パドヴァの見どころと言えば何と言ってもスクローヴェーニ礼拝堂。
イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家ジョットのフレスコ画で埋め尽くされているのです。
と、ここまで書いてちょっと検索してみたら、
いつの間にか、'21年に「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」として世界遺産に登録されていました。

「フレスコ作品群」に含まれているのは
スクロヴェーニ礼拝堂のほかに
14世紀に描かれたジョッテスキ(ジョット派)の画家による作品群を有する8件、
エレミターニ教会、ラジョーネ宮殿、カッラレージ宮殿礼拝堂、パドヴァ大聖堂(ドゥオモ)洗礼堂、サンタントニオ・ディ・パドヴァ聖堂および修道院、サン・ジョルジョ小礼拝堂、サン・ミケーレ小礼拝堂が含まれているのだそうです。

ということで、今日は「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」の、
私が訪れたところの写真を載せたいと思います。

一番載せたいスクロヴェーニ礼拝堂は、
予約制で、15分間の入れ替え制になっています。
小さな礼拝堂の内部は、西洋美術史上もっとも重要な作品とも言われる
ジョットの一連のフレスコ画で埋め尽くされています。
天井も壁面も青、そこに順にマリアの生涯が描かれています。
初回は、その空間に身を置いてうっとりし、うわあ…と思っているうちに15分が過ぎてしまい、
持参した解説書を見ながら順に見て行くと、途中で時間切れになってしまい、
2度目のパドヴァ以降、訪れるたびに見ているのですが、
十分に見ました、と満足したことがありません。
また訪れたらまたここには入ります。

残念ながら内部が撮影禁止なので外側の写真だけ載せます。
エレミターニ教会
スクロヴェーニ礼拝堂から比較的近いところにあります。
’15年冬に行った時に初めて入りました。
ここにはマンテーニャのフレスコ画があります。

1944年米軍の爆撃により、完全に破壊されたのだそうです。
その時、瓦礫の山と化した教会跡から、このフレスコ画をいつか修復しようと、
できる限りの破片を集めて、箱に詰めて保存しておいたとのこと。
不幸中の幸いが2つあり、
1つは、戦前の、白黒ではあるものの全体の写真が残っていたこと、
もう1つは、礼拝堂向かって右壁、「聖クリストフォロ物語」のうち1番下の場面は、
当時、修復のためにそこから剥がされ、別の場所に保管されていたため、
爆撃による粉砕を免れたことだそうです。
少しずつ、少しずつパズルのコマを埋めるように「修復」作業の続けてできたというフレスコ画、
何も知らずにただ、きれい~、でも傷みが激しいわ…なんて見るのはもったいなと思えます。
この教会は、ほかにも思いのほか見応えがあります。
ラジョーネ宮殿は、建物1階(地上階)が市場になっています。
その前の広場にも市が立つので、ラジョーネ宮の見学のついでに市場を楽しめます。
1219年に着工され1306年に完成しました。
縦80m、横27m、高さは40mあるそうです。
以前はジョットのフレスコ画もあったそうですが、1420年の火災で焼失してしまい、
現在見られるフレスコ画は、1425~1440年ごろに、
Pietro d'Abnoという哲学者・医学教授でもあった人の占術論をもとに
Nicola' MirettoやStefano da Ferrara等の画家によって描かれたものとのこと。
占星術、日常生活、宗教関連の絵が描かれています。
カッラレージ宮殿礼拝堂には、行ったことがありません。
パドヴァ大聖堂(ドゥオモ)洗礼堂
’06年冬に滞在したときに行きました。
世界遺産に指定された建物の3カ所だけでたくさん写真を載せてしまいました。
訪れた回数もそれなりなので、あっちもこっちも載せたくなります。
ひとまず、今日はここまでにしておきます。

ナポリの少し北にあるカゼルタには、'04年の12月に行きました。
やはり夏とは空の色が違います。


カゼルタの見どころは私にとってはただ1つ。
ブルボン家のカルロス7世によって、18世紀に建てられた王宮です。

世界遺産に指定されているので、とりあえず行ってみるかと言うことで行きました。

建築家ルイジ・ヴァンヴィテッリによって設計されたものだそうで、
その設計の際に手本とされたのが、フランスのベルサイユ宮殿だったそうです。
王宮の見どころは宮殿と庭園です。
この当時の写真が、同行の友人からもらったものしか残っていません。
(写真の保存方法を変えた時期で、それが見られなくなっているのです。
もう面倒だからそれでいいことにしてしまいました。)

このときの宿が、大変でした。
当時はそこそこメジャーだったVenereというサイトで見つけて予約したのですが、
駅から1kmとあったのに、荷物を転がしながら歩いても歩いても着かなくて
途中2、3回住所を見せて道を尋ねましたが、
その度にまだ先だと言われて結局4㎞ほど歩いたのでした。
どうやらVenereのアクセス欄の記述の間違いで、
高速出口から1kmなのに、駅から1kmと書いてあったのです。

おまけに近くに昼食を食べられるような店はなく、駅の方まで、こんどはタクシーを呼んでもらって行き、やっとランチにありついたのでした。
腹ごしらえをしてから、王宮へ。
で〜んと大きくて、またまた一杯歩いたのでした。
今では予約サイトのこんなミスはないのでしょうけどね。

でも宿の近くにピッツェリアがあり、夕飯はそこで食べました。
それが地元の有名店らしく、なかなか美味しくて安くて、
偶然にも、そんなことがあると許せちゃいますね。

こういう広大なところにデーン、デーンとあるものよりも、
わたし的には、もっと小さなまちに小ぢんまりとある素敵な建物のほうが好きです。

建築的にもロマネスクやゴシックあたりが好きで、バロックはどうも...。
でも、一度は見ておいてもよかったかな、と思います。
行く時期によっても、印象が違うかもしれませんね。

ポンペイと同じ、西暦79年のヴェスーヴィオ噴火で埋もれたまちで、
ポンペイ同様に一部が発掘されて公開されています。

’07年夏にソレントのアッパルタメント滞在中に訪れました。
ソレントから船に乗って行くことができます。
しばし歩いて、遺跡の入口へ向かう時に、現在のまちの下に2000年ほど前のまちが埋もれていることが分かります。
ここは、より噴火口に近かったため火砕流というよりは泥流によって一瞬のうちに飲み込まれて密封されたのだそうです。
そのため保存状態がとても良く、極彩色のモザイク画や格子垣の家など木材を使った二階建て建築も崩落せずに形を留めています。
遺跡を歩いていると、まちの様子が身近に感じられるようでした。
二階建ての建物が残っていたり、道が広すぎなかったりして日陰が結構あり、
見学しやすい(炎天下を歩かなくてもいい)ので、ポンペイより見やすいという点でもお薦めです。
もちろんナポリ方面に行ったら、ポンペイを見ないわけにはいかないでしょうが、
こちらも併せて見る価値大だと思います。

イスキア島の続きです。
イスキア島の見どころと言えば何と言っても美しい景色でしょう。
(カンパーニアの島々や半島は皆そうですけれど。)

昨日ちらっと書きましたが、映画「太陽がいっぱい」のラストシーンのロケをしたというエリア
わんさかバスを降りて、皆写真を撮っていました。
この家に滞在してパラソルのあるテラスで朝食を摂り、
ビーチで転がって景色を眺めながらビールを飲んだら最高でしょうねえ…
これはお宿のプールで飲んだビール
宿の屋外プールは温泉ではありません。
前回書きましたが、温泉やプールに入る時にはスイムキャップ着用が原則。
この時も、私たちは持参して行かなかったので(海では要らないので)
宿で売っているものを買いました。
それが水球選手みたいな感じで。
緑と白の帽子、見えるでしょうか。
↑これは屋内にある温泉プールです。私(170㎝)が立ってこの深さですから、
身長が150㎝ぐらいの人は足が付かないかもしれません。

街角写真
最後にもう一度海辺の写真を。
そしてやはり夏の夜は子どもたちにもお楽しみイベントいろいろ。
イスキア島、3泊では足りない島でした。
再訪を考えつつ、もう12年も経ってしまいました。

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